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【雑記】何を信じればよい?「よい」未来とは何?

 あなたは今の日本を、日本の教育や文化をどう思われますか?
 何をよりどころに生徒と接して、何を生徒に伝えますか?

 こんにちは。うぃずです。いきなり重そうな投げかけから始まってすみません。

 先日、といってもだいぶ前になりますが(あえて期間をおいてみた)、国際バカロレア(以下IB)のセミナーに参加しました。海外の理科の授業やテストは日本と違い対話型と聞いていたので、以前からそのテキストの中身および対話させる内容に興味があったこと、そこから転じてIBの高校生過程に相当するDPというプログラムにも興味を惹かれたので今回参加をしてみました。あわよくば所属校で一つのコースとしてバカロレアコースを設置してみることを提案してみてもよいのでは、なんてことも勝手に想像しながらの参加でした。

 ただ、そのセミナーを通して思ったことは「私は(もしくは今の学生は)何を信じればよいのだろう、何をよい未来として考えればよいのだろう、何を生徒に伝えたらいいのだろう。」ということでした。
 急に話が飛んで、えっと思ったでしょう。このセミナーだけではなくこれまでもずっと考えてきたことがここで再確認できてしまったというべきでしょうか。うまく文章化できず伝えきれないと思いますが、ちょっと記録を残したいと思い書いてみることにしました。

 セミナーは午前から夕方まで。午前はIBの説明に続いて、数名でのパネルディスカッション。お昼休みに開催校の学生によるIBの授業の一部紹介。午後は各プログラムの詳細について実践例の紹介でした。

 午前のパネルディスカッションで印象に残った言葉がいくつかあります。それは、
・IBは海外大学のセンター試験というイメージでメディアに出てくる。すると英語が得意な生徒がするんでしょというイメージになるが、これはミスリーディングである。
・日本の大学は点数に重きを置きすぎている。
・IBの生徒は非認知能力がたかい。
・理系と文系に分けるのは日本の大学ぐらいしかない。世界の大学はそんな区別はない。
・日本の大学の、IBの生徒の受け入れ態勢はまだまだできていない。
これらの言葉です。

 以下、IBについて何も知らない私の勝手な受け止めです。(とちゃんとことわっておきますね。以下個人の戯言や否定的な言葉が続きます…。めんどくさい人はここで画面を閉じてください ^^ )

・「IBは海外大学のセンター試験というイメージでメディアに出てくる。すると英語が得意な生徒がするんでしょというイメージになるが、これはミスリーディングである。」

 前半の記述は確かに間違いだと思います。SATなどの、いわゆる大学入試に相当する試験があることは名前だけですが知っているのでこれはメディアの間違い。だけど後者はあながち間違いとは言えないのではないかと感じました。それは、今回パネルディスカッションで登壇された方のバックボーンが英語教育の方のみで、かつIB教育を受けた方であること。昼休みの生徒発表が英語でかかれたポスター発表であったこと、午後の実践例がすべて英語の先生による英語の授業であること(一部だけ違ったが)。このようなセミナーでこれだけ英語関連を並べられると、嫌でも「主導する先生も、関わらせる生徒も英語ができなきゃだめだな」と思ってしまうのではないかと思いました(少なくとも私には)。せめてお一方くらい英語ではない教科の方だったり、日本の教育課程でIBを実践している様子の紹介などがあれば受け止め方も違ったのではないかなと思います。

・「日本の大学は点数に重きを置きすぎている。」

 これは現在の大学入試が変わらない限りは、日本の教育の手法は変わることはないと思います。少なくとも大学入試というゴールを設定されていて、そのゴールが大学入試の点数で決められていて、ほとんどの高校(塾・予備校)は大学入試実績という目で良し悪しを見られている現状では、提言されたことを言われてもなかなか変わらないでしょう。もとよりこの言葉をおっしゃった先生が所属されている大学も従来の大学入試は行っているわけで、そして文科省の方もいらっしゃってるわけで…。
 大学入試がゴールではないということは実際にはそうかもしれないけれど、現実的には現在の高校生のゴールの一つではあるわけです。

・「IBの生徒は非認知能力が高い」。

 お話を聞いているとIB教育では対話を重視しているということなので確かにそうなのでしょう。ただこの言葉からは、日本の教育だけを受けた学生は非認知能力が低いということを強く感じました。なので日本の教育はIBと比べて良くないのではないかということを感じた言葉でした。では今の日本の学生はどうすればいいのでしょう、我々日本の教員はどのような指導をしたらいいのでしょう。悩みは深まるばかり。

「理系と文系に分けるのは日本の大学ぐらいしかない。世界の大学はそんな区別はない」。
・「日本の大学の、IBの生徒の受け入れ態勢はまだまだできていない」。

 この二つについても、今の日本の教育を否定しているようにしか感じ取ることができませんでした。ならば一気には変えられないとしても一定期間の猶予をもって、文科省主導で日本の大学を上記のように変えてしまえばよいのではないかと思いました。今回のセミナーに文部科学省の方も来られておりましたので。

 昼休みにあった学生さんによるIBの教育の一部紹介ポスター発表はとてもよかったです。私のようなIB教育の中身を全く知らない人にも、「CASとは」「TOK(知の理論)とは」「エクステンデッドエッセイとは」について概略を知ることができました。最初の英語での発表はまったくわかりませんでしたが、日本語による質疑応答で理解することができました。

 午後の各プログラム(小学校・中学校・高校)での実践例紹介は前出した通り英語教員の実践例でしたので、「まず教員が英語ができないと、そして生徒も英語ができないと難しいな」という印象をうけました。もしかしたら、おそらく、きっと午前のパネルディスカッションの時点で、私自身かなりの否定的感情を持ってしまったのが大きな要因の一つなのかもしれません。

 いま世の中では日本の教育や教員に対して、日本の教育は遅れている、教員はブラックだ、グローバル化をしなければならない、個別最適化を、学習の機会確保を、・・・といったことが叫ばれています。そんななか最近思うことは「日本の教員は、というか私は、何を“良いもの”、なにを“目指すもの”、なにを“よりどころ”として、なにを生徒たちに伝えたらよいのだろう」ということです。もっというと「自分が良い方向だ、良いことだと思っていることはよいことではないのではないか。ならば今私がやろうとしていること、私が生徒にこうあってほしいと思っていることは生徒に伝えるべきではないしさせてはいけないのではないだろうか。そして結局私はどうしたらいいのだろうか」ということを思い、悩んでいる毎日です。

 いま行っている日本の教育で、ここまで日本は発展してきたという事実はあると思います。半面今の日本の教育に足りないものもあるでしょう。多様性という観点から見て、IBといった諸外国の教育も受けられるコースが日本にもあってよいとは思っています。

 なんとなく二項対立的な話にもっていき「日本の教育はよくない。国際化が大事だ。IBの教育は素晴らしい。」「日本の文化は暗黙の了解があり言わなくても通じるという空気がある、ハイコンテクスト社会だ。でも欧米では言わないことは伝わらない。だから思ったことはちゃんと言うようにしよう。授業についても、今日の授業ではここを理解することだと言ってから授業をすること、評価についても、ここを評価するよと明示すること、これが大事だ。」・・・なんだか日本のすべてを否定されている、そんな感じを強く受けたセミナーでした。

 ここまで辛抱強く、一教員の戯言を読んでくださった皆さん、お付き合いありがとうございます。あなたは今の日本の教育を、日本の文化をどう思われますか?そして何をよりどころに生徒と接して、何を生徒に伝えますか?

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