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【思い出】はじまりの日

「僕のこと」の投稿で高校で演劇部に所属し、
大学でも舞台関係の学科に通っていたことを書いた。

ちょうど就職の時期が
リーマンショックや震災が重なり
就職氷河期であった。

裏方業界も自粛ムードのため
採用を見送るという会社が多かった。

そんな中でバルーンを扱う会社が
アルバイトからならと言って下さり、
働き口を見つけた。

ウェディングの装飾や
バルーンの販売などを通して、
様々な経験が出来て楽しかった。

アルバイトから社員登用のお話をいただいた頃、
ちょうど裏方の会社で採用が再開された。

バルーン会社の皆さんに恩はあったものの、
裏方での仕事に就きたい気持ちは消えておらず
その気持ちを素直に伝えた。

この時に採用募集をしていた会社は
学生時代からの憧れの美術系の会社だった。

製図などを行う部署の募集で迷わず応募した。

しかし結果は不採用だった。

でもなんかまだ行ける、やれる気がしていた。

そんな矢先に同じ会社で営業の募集が始まった。

もう一度送ってみよう!!と思い、
エントリシートを書き直して再応募してみた。
(家の購入といい、20代の私は不屈の精神の持ち主だったなと思う。笑)

結果はあれよあれよという間に進み、採用決定。

あとから面接官だった役員に採用理由として
「エントリーシートに書いてあった
『人と人を繋ぐ接着剤みたいな存在』という言葉に
男性社会の1匹オオカミたちを繋ぐ役を担って貰えると感じた」と言われた。

このキャッチフレーズは
大学時代の同じゼミで毎日を過ごした友人が
卒業の際に手紙に書いてくれた言葉だった。

2度も応募してきた変わり者を
きちんと人柄を見ようとして採用してもらえたことが
うれしかった。

それから一時期社内で事務をやった時期もあったが
同じ会社で9年近く、営業職でテレビ美術に携わった。

携わった、と過去形なのは
こんなに思い入れがあった会社だったが退職をした。

理由はコロナ。
就職活動中とは比にならないくらいの
舞台、イベント、テレビの低迷。
実質仕事がない状況で減給が余儀なくされた。

このままでは家を手放さなきゃいけない、
家と仕事を天秤にかける。
私には家の方が重かった。

そして全く違う異業種へ転職した。

あれから3年強が経った今、
結果的に私は美術系の裏方に戻っている。
以前勤めていた会社とは別の会社だが
狭い世界なので前職の方々とも会うことも多い。
変わらずに接してもらえることが本当にありがたい。

なんでこんなにも裏方の仕事にこだわるのか。

そのはじまりは1996.5.25。

両親と共に劇団四季のCATSを観に行った。

ゴミの中という設定の劇場を
駆け回る猫に扮した役者たち。

とてもときめいた。
その日の帰り道に将来はこの舞台に携わる人になろうと漠然とだが思ったことを覚えている。

それからその思いは変わらないまま、
高校の進路選択の時を迎えた。

私が通っていた中学では
進路の相談をどの先生にも予約して
話を聞きに行くことが出来た。

舞台の美術だからと美術科の先生に進路相談に行ったところ、
たまたま息子さんが大学で舞台の勉強をしている、
彼の方が詳しいと思うと大学で会えるようセッティングしてくれた。

息子さんから高校でも演技の授業がある学校はあっても裏方についての授業はなかなかないと思う、
まずは演劇部のある高校で活動して、大学から本格的に学んではどうか?と話してもらった。

この先生親子と出会っていなければ
また違う進路を選んでいたかもしれない。

ゼミ仲間からのキャッチフレーズがなければ、
面接官が違う人だったら採用もされていなかったかもしれない。

縁は不思議だし、
この進路と職業を選んで正解だったと思う。

子供の頃からの夢を叶える人は
5人に1人と言われているらしい。
https://s.resemom.jp/article/2016/02/19/29762.html#

私はこの5人の1日に入れたのかと思うと
とても幸せなことだ。

今の子供たちにはやはりYouTuberが人気なのだろうか?

どんな夢にしてもやりたいことを夢見れる世界であって欲しい。

私のはじまりは1996.5.25。
この日があってよかった。

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