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自分に恥ずかしくない生き方

新聞を読む理由

私が新聞を読むのは、
女手ひとつで育ててくれた母の影響が多分にあります。

母は新聞のお料理の記事や
人生相談コーナーの回答なんかを切り取って、
冷蔵庫にペタペタ、貼り付けていた人でした。

私が結婚した30年近く前は
新聞を契約するのが当然のような感じだったと思います。
社会人として必要、みたいな?

私はアンデシュ・ハンセン先生が紙で学ぶ良さを説いているのと
老眼でスマホの画面がなんとなく疲れるのもあって、
いまだに新聞は、紙派です。

これまでの私の生活には、
仕事や子育てと介護も入ったりして、
新しいまんまの新聞が積み上げられるときも多々ありました。

新聞の山を見ると「やめちゃおうかな~」と思うのですが、
それらがなんとなく落ち着いて、
少し時間ができると、読みはじめている。
なんで、なんで、自分にもよく分からないのですが
眠いのに新聞を読む。

今はスマホをのぞけば、
社会がどんなふうに動いているか
簡単に知ることができますが、
私の子育て時期には、仕事をしていない時期がありましたし、
社会とのつながりをつなぎとめるために
新聞を読んでいたように思います。

今のようにインターネットなんてない時代。

電話音で起きてしまう子どもを起こさないために
連絡するのにメールっていう方法があるんだよ、と
夫が私専用のパソコンを買って帰ってきてくれたことが
昨日のことのように懐かしく思い出されます。

いちいち気になる

新聞では読者コーナーから発せられる人々の声から
元気づけられたことがたくさんあるし、
健康欄では自分の子どもの病気をみつけたこともあります。

新聞は自分で読みたい、と選んだ情報ではないので、
興味のないこともたくさんありますが、
世の中にはこんなことがある、と
情報を発信してくれる「新聞」があるおかげで
私は学ぶことが出来ています。

その中で年を重ね、私のアンテナはニュースに対して
「なんでそうなるの?」と、
いちいち気になるようになってきました。

考えたことを夫や子どもたちに話すことはありますが、
解決にはなりません。
(夫や子どもたちには悪いですね。)

腹が立ったり、悲しかったり、
自分の力だけではどうにもならないことが
たくさんあるけれど、
自分の生活の中に何かできることがある気がして
いつも考えています。

大きなことはできないけれど
自分にできることは
「忘れないこと」かなと思っています。

自分の中で思いつづけることで
何か少しでも社会に貢献できれば。

そんなふうにいつも考えています。

恥ずかしいと思ったこと

東日本大震災が起こって、福島で原発事故が発生したとき
日本の電力ってそういう方法でまかなっているんだ、と
知らなかったことを恥ずかしく思いました。

「原子力」という言葉は聞いたことがありましたが
それが何なのか、自分たちにどんな影響を及ぼすのか
何も知りませんでした。

でも恐ろしい思いをして、
こんなことを後世に遺すのは嫌だと思いました。
だからと言って自分にできることは限られていて、
放射線量を測ることに参加したり、
節電に気を配ったり。

電気をできるだけ使わない生活をするなら
まずはリサイクル、ごみの分別だ、なんて自分勝手に思って
今に至っています。

原発事故が起こって、今年で12年が経ちます。
政府はこのことを忘れてしまったのか
原子力を推進しています。

核燃料の再処理工場はいつまでも経っても完成せず、
核のゴミの行き先はみつからなくて。
使用済み核燃料の一部をいずれフランスに持っていく、
なんて話もあります。


再処理工場に関する総事業費はすでに14兆円を超え、
1997年に完成するはずだった予定は、延期が26回。

火力発電のCO2も削減しなければならないし、
日本ではエネルギー自給率も低いから
他の発電方法に切り替えていかなければならないのは
分かるのですが、
答えの見えない「原子力」を選択するのは嫌だなと思います。

こんなに暑かった夏。
上手にバランスをとりながら、
地球温暖化に歯止めをかけないと、と思っています。




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