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タバコ代を稼ぎたい

 noteをはじめる。
 わたしは名を東千茅(あづまちがや)という。1991年生まれ、男。2015年に大阪から奈良県宇陀市に移り住んで、ほなみちゃん(稲)・ひだぎゅう(大豆)・ニック(鶏)たちとともに里山生活をおくっている。その生活の模様を『つち式』という雑誌にまとめて自費出版してもいる。

 自己紹介としては以上のように言うしかないのだが、おそらく世間一般の目からみれば不可解であろう。肩書きらしい肩書きもない。しいていえば「里山に生息するホモ・サピエンス」、より社会的には「雑誌『つち式』主宰」といったところになろうか。
 まあそんなところだ。くわしく知りたい人は『つち式』を買って読むのが早いだろう。あるいはTwitterをフォローしてくれたらいい。そして、このnoteを読めばいい。

 noteを開始するに至った経緯をいうと、先日、Twitter上である人にそそのかされたからだ。

 左様、金のためである。もちろん、noteで大金をせしめられるなどとは露ほども思わないが、せめてタバコ代くらい手に入れば欣快である。

 さて、事の発端となった2018年12月24日の連続ツイートをつなげて以下に掲載する。

 クリスマスイブかなんだかしらねえが、俺はきょう、手伝ってくれといわれた仕事に行ったのち、熱烈な勧誘をうけた。なんなら社員に、と。自ら望んでふらふら暮らしながら目下金欠の俺には、なかなかこれは心が暗くなる出来事である。このような状況を呼びこんでしまったということに深く恥じ入らねばならない!
 「いま人手不足やから来てくれたらうれしい」「東くんやったら喜んで雇うよ」「うちに来たら厚生年金あるで」「この技術身につけたらつぶし利くよ」「もう28なんやったら所帯もつこと考えなあかんのちゃう」――なんと真っ当なあたたかい貴重な申し出だろうか。
 だがこの話を受けるべきではない。こうしたイイ話に乗る気なら、わたしはとっくの昔に乗っている。今までいくらでも機会はあったのである。それらを不遜にも蹴散らしてきたのは、そうして得られる「幸せ」が自分にとって大きすぎる(あるいは小さすぎる)という自覚があったからだ。
 どうしようもない気質ゆえのなりゆきではあるものの、シアワセの受取拒否をしてきた結果、わたしは別種の悦びに頭から浴してきたのではなかったか。『つち式』もそうして成ったのではなかったか。にもかかわず、目下少々金欠だからといって、そうしたシアワセを易々と受け入れるかのように自分を見せてしまっていたとは言語道断である。
 まあこれは、わたしの人当たりの良さ(の演技)の所為だともいえるし、わたしの中途半端な器用さの所為だともいえる。しかし、だとしてもこれは、無頼を自認する人間にとって由々しき事態である。真の無頼漢であれば、他人をしてマットーな人生を語らしめる状況を招くことさえないであろう。人生の汚点というほかない。
 そして、何より忸怩すべきは、いま金欠だということである。いや、未払いのが何個かあって、その内一個はかなりデカイし、それらが支払われればまあいけるのだが、すくなくとも現状、まわりから「あいつあんま働いてへんのに楽しげに生き延びてやがる」と思われるぐらいの金がないのである。
 縷々述べたが、今回の本当の原因は、偏にわたしの体調である。上に述べたことどもは大した問題ではない。わたしの演出が行き届かなかったのも、金欠に慄いたのも、ぜんぶ風邪のせいだ。だいたい、金欠でなかった時などない。そして俺の風邪は恢復しつつある。つまり、一連のツイートは風邪の症例である。

 とまあ、このように書いたのである。それを、どういうわけか上記のように逆巻さんに褒められ、noteでの小遣い稼ぎを勧められたので、はじめる。
 もっとも、わたしはブログもやっているから、内容的にどう棲み分けるかが課題ではある。おそらく、ブログにはほんとうに書きたいことを、noteには遊び半分の日記っぽいことを書くことになるのではないかと思われる。

 とにかく、わたしはタバコ代を稼ぎたい。
 現在わたしは、生活費をさまざまな仕事によってなんとか賄っている(草刈りや庭木の葉刈り、家庭教師、公園整備、大工手伝い、水道屋手伝い、等々)わけだが、極力働きたくはないのである。多くの時間を、空の下と土の上での自給仕事や文章を書くことにつかいたいのである。
 noteには、なけなしのサービス精神でおもしろいものを書くよう努める。といっても、べつに金を払わないと読めないような仕様にはしない。一応最後まで無料で読めるようにはする(あんまり仕組みを理解していないが)。

 だから、どうか、金持っててやさしい人は、タバコ代ちょうだい

#随想 #エッセイ #つち式  


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