(50)日のエヌー

【35日目】
加湿器のない乾燥したN男の家の2階の寝室で、C子は喉が乾燥からくる咳で、何度も目が覚めた。寝室には、亡くなった奥さんが撮影したとわかるN男のいつかの誕生日の写真が飾られていた。中2服そのものの私服のセンスに、C子は思わず失笑しかけた。MOTHER2 のキャラクターのぬいぐるみ、アラジンのジーニーは大好きだけど、ジーニーのティッシュボックス、遮光カーテンの閉まった真っ暗な部屋。何もかもC子の好みじゃない。

2階の別室にはN男が寝ているのと同じシングルベッドが置かれていて、かつて夫婦がベッドを並べて眠っていた事が用意に想像できた。他の部屋には子供用の学習机も置かれている。それもまた古臭いデザインだ。結婚して一軒家を持ったのだから、子供を持つ用意をしていてもおかしくないが、それもまた夫婦どちらかが使用していたものだろう。

つくづくN男は、C子をよくこの家に上げる事ができたなと思う。N男は本当に気持ちを切り替えて、将来を見据えた恋人を大切にする気はあるのだろうか。

昼前に起きると、昨夜の続きのエガちゃんねるをまた観させられる。お茶も朝食も用意なんてされない。
しばらくして、C子が空腹を訴えると、N男は「コメダでも行こう」と言ってくれた。少しC子はホッとした。
もうこの家に来る事はないだろうとC子は思う。これからお家デートは、C子の家にしてもらえば良い。
人様の家にケチはつけたくないが、肌に合わない事も亡くなった奥さんの情報が過多な事も、C子には耐え難かった。

N男はC子を家に送り届けてくれるらしかった。片道1時間はかかる距離なので、C子は少し申し訳なく感じる。
とても寒い雨の日曜日。お互いの手を温め合いながら、N男セレクトのMr.Childrenを聴きながら、C子の住む街の方角に車を走らせる。道は曜日のせいか、天候のせいなのか、少し混んでいた。

N男は、運転は上手いほうだと思う。でも、車間距離が近いので、乗っていて緊張する。雨の中、もし前の車がブレーキをかけたら、このスピードとこの車間じゃ間違いなくぶつかる…。
C子は、もし自分が運転するなら同乗者を不安にさせる運転はしない。でも、人の運転にもC子はケチは付ける事ができない。言いたいけど、言えない…。昨夜からそんな事しか続いてない。

道中、N男はMr.Children、桜井さんの天才的な歌詞のセンスについて熱く語っていた。C子ももちろんMr.Children世代だし、桜井さんの描く詩も大好きだ。でも、C子は産まれる前の古い曲も今の最新曲も好きで、気に入った曲はなんでも好きだ。好きなアーティストもたくさんいて、AppleMusicで自分のプレイリストを作っている。普通に音楽が好きなのだ。
同じアーティストの曲だけずっと聴き続けるのは、C子は退屈だった。

N男は、音楽も映画・ドラマのサブスクも何も入ってなかった。本も読まなかった。YouTubeとAmazonプライムで、音楽もドラマも賄ってる。
もちろんC子のように時間がたくさんある大人ばかりではないが、心の豊かさの為にお金を使えない人は、本当に貧しいと思う。特に本を読まない人は、C子は人生を損していると思っていた。N男は仕事も定時終わり、週2のジムと週1の整体、土日祝完全休み。それなのに、C子への連絡はマメじゃない。ずっとエガちゃんねるを観て、たまにプライムビデオでドラマを見るだけ?
そんな毎日楽しいのだろうか。そしてN男の生活の中に、C子が自然といれる事が想像ができなくなっている事に気付いた。それでも、違う人間同士が一緒にいようとしているのだし、お互い違和感を感じていても、そのうち受け入れていくに違いない。誰かと付き合う事は、そういう事なんだ。本当は1人で生きている方が楽だけど、誰かといようと決めたのだから、向かい合ってちょうど良い距離を見つけていくのが、大人なのだろうとC子は思う。

1時間半ほどでC子の家の近くのコメダ珈琲に到着した。近所にも関わらず、C子は初めての来店だった。カフェもコメダ珈琲も好きだし、来ても良いのだが、1人で来る気持ちには、あんまりなれないのだ。

N男はアイスコーヒーとカツサンド、C子はカフェラテとビーフシチューを注文する。ここの会計もどうせ割り勘だろう。N男が払おうが払わまいが、好きなものを注文するに限る。

話の流れで、N男が結婚式の招待人数が、自身の大学サークルの関係で友人だけで30人ずつくらいになったと言い出した。C子はチャンス到来だと思った。結婚式の招待客の人数なんて知ったこっちゃない。本気でどうでもいい。問題なのは、玄関の安っぽくてダサいウェルカムボードだ。結婚式に使用したかは知らないが、玄関のウェルカルボードの存在は、絶対に有り得ない。

「そういえば、玄関に置いてある“アレ”」
「私は気になるかも知れない!」
「もちろんNは、風景と化しちゃってて存在自体を忘れちゃったのは、わかってるよ?」

N男は一瞬で真顔になって黙った。C子は冷静に、この人はこういう顔をするんだなと思う。普段の笑顔が消えると、冷たい能面のような表情だ。

「ごめん…」
「他のものは全部しまったんだけど、忘れてて…」

はい?捨てないんですか?っとC子は思った。C子は、元彼とはそもそも連絡すら取らないし、貰ったものは気に入っていれば使うし、気に入ってなければ売る・捨てる。もらった手紙や絵、とっておいてあるけれど、それはC子だけの秘密だ。これまでのC子の書いた日記ももちろんしまってある。でも、誰も知らないもの・出来事、C子だけのもの。誰にも教えない。
ここで、どうどうと捨てるつもりはないと宣言しているN男に、つくづく無神経な男だと思う。

この後C子が一生ネタにするであろう信じられない事が起こった。全てを通り越して、C子はむしろ面白かった。

続きを待っててくれている方たち、
ありがとうございます。
まだ終わらせません!




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