見出し画像

子供の頃から続いている趣味、理由

私は熱しやすく冷めやすい。
続いた趣味は、イラスト・ゲーム・歌・ギター・ベース・カメラ
今でも続いていることはカメラのみだ。

イラストなどを全く描かなくなったわけではない。
ふとしたとき、描く。歌う。弾く。
しかしそれが続くのは何日か、あるいは数時間。

毎日ではないが細く長く続いている、そんな趣味がカメラだ。

理由はなんとなく自分でもわかる。
幼い頃の記憶、祖父に褒められた。

当時まだフィルムが主流だった頃、祖父の一眼を借りて団地の10階から撮った景色。桜を背景に撮った自分の三輪車。祖父の田舎、いわきの海。
やり直しの効かない1枚を噛み締めてシャッターを切った幼少期を、覚えている。
そして、どの写真も祖父は褒めてくれた。

「水平に撮れてる」「構図が良い」「ピントが合っている」

当時は意味がわからなかったが、25年ほど経ってもはっきり覚えているということはきっと祖父なりに意味も教えてくれていたのだろう。

他の趣味はと言うと褒められた記憶がない。
正確に言うと、覚えていられるほどの褒められ方をしなかったのかもしれない。
母は褒めるなんてことはしなかった。
祖父はいろんなことを褒めてくれた。
なので、褒められなかったということはきっとない。

その中で唯一褒められたときの言葉も覚えているカメラ。
今と違い撮ったものをすぐ確認できないし、SDカードなんてないのでフィルムを使い切ったら終わり。
1枚1枚に子供ながらに魂を込めていたこと、現像が終わるまでのワクワク、出来上がった写真を見たときの高揚感を忘れられないから今も私はカメラを握っているのかもしれない。

実際、撮ったものがすぐ確認できない枚数制限もある「トイカメラ」というものにも一時期ハマった。
ファインダーはお飾り、画素数もガラケーなんかより低く粗い。フラッシュなんてないし露光やホワイトバランス、ピントを合わせるなんて概念もない。
パソコンに繋ぐまでのお楽しみ。そんな乾電池で動くカメラにはまっていた。

トイカメラの話はさておき、私は写真を思い出に残すというより、自分が見ているものを、カメラを通して目で見たものとは違うものに変えるのが好きだ。
そのルーツもきっと、幼少期の撮った写真と現像後の相違から生まれたものかのかもしれない。

何が言いたいのかと言うと、意外と趣味というものは子供の頃に褒められたことが続くのではないかということ。
勿論、大人になってから沢山褒められて趣味になることもあると思う。
ギターが趣味の友人も、子供の頃母親に「あんたのギターは安心して聞ける」と言われたことを覚えているらしい。
裁縫が好きな母も、子供の頃父に褒められた記憶があるらしい。
料理が趣味の祖父は、母と叔父(祖父から見たら娘と息子)と私が沢山美味しいと言ってくれたから好きで続けられているのかもしれない、と言っていた。

そして全く関係ない話になるが、この文章を通して"かもしれない"という言葉を多用している自分に気付いた。語彙力の無さとはこういうときにバレてしまうのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?