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藍染惣右介は「醜態」だの「常軌を逸している」だの言わない。 それは事実なのか考えなのか。 読売新聞の社説は滑稽、あるいは狡猾だった。

 他人からの非難は、すべてその人の個人的意見だと考えましょう。完璧に意見を排した事実描写はあり得ないからです。

 言い合いで、強い言葉で相手を避難する人、いますよね。
「〇〇なのは、誰が考えも分かることじゃないか」
「そんなの当たり前だろう」
「明らかに〇〇じゃん」
 自分の側の意見が、あたかも事実であるかのように言う。それでいて相手の側の意見が愚鈍で、そんな考えに至ったのがいかにも頭の悪いことであるかのように避難する。

 でもですね。議論になっている時点で、どちらにもそれなりに分があるということなんです。まったくの的はずれな意見では、言い合いにすらなりませんから。例えば先日ファミレスで、隣の席のこんな会話を耳にしました。お父さんとお母さんが、子どもに赤身肉を食べさせるかどうかで言い合いしていたのです。

お母さん「(運ばれて来た肉に赤身が混じっているのを見て)どうする? まだ生だよ。食べさせる? (あんた)取り替えてもらってよ。」
お父さん「(食べさせても)いいんじゃない? そのくらい」
お母さん「ダメだよ。何言ってんの? カンピロバクターだよ。」
お父さん「(取り替えるのは)店にも迷惑だろうし。(子どもにとって)良いのも悪いのも食べた慣れた方がいいんじゃない?」
お母さん「ダメだって言ってんでしょ。話になんない」

 お母さんは食中毒のリスクを気にして、生焼けの肉を子どもに食べさせたくない。お父さんは、子どもに耐性をつけさせたいのか、それとも単に面倒なのか、そんなことは気にしない。お母さんは最後、「話になんない」と言って強い言葉で断罪していました。けれど言い合いになっている時点で、どちらの言い分も、言い合いとして成立するほどは対等なんです。食中毒リスクを気にするお母さんの言い分も筋が通っているし、そんなの気にしないお父さんの言い分も筋が通っている。お母さんの方が強い口調でお父さんに話していましたが、人類の誰もが皆、このお母さんの意見に賛成なわけではないでしょう。範馬勇次郎も「毒も……栄養も……」という名セリフを残しています。しかも実際、目の前に自分の意見に賛成しないお父さんが座っているわけです。この時点で、自分の側が「どう考えても正しい」わけではないのです。
 これが例えばジビエ料理の店で生肉が運ばれてきたら、誰だって「料理を取り替えてくれ」と言うでしょう。ジビエの店で生肉なんて出されないでしょうし、たとえ間違えて出されたとしても、「取り替えて」というお母さんの言い分にお父さんもすぐに賛成するはずです。衛生管理されていない野山で育った鹿や猪の肉を食べるのは、牛舎や豚小屋で育てられた牛豚の肉を食べるのとは、リスクのケタが違うでしょうから。
 もしも双方の言い分に差があったのなら、言い合いにはならない。言い合いになるということは、どちらの言い分にもそれなりの利が含まれているわけです。

 レトリック学者の香西秀信氏は、著書『読んですぐに身につく「反論力」養成ノート』の中で、次のように述べています。

 要するに、議論は、双方の意見がほぼ対等だからこそ成り立ち、それゆえ簡単には決着がつかない。もし、誰が見てもAがBより優れているというのであれば、AとBは議論にはならない。議論になりかけたとしても、なる前に終了である。万が一、それが議論になったとしたら、Aは「誰が見ても」Bより「優れている」ものではなかったということだ。

香西秀信『読んですぐに身につく「反論力」養成ノート』

 言い合いになっているということは、どちらの側にも甲乙つけがたい利があるということ。
 にも関わらず、言い合いで相手を強い言葉で非難する人がいたとしたら(実際にいるのですが)、それは滑稽ということです。状況を俯瞰できていないのですから。あるいは狡猾です。決まっていないことを決まっているように決めつけ、議論することなく受け入れさせようとしているのですから。

 今日の読売新聞に、次のような社説が載っていました。

トランプ氏起訴
米国の威信が問われる醜態だ
 民主主義と法の支配を先導すべき米国が、トランプ前大統領の言動によって、自らの威信を傷つけている。同盟国の日本としては、深刻な懸念を抱かざるを得ない。
 トランプ氏が、2021年に大統領を退任した後、国防に関する機密文書をフロリダ州の自宅に持ち出し、不法に保持していたとして起訴された。四方と右京区の操作を妨害した罪にも問われている。
 機密文書には、米国や同盟国の軍事情報や、外国首相とのやりとりが含まれ、トランプ氏は外部の人物に文書を見せたとされる。
 事実だとすれば、自らの立場や国家安全保障に関する認識の浅さを示していると言うほかない。大統領という職責のゆえに閲覧できる文書を、退任後に私物のように扱うのは常軌を逸している。
 いかなる人物であっても、法の上に立つことは許されない。裁判所は、法の支配に対する信頼が揺らぐことがないよう、公正な審理に努めてもらいたい。
 問題は、裁判の審理と来年11月の米大統領選が同時進行で進んでいるこくことだ。出馬を表明しているトランプ氏は無実を主張し、「バイデン政権は司法を武器化している」と支持者に訴えている。
 司法当局は慎重に操作を進めているのだろうが、起訴がこの時期にずれこんだことで、政治的動機への疑いを招く余地が生じたのは残念だ。バイデン大統領も、副大統領時代の機密文書が自宅で見つかっており、批判を免れない。
 トランプ氏はこうした状況を逆手にとり、自らを「政治的迫害」の犠牲者だとして支持拡大を図っている。大統領選で当選して復権した場合には、バイデン氏に「報復」するとも公言している。
 問題を政治化しているのは、トランプ氏自身である。前回大統領選の敗北を受け入れず、意のままに国を操ろうとするトランプ氏の言動は自ら、大統領の資質を欠いていることを物語っている。
 野党・共和党の有力政治家は、熱狂的なトランプ支持者の反発を恐れ、トランプ氏への批判を避け続けている。これでは、無党派層は離れるだろう。
 バイデン氏も、国民の分断を克服するという公約を果たせずにいる。再選を指示する声は高まっているようには見えない。
 米国の混乱は、「力にようる現状変更」や国際秩序の改編を図る中露両国を利することになる。トランプ氏に振り回される現状から脱却し、同盟国が安心して見ていられる政治を取り戻してほしい。

読売新聞社説   2023/6/19

 この社説には、強い表現が散見されます。トランプ氏を避難する自分の意見が、あたかも百パーセント正当だと言わんばかりの表現です。
「米国の威信が問われる醜態だ」
「米国が、トランプ前大統領の言動によって、自らの威信を傷つけている。」
「文書を、退任後に私物のように扱うのは常軌を逸している。」
「トランプ氏の言動は自ら、大統領の資質を欠いていることを物語っている。」


 けれど、トランプ氏に罪があるというのは、すでに決まったことではありません。現にこの社説にも「事実だとすれば……」との記述があり、書き手もトランプ氏の罪が確定していないことは分かっているのです。まだ起訴の段階ですから、裁判で罪が罪が言い渡されたわけでもありません。それに、たとえ言い渡されても「事実無根だ」と、言い合う姿勢をとることはできます。

 「熱狂的なトランプ支持者……」との記述があるように、トランプ氏にも少なからず支持者もいます。「少なからず」どころか前大統領なわけですから、大国を担うほどの実績をもち、指示を集める人物です。トランプ氏に味方する人間は、大勢いるのです。

 それにも関わらず、トランプ氏に罪があることが規定のことのように強い言葉で語るのは、書き手が滑稽であるか、もしくは狡猾だからです。物事の多面性を忘れ、自分の意見が公平さを欠いていることが見えなくなっている。あるいは、議論の余地があることなのに決めつけ、議論の俎上にのせることなく受け入れさせようとしている。

 藍染惣右介がもしも社説の書き手だったなら、強い言葉は使わなかったでしょう。あれだけ日番谷隊長に「弱く見えるぞ」と大見得を切っていたのですから。もっと優しい言葉で、雛森くんに諭すように書いていたはずです。

 このように、完璧に意見を排した事実描写はあり得ません。言い合いしている時点で、議論の相手方として意見を言っている時点で、お互いに対等なんです。

 だから他人からの非難は、すべてその人の個人的意見だと考えましょう


参考


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