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お酒の科学【後編】:ビール

ビールはいつの間にか、世界で最も飲まれているアルコール飲料となった。日本も、世界有数のビール消費大国だが、中国やブラジルやメキシコといった人口の多い国の消費量がいまなお伸び続けている。ただ、これだけ身近な飲料でも、僕たちのビールに関する知識は少ない。

冒頭画像は、キリンの「ビール大学」からのコンテンツ引用である。ぜひ、そちらを受講してもらいたい。無料で、多くのコンテンツを学ぶことができる。歴史から科学、そして今日での楽しみ方まで、さすがはビールの王者「麒麟」である。

キリンビール「ビール大学」

本稿は、前回・前々回からのシリーズである。ビールは果たして、醸造酒か、それとも蒸留酒か。非常に簡単な質問だが、その疑問の深さについてじっくり見ていこう。


泡立つビールは醸造酒?

日本酒は醸造酒だ。原料に酒母を加えて発酵させている。一方、ウイスキーは蒸留酒である。醸造したアルコールをさらに蒸留させて、度数を高めたお酒。やや大雑把な言い方をすると、大麦由来のビールを蒸留させるとウイスキーができる。

つまり、ビールとは「醸造酒」なのである。日本酒と似ても似つかないが、それは炭酸の有無だ。

ビールの魅力は、その爽快感。炭酸によってもたらされる「喉越し」だ。淡い香味の、ほろ苦味を有した炭酸入りのアルコール。なお、この炭酸は、日本酒を発酵したときにも生じている。しかし、泡は製造効率の向上を妨げるため、日本酒では嫌われている。それで開発されたのが、泡なし酵母だ。逆に、泡をうまく瓶詰めする仕組みで、誕生したのはスパーリング日本酒だ。


いずれにしても、アルコール発酵では炭酸ガスが生まれる。ここに、香ばしい麦芽香や爽快なホップ香、そしてアルコール発酵によるフルーティーな香りが混じり合い、今日のビールになる。ビールの生命線とは、そのコクとキレだ。

コクをもたらすのは麦芽由来成分である。その麦芽成分が多いほどコクが加わり、逆に(米やトウモロコシなどの)副原料比率が高くなると軽い味わいになる。キレとはその味わいが消失する速さのことであり、麦芽が弱いと、キレになる。ただし、コクやキレは主観的なものであり、全体のバランスにも左右されている感覚値だ。

また、キレに寄与しているのは、苦味のホップ成分でもある。ホップはアサ科の植物だ。殺菌用途もある。大人になるほど、この苦味をアクセントとして楽しめるようになる。ホップの苦味は消えるのも速く、これがビールらしいキレを生んでいる。

醸造酒は「並行複発酵」「単行複発酵」「単発酵」|サケ丸

ビールは日本酒と異なり、「単行複発酵」だ。すなわち、糖化と発酵の工程を分けて行う。発酵のところだけを見れば、(糖化が不要な)ワインと同じである。ワインでも大量の炭酸ガスは発生しているが、ワインは炭酸ガスを飛ばし、ビールはそれを瓶内(缶内)に閉じ込めている。


ビールの製造と研究開発

ビールの定義は、麦芽・ホップ・水を原料としてアルコール発酵させたものだ。その作り方は、簡単に言えば、麦から麦芽(麦のもやし)を得て、これを粉砕、お湯に仕込んで、いわゆる麦のおかゆにする。それを濾過し、ホップを加えて煮沸する。

糖化や煮沸の前工程によって「麦汁」ができているところに、ビール酵母を添加する。酵母は微生物。他のアルコールと同様、酸素がない状況に敢えて置かれ、アルコールと炭酸ガスを作る。

【入門ガイド】ビールってどうやって造られているの?|ビール女子

ビール会社は、多くの酵母株を有し、自社の強みとしている。優良酵母を入手・選抜・育種することで、ビール造りの基礎を支えている。

繰り返しになるが、ビールと言えばその泡が特徴的だ。質感にも関わってくる。ビールの泡は、サイダーやシャンパンの泡と異なり、すぐに消えない。ホップに由来するイソフムロンが、泡(膜)を補強している。高圧で瓶(缶)詰めされ、泡を液中に溶け込ませる。それがグラスに注がれると、瞬く間に、泡に変わる。その白い、美しい泡は、ビールを外気から遮断してくれる。味の劣化を防いでいるのだ。


ビールが劣化する原因は、すでにその成分が判明している。理屈が分かれば、その抑制策は開発可能だ。ビールの泡持ちやキレ味に悪影響を与える物質の生成を低下させる取組が始まっている。

さらに、大麦・ホップの素材自体の品種開発も進められている。二条大麦では、とりわけデンプン含量が多い品種が、20年の月日をかけて実現している。今後はゲノム利用が当たり前になってくるため、研究は加速するだろう。そしてゲノムプロジェクトは、ビール酵母にまで及んでいるという。


ビールは最古のアルコール飲料

こんなビールの歴史は意外に古い。材料が穀物の王者・麦であったためだ。麦はパンにして食べ、その風味をよくするために大麦を用いた。その大麦が入ったパンを水に漬け、自然発酵したものが古代ビールである。

最古のビール造りの記録は古代バビロニア(現在のイラク北部)。シュメール人の残した楔形文字に詳細な記録が残る。当時はまだホップが使われず、それでも色の濃淡、濃度の強弱、原料配合のいかんによって19種類のビールが醸造されていたらしい。

世界最古のビール工場が発見された|Egypt unearths 'world's oldest' mass-production brewery

その後、舞台はエジプトへ。こちらでもビール醸造の記録が壁画で残されている。エジプトでは、サワーパン生地(乳酸発酵)やナツメヤシの発酵液を用いて酵母の培養にも取り組んでいたようだ。そのエジプトビールの種類は豊富で、滋養に富んだ「液体のパン」であったのかもしれない。


欧州にてあらたに淡色ビールが誕生

今日、ビールと言えば、ドイツ。ゲルマン民族は、古来よりビール醸造を覚え、9世紀のザンクト・ガレン修道院(北スイス)では相当規模の醸造がなされていた。この時代にちょうどポップの使用が始まった。ホップにはほどよい苦味の他、雑菌繁殖を防ぐ力があり、かつ麦汁の混濁防止効果が評価された。1516年には、バイエルンで、ビールの品質を守る法令が発布され、本格的な量産時代に入った。

ザンクト・ガレン修道院のビール製造(St. Galler Beer)|patotra

酵母は何度も使い回しされていた。前回発酵した後の残渣を用い、低温(の時期に次の)発酵を行う。残渣は下に沈んだ酵母である。古代は上澄み酵母を用いた方法だった(上面発酵と言われる)が、徐々に下面発酵が増えていった。

もう少し詳細に言うと、酵母には、上に浮いてくる(上澄みの)ものとは別に、徐々に沈降していく酵母がある。異なる種類の酵母だ。その後、夏季に氷を入れて貯蔵し、冬季からそのまま沈んだ酵母を用いる(低温)発酵が採用された。冬の発酵によって、変質や腐敗を避けられるようになったのだ。

こうして、従来の上澄み酵母を用いていた発酵が、「下面発酵酵母」に取って代わった。香味が穏やかで、飽きがこない味わい。さらに時代がくだると、技術者がバイエルンからボヘミア(チェコ)に移った。そこで開発したのが、すっきりしたキレのある、喉越し重視の淡色ビールだった。こうしてボヘミアのビルゼンという都市が、あらたな産地として名乗りを挙げた。今日でいう「ピルスナービール」の誕生である。


ビールに科学のメスが入ったのは19世紀

ビールは、アルコール醸造をもっとも古い歴史に刻み込んでいる。しかし、その醸造原理が明らかになったのは19世紀である。「発酵は生きている酵母が行う生命現象」だと結論づけられたのが始まりだ。その後、カールスバーグ研究所では酵母の純粋培養に成功。これを当時の新技術・アンモニア冷凍によって前進させた。世界中どこでも、ラガービール(低温貯蔵・熟成ビール)が造れるようになったのは、この冷凍技術のおかげである。

ついでに、低温殺菌にも触れておく。ビールはもともと、ホップやアルコール、炭酸ガスの作用によって殺菌力を有していた。しかし品質を万全にさせるほどではなかったため、同じ頃、アルコール分が飛んでしまわない程度の熱処理手法が、「低温殺菌」(60度30分の熱処理)として確立した。

ビール醸造の技術が日本に伝わったのは、明治維新の熱気が冷めやらぬ1876年。札幌に開設された官営の「開拓使麦酒醸造所」で始まった。サッポロビールの前身である。導入されたのはピルスナービール。あのボヘミアの淡色ビールであり、その後、世界でも主流になっていく。

サッポロビールの発祥地・開拓使麦酒醸造所


日本でも若干「奇妙」な進化

勝者・ピルスナービールに対して、各国には多様なビールが発達する。ベルギーでは、チェリーやカシスなどの果実、コリアンダーやオレンジピールなどのスパイスやハーブが加えられた。かなり個性的である。

他方、日本では、税率に対応するという異様な進化をした。そのひとつが「発泡酒」である。麦芽が少ない状態では、酵母に正常なアルコール発酵を促すことができない。そこで日本メーカーは、麦芽品種やアミノ酸が多い副原料を選び、発酵材料を増やそうとした。また泡持ちが難しくなる課題には、プラスに作用するタンパク質をできるだけ残し、マイナスに作用する脂質酸化物を低減させる方法でしのいだ。

日本の酒税法に合わせ、麦の使用をどんどん減らす開発は、近年、究極のところにまで行き着いた。それが「麦芽を使わない」「ビールテイスト」の飲料だ。麦に代わったのは、たとえばエンドウ豆だった。エンドウはタンパク質が主成分であり、ポリフェノールやタンニンなど渋み成分をほとんど含まない。逆に、麦がない分、ホップ特有の爽快感が引き立ち、発泡酒らしい味わいを生み出した。

ビール、発泡酒、第3のビールの原料使用比率による分類


最後に、近年は若者の「ビール離れ」が言われるようになった。過度なアルコール依存から遠ざかるのは良いことだが、文化としてのビールを知らないまま、遠ざけてしまうのはもったいない。

ビールの最大の特徴は「ゴクゴク飲めて爽快」であること。炭酸割りのチューハイにはない、喉越しでもある。そんなビールにも種類がある。一杯目はその爽快さゆえの「ピルスナー」、二杯目にはフルティーなビール、三杯目には英国の伝統的な上面発酵系のエールをちびちび飲むのはいかがだろう。

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上記画像は、種類別ビールグラス・ジョッキの選び方|飲食店用品.jp

以上、アルコールについて三本の連載をまとめてみた。ウイスキーには、酒好きの玄人を楽しませる歴史的な技術がある。日本酒には、日本人の知恵がたくさん詰め込まれている。そしてビールは、グローバル競争の中で、日本勢にしのぎを削ったもらいたい分野だ。なぜなら、日本にはビール大手が存在し、強大な経済圏をバックに、思い切った投資がしやすいからだ。アルコール好きではなくても、生命科学の一つとして、この分野の動向に注目し続けてみたい。



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