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心と身体がよろこぶお茶との出会い

私たちの生活に深く根付き、生活の一部になっている" お茶 "。
そのお茶のこと、私は全くといっていいほど知らなかったらしい。

先日初めて中国茶のティーサロンを経験する機会があった。
なぜ参加することになったのか・それを主催する方との出会いの話などはまた別の機会に書きたいなぁと思う。
(人との出会いって本当に不思議。そう思わせてくれる出会いだったのです。)

お茶を飲んで、全身がよろこんでいると感じたことって今まであっただろうか。
うーーん。記憶する限り、ない。

よろこびって、瞬間的な感情をイメージすることが多いかもしれないけれど、今回感じたのは、持続的な、内側からじわじわしみじみって感覚だった。

少し前に読んだ食事についての本に、そのときの私の感覚と似た表現があったので引用させてもらいたい。

脳が喜ぶおいしさと、身体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。(中略)食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体がきれいになったような気がする…というあれです。一つ一つの細胞が喜んでいるのです。それを身体の心地よさで伝えてくれているのです。

土井善晴「一汁一菜でよいという提案」(新潮文庫)

お味噌汁やお米は、お肉やマグロのようなインパクトのある美味しさはないけれど、普遍的なおいしさ、安心するおいしさがあるという話をされている文脈の中の一節。

今回飲んだ中国茶もそうだった。脳で感じているというよりは、身体が感じていた。気持ちもほどけた。


そして、なんとも不思議だったのは、飲んだ後、私の中に一本の芯が通ったような感覚になったこと。

3種類飲ませていただいた中のひとつが、よりはっきりとそう感じた。
しかもそのお茶は烏龍茶。馴染みのあるお茶なだけに、本当に驚いた。
お茶が喉を通り過ぎた後、私の中にまっすぐ落ちていって、お腹の辺りからじんわ〜り熱が伝わってくる。
(私はまだ3種類しか知らないけれど、お茶によってもこの感覚が全然違う!)

自分の内側に、優しいながらも力強い火が灯ったように思う。

何があってもこのお茶がそばにいれば大丈夫、そう思えそうなお茶との出会いでした。

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