書くことばかり語るのは品がないよネ😩

書くことについて書きたい。そりゃもうめちゃめちゃに。書くことだけでいくらでも書ける。書いてきたしこれからもそうだろう。自分が書く意味とか書きたいこととか書けること書きたいこと書くべきこと書かないほうがいいこと書いたほうがいいこと。これらが全部ひらがな部分でしか判別できないことがまだるっこしいので今すぐにでもタームを発明したいくらい。書きたい書きたい書きたい。うみゃ~!

でも毎回毎回書くことについて書いてたら(かきがき)もうええわ!ってなる。くない? 俺はなる。「こいつまた『かきがき』してるよ」ってね。自意識のカタマリにはつらい。自意識が自意識について語れることはかなり稀な状態なのである。自分の場合はカフェインか、もしくは夜更かしのときなどに自意識が見つかりやすい。

そもそもnoteっていう媒体自体がそういう形状の壺みたいなところある。なにもかきがきしてるのは自意識界隈(めったに観測できない。湿った地面の日陰によくいる)だけではない。他にはメモツール界隈・ライティング界隈・出版界隈・小説論界隈などがある。それぞれにはそれぞれ見受けられやすい論理構造があってなかなかにおもしろいのだ。

それにもまして特筆したいのはやはり我らの(ら?)自意識界隈である。こいつらはまず何といっても群れをつくらない。馴れ合わない。舐め合いをしようと近寄るもすぐにお互いの針がハリネズミのヤマアラシよろしく突き刺さっていたいので触れ合えない。
さらに大々的に宣伝をしない。できない。なんなら衆目を集めすぎると逆に異常行動自傷行為に走り出す。セルフ名誉棄損や信用自傷を行う。気持ちよかったです。

結果起こるのはひたすらひとりで裏向きの鏡に向き合い続ける人物Aという事象だ。心臓の鍋では心の垢と廃液を煮詰めたこぽこぽスープが沸いている。そんなやつらはもう自分のことしか見えない。見ていない。見れない。
自分が見ている、ということを見ている。はい、ここから先は君ならもうわかるよね。

彼奴らに残された道はもう唯一か無二だ。鏡を壊して外に出るか、それかひたすら自分について書くか。これらは同一事象だ。書くたびに壊れる鏡の破片。砕け散ったフラグメント。散乱した破片はかつての自分を映し出す。鏡は自分の色が分からない。のなら壊れるしかない?そう、語ることについて語ること。書くことについて書くこと。かきがきだ。
自分を壊す。見る。観察する。丹念に観察する。続ける。続ける。見る。診る。みる。

こんなことずっとしてるんだよ?ヤバくね?だよね~。
でもこれってめっちゃ疲れるんだよね。鏡ってかたいからさ。だから毎日はきつい。少なくとも毎日投稿で3日も費やせばも~十分。あとはゆっくりと拳に力をためるんだ。
それでもやっぱり唐突に書きたくなることはある。そんな時によぎる。「書くことについて書くこと、について前に書いたぞ」ってね!ミュージックスタート!リフレインが止まらないっ!続いてはヘビーローテーション!

そんなときも臆さず書こう。タイトル変えればバレないさ。書くことについて書くことについて語ること。答えは自分の気の済むまで。既に書いたなんて言っちゃだめだ。心が語りたがってるんだ!家庭もだめ、学校もだめ、もはやVtuberのコメント欄ですら自分語りができないならだれにも迷惑かけないここnoteでやるしかないじゃないか。

と、いうわけで自意識界隈の特異点が自分語りについて語りましたよ。言語化が上手いと様々な方から好評を頂いております。お題はあなたの語りで結構。さぁ、おひとつ、如何です?