こう

アルコール依存症

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3月21日 断酒0日目

    • 購入した植物のその後

      • 種まきのその後

        • 中国原産の木瓜、放春花(ファンチェンファ)の花が咲く。早春を告げる花で木瓜は晩春の季語。当然知っていたわけなくすべて他サイトの受け売り。買ったきり下手なことはせず水やりのみ。一度植え替えてみた同じ木瓜の長寿梅は蕾すらつけない。仕方なく根を見ると白い黴。一時が万事、センスがない。

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        3月21日 断酒0日目

        • 購入した植物のその後

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        • 中国原産の木瓜、放春花(ファンチェンファ)の花が咲く。早春を告げる花で木瓜は晩春の季語。当然知っていたわけなくすべて他サイトの受け売り。買ったきり下手なことはせず水やりのみ。一度植え替えてみた同じ木瓜の長寿梅は蕾すらつけない。仕方なく根を見ると白い黴。一時が万事、センスがない。

          パキポディウム、ラメレイ、ラメリー。実生と思われる。早くも分頭しているのを珍しく思い購入。近いうちに植え替えるつもりだが初心者にとって用土をどうするかが難しい。ほとんど観葉植物は日向土単体にマグァンプKとオルトランDXの混ぜ込んだもので極端だが、乾燥より根腐れが怖いと先達は言う。

          パキポディウム、ラメレイ、ラメリー。実生と思われる。早くも分頭しているのを珍しく思い購入。近いうちに植え替えるつもりだが初心者にとって用土をどうするかが難しい。ほとんど観葉植物は日向土単体にマグァンプKとオルトランDXの混ぜ込んだもので極端だが、乾燥より根腐れが怖いと先達は言う。

          ストリクタが桃色の花苞を見せ始める。花をつけるにはまだ小さく、マメに世話しているとは言い難い環境と思っていたが、これほど早く開花への準備を人知れず済ませていたということが人生すべてに物臭な態度をとる自分自身を恥じ入らせる。実のところ今日また、人として大きくその品位を落としたのだ。

          ストリクタが桃色の花苞を見せ始める。花をつけるにはまだ小さく、マメに世話しているとは言い難い環境と思っていたが、これほど早く開花への準備を人知れず済ませていたということが人生すべてに物臭な態度をとる自分自身を恥じ入らせる。実のところ今日また、人として大きくその品位を落としたのだ。

          3月10日

           流れる川の水が岩に分断されてしまっても、いずれはまた一つになって、共に流れていくことができる。 想い合う二人が今は離れてしまうが、必ず再び一緒になるときがくるのだ、ということを詠んでいます。これは百人一首の一つである和歌ですが、私はまったく和歌について知っているわけではありません。  なぜこの和歌を知っているのかというと、ある人と一緒に京都の嵐山を訪れたさいに、その人がこの和歌を子どもの頃に知ったときから印象に残り、そらんじることができるということを教えてくれたからです。

          映画「バーフライ」バーベット・シュローダー 感想

          監督 バーベット・シュローダー 主演 ミッキー・ローク 1987年 アメリカ作品  本編は約一時間四十分ですが、主人公であるヘンリーがそのうちの三分間でも素面であった時間があったでしょうか。この映画には筋道だった物語があるわけではありません。見終わってから、この映画は結局のところ何であっただろう、と思わせる映画であります。たとえば国語のテスト問題のように大意を述べよというのならば、酔っぱらいがバーで酒を飲んで、ケンカして、二人の女性と関係した、これだけで事足りるのです。つま

          映画「バーフライ」バーベット・シュローダー 感想

          小説「賭博者」ドストエフスキー 感想

          著者 フョードル・ドストエフスキー  良きにつけ悪しきにつけ、情熱に突き動かされた人間は、何か非常な困難であっても、とてもありえそうもない成功のために、あらゆる不利な条件を無視してその目的を達成させようとします。その意味において、どのような種類の情熱であっても、それはほとんど盲目と同義であるといえます。アレクセイ・イワーノヴィチは、ただでさえ激しやすく衝動的な傾向のある人間であって、ことポリーナ・アレクサンドロヴナのこととなると、彼女のたった一言さえあれば、彼は崖下にちり紙

          小説「賭博者」ドストエフスキー 感想

          短編「弱い心」ドストエフスキー 感想

          著者 フョードル・ドストエフスキー  ヴァーシャは自分に与えられた大きな幸福のために、とうとう彼は大きな不幸におちいってしまいます。その幸福にふさわしい自分であろうとするほど、ますます卑屈に自罰的な考えに落ち込んでいくのです。そうかと思えば気分の風向きが変わって、目前に迫っている幸福に浮かれ、二日後までに仕上げなければならない仕事をうっちゃって恋人のところへ駆けつけていくのです。それはほとんど躁うつの様相を呈していますが、そこには別に何かしらの人間の根深い問題を含んでいるよ

          短編「弱い心」ドストエフスキー 感想

          テイク・オン・ミー

           これはあるテレビゲームの一場面です。登場人物の少女がa-haのtake on meを弾き語ります。なぜこれを出したのかというと、いつも私が苦しいときやどうしようもないときに、なぜだか、特にこのアレンジのこの曲が頭のなかで流れるのです。私は八十年代の洋楽をほとんど知りませんが、自分でも理由が分からないうちに、この曲が頭を流れるのです。もちろん私は英語が分からないのでインターネットで歌詞の意味を調べました。落ちこぼれだが、少しずつ学んで進歩しているんだよ、というような意味だった

          テイク・オン・ミー

          西日に見る手を振る女の子

           寒くて風の厳しい夕方、気の進まないある用事のために横断歩道の信号待ちをしていました。憂鬱な視線を足元から正面へ向けると、左から来る乗用車が目に入りました。見るとその開けた窓から子どもが手を振っているのです。まともに目を開けていられないほどの強い西日だったために、はっきりとは見分けることはできませんでしたが、長い髪が風になびいていたところを見ると、おそらくその子は女の子であったのだと思います。私は最初、彼女の知る人が近くの別の車に乗っているのを見つけて手を振っているのだと思い

          西日に見る手を振る女の子

          亜竜木、アローディア。せむしの骨のような特徴的な姿とトゲに惹かれて購入。全体に白い金属的な印象とは対照的に、ほとんど散ってしまっているが丸みのある緑の葉をつけているのが可愛らしい。細く徒長ぎみのように見えたので適期ではないが植え替える。原産地の様子から日向土単体に植えてみる。

          亜竜木、アローディア。せむしの骨のような特徴的な姿とトゲに惹かれて購入。全体に白い金属的な印象とは対照的に、ほとんど散ってしまっているが丸みのある緑の葉をつけているのが可愛らしい。細く徒長ぎみのように見えたので適期ではないが植え替える。原産地の様子から日向土単体に植えてみる。

          小説「神さまの話」リルケ 感想

          著者 ライナー・マリア・リルケ  大人のための絵のない絵本です。神さまはあらゆるものや事象にひそんでいることを気づかせてくれます。大人が神さまをそこに見つけるということは、失われてしまった幼かった頃の感性をほんの少しでも思い出させてくれる一瞬でもあるのです。そうした瞬間には、ふしぎと懐かしさや憧憬の念を抱かされるものです。この場合の神さまとは、もちろん宗教で言うところの神さまとは違って、自身が子どもであった頃の、あの言葉では説明しきれない何もかもが新鮮で特別であると思わせる

          小説「神さまの話」リルケ 感想

          実生二ヶ月のサボテン。幼苗の三つともがあざのように赤黒く変色してしまうが、調べたかぎりではさほど心配はいらないらしい。頭の白っぽいトゲがわずかだが伸びてきているように見える。よその実生苗と比べて成長が緩やかなように思い、無意識に変化を急いてしまう心に気付かされる。

          実生二ヶ月のサボテン。幼苗の三つともがあざのように赤黒く変色してしまうが、調べたかぎりではさほど心配はいらないらしい。頭の白っぽいトゲがわずかだが伸びてきているように見える。よその実生苗と比べて成長が緩やかなように思い、無意識に変化を急いてしまう心に気付かされる。