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全ては何かに認められたいが故(上)

タイトルだけ見たら、何だこれ?と思うだろう。

そろそろラジオ関連の雑記も書いておかないと
小手先のハウツーをかじっただけの人間のままで
終わりそうな気がしてきたので、少しはラジオの
ことも触れておこうと思った。

ただ。
思ったはいいけど、何から書けばいいのやら。
ラジオを聴くようになったきっかけの話は随分前に
まとめたし。


まぁ、きっかけを既に晒したのなら、次は投稿する
きっかけみたいなのを晒していこうか、と思って
重い腰を上げて文字を打ち込むことにした。

正確に言えば、腰なんて上げてない。
涅槃像のように寝っ転がって打ち込んでいる。
いや、涅槃像に対して寝っ転がっているは失礼だ。
カンガルーが寝っ転がってる感じを想像してほしい。
あのおじさんみたいな寝っ転がり方だ。

前置きが長くなるので、そろそろ本題に行く。

ちなみに。
今回は、そもそもラジオ投稿を始めたきっかけ。
そして、深夜の投稿を始めたきっかけの2部構成に
してみようと思う。

ありのままを受け入れる存在


ラジオを聴き始めたきっかけは、先述のリンク先を
見ていただければと思うが、元々は、完全に聴く
だけのリスナーだった。

というのも、とても前へ前へと行く性格ではなく
傍観者的ポジションが自分にはお似合いなのだと
決めつけていたからである。

別にそこに悲観していた訳ではない。
それが当たり前だった。

転機が訪れたのは、2020年の秋。
祖母が亡くなったこと。

祖母は、スポーツも勉強もダメダメで何の取り柄も
ない僕をとても可愛がってくれた。

初孫というのもあったのかもしれない。
でも、そこにはちゃんと愛があったと思う。
「あんた、そこに愛はあるんか?」と問われたら
某学者のように「(ホニャララ細胞は)あります!」と
堂々と答えるだろう。

そんな祖母が亡くなり、僕は唯一自分を褒めてくれる
存在を失った。
別に親は褒めてくれなかったとか、褒めてくれるから
祖母が好きだったとか、そういうことではない。

良いことをすれば褒めてくれる。
立派な行いをすれば褒めてくれる。
褒めてくれる、という存在では一緒のはず。
でも、何かが違う。
両親は、良い行いをした・立派な行いをした自分を
認める褒め方。
祖母は、ありのままの自分を包む褒め方だった。

だから、そんな祖母が目の前からいなくなったことで
僕の目の前は真っ暗になった。
これから何をどうすればいいのか。
分からなくなった。

始まりはTwitter


それから数ヶ月後。
祖母が亡くなった寂しさも少しは慣れてきた頃。
会社の昼休みに、いつも聴いているラジオ番組で
Twitter限定のコーナーがあった。
「今、何をしているのか?」をツイートで発信して
紹介する、というもの。

どうすっかなぁ。
試しにツイートしてみるか。

その日は仕事で嫌なことがあって、気を紛れさせたい
理由もあったと思う。
散歩が好きだった僕は「今、この辺歩いてます」と
ツイートした。

すると「〇〇さんは、▲▲を歩いてるよーって」と
パーソナリティからリアクションが。
ツイートにいいねがつく。
「読まれたね!」とリプライが来る。

なんだなんだ?
急に人気者になった。
妙な高揚感に包まれた。

共通点


それから、何度かメッセージを送るうちに、この時に
感じた高揚感の正体を認識するようになった。

それは・・・
ラジオ(投稿)もありのままの自分を受け入れてくれる
ということ。

上手くいったこと、失敗したこと。
笑ったこと、泣いたこと。
良い行い・立派な行いじゃなくたって、誰かに
拾ってもらえるし、何かしらリアクションを貰える。

そうか、ラジオ投稿って祖母に似てるかも。
少し無理やりな解釈になっているかもしれないが
そういう存在に近いものを感じた。

僕が投稿を続けている理由の一つに、そんな背景が
あったことを、こうして文章にしているうちに
色々と思い返している。

深夜の投稿をやるのはもう少し先の話・・・


それ以来、地元の朝や昼の番組の投稿を少しずつ
チャレンジし、楽しい日々を過ごしていた。
が、今のように深夜の投稿をやろうという気持ちは
この時には一切なかった。

勿論、深夜のラジオは地元で聴いていたし、面白い
とは思っていたけれど。
そこから深夜の投稿に心血を注ぐようになるのだが
そのきっかけをこの続きに書くと、とても長く
なりそうなので、次回に回そうと思う。

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