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蕎麦打ちをするといいことがいっぱい

蕎麦打ち初心者です。
毎週末、蕎麦を打っています。

去年、歴史旅で訪れた信州上田でとびきり美味しいお蕎麦に出会い、その時私の「そばスイッチ」が入ったと思われます。

やっぱり蕎麦って美味しい。そういえば昔、父の知人が打ったというお蕎麦、美味しかったなあ。私にもできるかしら。

それで今年になって「蕎麦打ち体験」に参加。十割蕎麦を打たせてもらい、試食して手打ちの美味しさを確信。

翌週には蕎麦打ち道具を揃えていました。それ以来、ほぼ毎週蕎麦を打っています。

定期的に蕎麦打ち教室に通う方もいるそうです。それは多分定年退職後のオジサマとか、普段料理をしない人ではなかろうか。家でやると嫌がられるとか、または蕎麦教室に通うこと自体が趣味、みたいな。

だって、こういうのは自分で繰り返しやって体で覚えるしかないんじゃない?言語習得と一緒で、理論より実践の量でしょ。授業料と交通費もばかにならないし。
基本がわかったら、あとは実践あるのみ。トライ&エラー。わからなくなったらYouTube先生に聞けばいい。

でも実際、私が毎週蕎麦を打つのは練習のためというより、食べたいからです。

上手くなっているかはわかりませんが、とりあえず段取りは良くなりました。

冷水でしめるための氷を準備しておくとか、蕎麦湯を飲むから茹でる水は浄水!とか、
暑くなるから薄着、裸足になっておくとか。
こういうのは蕎麦打ち教室では習得できません。

蕎麦打ちを始めたら、いいことが色々ありましたよ〜。

蕎麦打ち体験で自作の蕎麦を試食


[いいことその1]

楽しい、美味しい、体にいい。

これは説明不要でしょうね。
まず、自分で作るってやっぱり楽しいです。
そして太さバラバラだろうが短かろうが、打ち立てを茹でてキュッと冷水でしめれば絶対美味しいのです。美味しい蕎麦湯だって飲み放題です。腹もちもいい。
ビタミン、ミネラル、タンパク質、食物繊維、みな豊富。血糖値の上昇が緩やかで太りにくい。ついでに蕎麦湯は痛風にもいい。(夫が痛風です)

[いいことその2]

おもてなしがこれひとつで!

決して料理好きではない私は、客が来るというと「どうしよう、何つくろう」とグズグズ悩みます。そして結局ろくなものが作れずたいてい失敗します。

先日も、長女夫婦が来ることになりまして。
「うーむ、こないだもシューマイだったしなあ、どーしよっかなあ」(シューマイが私の唯一の得意料理)

「あ、蕎麦打っちゃうか」

蕎麦を打つと、喜ばれます。というか、まず面白がられます。
ありがたがって食べてくれます。

シューマイも喜ばれます。けど「シューマイだけ」ってわけにいきません。ご飯も炊いて、ほうれん草の胡麻和えやらきんぴらやら、副菜も考えなあかんわけです。それでしっちゃかめっちゃかになるんです。

蕎麦なら、シンプルにざる蕎麦だけでも許されます。

「一生懸命アナタのために打ちました」

もうこれだけで立派な「おもてなし」じゃないですか!?(と私は思うのです)

目の前で打って、ちょっと手伝ってもらったりしたら、もうちょっとした「イベント」じゃないですか!?(と私は思うのです)

もしも、そこに大根おろしとか、なめことか、とろろとか、あるいは卵焼きや舞茸の天ぷらなんてものが添えられた日にゃあ、それはもうとんでもないご馳走じゃないですか!?(と私は思うのです)

あんまりみんなが作らないものを手づくりすると、それだけで「おもてなし」になるということに気づきました。手づくりって、なんだか豊かな時間をつくってくれると思うのです。

そしてそのおかげで、主菜やら副菜やらを色々悩まなくて済みます。ウッシッシ。


[いいことその3]

「自分でできること、意外とあるかも」

蕎麦は、何年も修行した職人さんが作るもの。難しいだろうと思っていました。

でも、実際やってみた感想は
「意外と...簡単?」

だって、材料は蕎麦粉と水だけ。あとは使ってもつなぎの小麦粉だけ。(二八そばの場合)
とにかくこねてのばして切ってゆでれば、素人がやってもちゃんと蕎麦になります!

私はパンも作るけど、蕎麦はパンよりずっと簡単。材料が圧倒的に少ないし、発酵もいらないから。パンみたいに「再起不能な失敗」は起こらない。
パンは作り始めて食べるまでに最低3、4時間かかるけど、蕎麦は慣れれば1時間もかからない。あら意外。

蕎麦は買うもの。お店で食べるもの。特別な技術を持った人がつくるもの。そう思っていたけど、違った。

蕎麦は誰が作ったっていい。

素人の手打ちそばのおいしさは、家で炊く白米の美味しさと似ているように感じます。

五つ星レストランの味とか、老舗の味と比べるようなものではない。

シンプルに自然の恵みをいただく美味しさ。


技術がどんどん進んで、新しい商品やサービスが次から次へとつくられ、「買うもの」や「やってもらうもの」の範囲がどこまでも広がっていますね。

車、家電(このへんはわかる)
料理、掃除、育児(場合によってはわかる)健康管理、ペットの散歩、服選び、執筆、創作...(もうわからない)

本当は自分でできること。
できれば自分でやったほうがいいこと。

そういうのって結構あると思うのです。

「できない」というのは単なる思い込みかもしれません。
「できない」と決めて全部を機械任せ、人任せにしていたら、いつか人間は後戻りができなくなるのでしょうね。

冷蔵庫なしの生活にはもう戻れない。
(私はね)

車なしの生活。
スマホなしの生活。
AIなしの生活。

戻ろうと思った時、戻れるでしょうか。

そりゃあね、買った方が早いですよ。蕎麦だってパンだって味噌だって、手づくりは時間がかかる。時短時短と叫ぶ世の中だというのにそんな時間のかかること...

だけど、いつもできたものを買うだけだと、何も考えないんですね。
こっちのほうれん草の方がキレイとか、こっちの卵の方が安いとか、店に並んでる姿しか見ない。
どこから、どんな経過を辿ってそこに並んでいるのかを考えない。

堤未果さんの「食が壊れる」を読んだ時、衝撃を受けました。
私たちは、知らなすぎる。 
自分が毎日消費するものが、どこでどうやって作られているのか。その周りで何が起こっているのか。

手づくりをすることは、それを考えるきっかけにもなるのではと思います。 

決して無駄な時間ではないと思うのです。

知ることは、考えることの第一歩。

なんだか大げさな話になってしまいましたが、とにかく私はこれからも蕎麦ライフを楽しみます。移住先(予定)は蕎麦どころでもあります。地元の蕎麦粉で蕎麦を打ち、自分で作った野菜を天ぷらにして...あーなんて贅沢!
いつか蕎麦の栽培もしてみたい...

そんなことを夢見る、今日この頃です。

まず「蕎麦」って漢字で書けるようになろ。

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