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てれてれてれって、てレッテルっ!

あなたは陰キャ?
それともパリピ?
もしくは意識高い系?
いやいややっぱり地雷系!
普通にパンピー?
もしかしてただのヲタクですかあ?

これはそんなレッテルを貼る行為についての考察です。レッテルと尊敬、あと言葉と概念について。

レッテル(〈オランダ〉letter)
文字。
商品名・発売元・内容などを表示して商品にはりつける紙の札。商標。
ある人物や物事についての断定的な評価。「不名誉なレッテル」

コトバンク

とりあえず考察っぽいことを述べるためには辞書の引用から始めよって古事記にもかいてある。ソースはツイッター。
レッテルってletterって書くんだね。いいこと知レター。賢くなレター。さむいダジャレに呆letter。
これ、もともとはコトバって意味だったのがマイナス方向のステレオタイプを指す言葉になったみたい。特級呪物並みに汚染されててかわいそう。
学校のアイツも、職場のそいつも、あったことないだれにでも、ポケモンパンのシールみたいに貼って剥がしてぺたぺたぺた。
ぼくらはそうして生きている。だよね?みんなも性格悪いよね?
がっこのオタク。JKの裏アカ。おっさんは窓際。リーマンはDV。じじいは痴呆で、大学生はモラトリアム。
みんな持ってる、悪いイメージ。誰にでも使える、バーサーカーみたいなクラス相性。
そう、ラクなんだ。知らない人はいっしょくた。全員まとめて物理で殴る。トルネコドラムでバイキルト。ヤンキーみたいなワンパン理論。

でも、それじゃあ勝てない。ゾーマには光の玉を使うべきだし、フォーリナーにバーサーカーで突っ込んではいけない。
レッテルはなんにでも貼ればいいってもんじゃない。相手を理解して、最高のタイミングで刺すべきだ。そうだろ?
だから、現実に初手でこれを切る奴はいない。大富豪の初手で8切りするくらいには悪手である。
まあそんなことはスマートでイケてる今どき最先端のnoteユーザーには釈迦に説法の馬耳東風であることは一目瞭然だ。
コミュニケーションでイニシアチブをとるためにフェイストゥフェイスでハローエフェクトのシナジーをとることにおいてステロタイプはディサグリーであることについてはコミットメントがあるとおもう。

だが、現在のインターネットにおいては話が別である。この広すぎる電子世界、言葉の網で人間どもを捕えようとするフィッシャーズ諸君、考え直そう。陰謀論や【神回】で手当たり次第に釣ってはいけない。だれにでも釣れる魚はもういない。アホウドリがネコに食い散らかされるように絶滅したのだ。

そもそも、ことばだってステレオタイプだ。主観と客観の間にある共有幻想だ。山はどうして山なのか。みんなが山って言ったからだ。ヤマもマヤも部品は同じだ。ばらしたら使えない。矢。魔。

そうして、レッテルは本来の意味に回帰する。「ネットの萌えコンテンツに搾取され、現実では全く奮わない弱者男性」=チー牛。コトバの網を言葉にした。回帰するコトバのマクロコスモス。

どうしたらいい?その手の中のスマホはマボロシです。あなたの手をすり抜けて地面に落ち割れる。割れた破片は宙に溶ける。あなたの目からゴーグルが落ちる。すべてはバーチャル、ホログラム?目の前の文字列もただのマボロシ?よくわからなくなってきた?でもそれは初めからそうでしょ?ね?


おい。
現実に戻るんだ。
君は誰だ?陰キャ?パリピ?地雷系?
違う。君は君だ。君はコトバになれないんだ。コトバ以外の存在なんだ。存在ってなんだ?なんて聞くな。考えるな。感じろ。君にもあるはずだ。
夜更かしした目の疲れでも、冷えてきた足先の温度でも、すでにコトバで語りつくされそれでも動くその心臓も。

神がいたのか。言葉があったのか。光がどうやって生まれたのかもわからない。存在と言葉。卵と鶏?そんなものは哲学者にでも食わせておけ。親子丼にしてしまえ。レッテルなんかになるな、するな。自分と相手。それに尊敬、あるいは敬意。それがあれば必要ないんだ。

コトバを捨てよう。街に出よう。