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小学校の卒業式、干からびました。

ええもうそりゃあカラッカラに。


水曜日に無事、次女の小学校の卒業式を迎えることができました。結局ビックマムへの色紙は当日の朝にしか完成させることができず。あれ不思議ですね、どんなお礼の言葉もどんな感謝の言葉も陳腐にしかならない。


次女が入学したのは6年前の春でした。当時はあまり言葉もなく、それこそ排泄も自立しておらず、見通しが立たないことが苦手でパニックを起こすことも頻繁にあり、その都度四苦八苦しながら親が対応している状況でした。

入学前の特別支援教育コーディネーターとの面談では、「これから先、人生の中で予測のつかないこともたくさんあると思うので、あまりスケジュールを決めてやることに抵抗を感じるんです」なんて言ってました。いま思えば次女に対して申し訳ないことしきり。まあでも仕方がない。見通しが無いことがそんなにそんなに負担で、見通しを持たせることがそんなにそんなに効果的なんてこと、何も知らんかったから。

入学式の前日、初めてビックマムと会いました。特別支援学級においてだけは、いわゆる「見通しを持たせる」ための取り組みとして、前日にクラスと担任発表がされるようになっています。そして入学児童については入学式前日にそれを聞かされて、入学式の雰囲気や様子を見ながらリハーサルすることができたのです。


次女、大暴れ(滝汗)。


横にあったチューリップはなぎ倒すわ、その辺に飾っている絵にすらイチャモンを付けるわ(〇〇おしまい!!!というのがその時の口癖でした)、並んでいる椅子を蹴り倒すわ、大の字になって泣き出すわ。その時もビックマムはあんまり動じずに、次女と目線を合わせながら一生懸命理解してくれようとしていました。まあ、魔法使いじゃないから、すぐに「ほらっ」て言って次女の様子が激変するようなことはありませんでした。(あ、その時から、過剰な声掛けの無さについては突出していました。つまりは対応として素晴らしかった。)

当日、結局は次女のそばには私が付き添い、入学式の間中、横に座っていました。その際にもビックマムは「お母さんが横にいてもらって良いかな」という類のことを話しながら、それでも「お友だち、同級生が周りにいるのは昨日とは大きく違うと思います。子どもたちは子どもたち同士の雰囲気を見ながら動くことができますから、次女ちゃんもきっと、周りの子どもたちを見ながら、動くことができますよ」と教えてくれました。

そしてその通り、次女は入学式に多少飽きたりもしながら、もぞもぞとしながら、大暴れすることなく座ることができました。ビックマムすげえな。


そして6年経った卒業式。

私たち両親が付添する必要もなく、加配の先生や支援員さんが付く必要もなく、次女はしっかりと自分の両脚で自分の場所へ行って、自分の役割を果たしていました。呼名されるタイミングで起立し、礼をするタイミングで礼をし、一斉に動くタイミングで動くことができていました。

私はというと、6年前と今この瞬間と行ったり来たりしすぎて、頭がオーバーフローを起こしていたのか、途中過呼吸気味になるくらいの勢いで、最初から最後までただただ一人泣いていました。同じ支援級の卒業生のお母さん友だちに会ったときも「あんた、もう泣きよんかい」とド突っ込み入るほどの光の速さでした。先生たちが、保護者を泣かせようと目論んでいたプログラムとか丸無視です。ここは泣くポイントだよ!的なところとかも全スルーして、ただただずっと泣いていました。

ビックマムは、特別支援学級の担任でもなく、6年生の担任でもなく、その他大勢の先生の中のひとりだったので、卒業式では裏方に徹していました。最後に先生に会って、お礼を言おうとしていたのですが、開口一番「もうチューリップ倒していないね!すごいね!」と満面の笑みで言われて、もう駄目でした、ダム決壊。わたしの中の堤防は崩壊。

ああ、この6年間一緒に子どものことを育ててくれてありがとうございます。一緒の気持ちで子どもの将来のことを考えてくれてありがとうございます。そんな気持ちを込めて、そりゃあもうぶっさいくな顔で色紙を渡しました。ちゃんと渡せてよかった。


と、いうことで、カッピカピに干からびた卒業式でした。

次女はというとカラッとしたもんです。親の心なんたら知らずです。それでよい、万事オッケー。良い春でした。




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