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絶景マチュピチュ1日ツアー

日本人ガイド1人と私のプライベートツアー。
ツアーガイドは日経4世の鈴木さん。
リマ生まれ、ペルー育ちだけど、日本で何年間か働いてた経験あって、日本語がとても流暢。
ぱっと見はちょっと強面で話しかけづらそうなんだけど、実際はとても物知りでずっとペルーの歴史マチュピチュの歴史の説明をしてくれて、聞いたことにはなんでも答えてくれた。

朝6時にホテル出発。
まずは、オリャンタイタンボへ。
インカ時代の建物の特徴がとても残っている街。インカの建物は、積み重なっている石と石の隙間が紙切れ一枚も通さないと言われているくらい全くなく、これはインカ時代の技術がどれだけすごいのかを表している。

身分が高い人の家の入口

身分が高い人の家の特徴は、扉が後ろに奥まっていて、また周りの石積みが台形の形になっている。
台形の形は、インカ時代の建物の特徴の一つで、地震が多い地域だったため、台形の形にすることで、強化していた。

マチュピチュ村に向かう列車

8:40出発のマチュピチュ村に向かう列車に乗る。

この時に、ペルーの歴史をざっくりと鈴木さんが説明してくれた。
ペルーは、紀元前4000から5000年前にはじまる。
最初は土器文化。
どの歴史もそうだけど、最初は海の近くで文化が栄える。
そしてマチュピチュと関係のあるインカ帝国が栄えたの1470年から1532年と言われている。
1532ねんから1821年の約300年間、スペインの植民地となる。
インカ時代、青銅器文化のため鉄を作ることができなかった。また通貨がなかったため、物々交換。文字もなかったため、当時のことについて、分かっていないことが多い。
またインカ時代の人々は温厚で、ちゃんとした武器とか軍隊はなかった。
畑作業が始まった時に、戦などは全くなかったと言われている。
そのため、スペインが攻めてきた時にあっという間に支配されてしまった。

マチュピチュは国家のために作った街。
クスコは都。
王様が権力を握り、農民には自由がほとんどなかった。王様のために働いていた。
インカ時代90%が農民。
リャマは物を運ぶため、アルパカは毛を刈るためのものだった。
ペルーは、標高が高くとても寒いため、野菜が作れず、主にジャガイモ、ライ麦、とうもろこしを作っている。
インカ時代、とうもろこしのお酒を王様に捧げていたため、とても貴重とされていた。

マチュピチュ

インカはもともと多神教で、山、川、太陽など大地を神様として崇拝していた。

マチュピチュは、インディジョーンズのモデルにもなった考古学者ハイラム•ビンガムが発見したと言われている。スペイン人が攻めてきた時、マチュピチュには辿り着けなかったと言われている。ハイラム•ビンガムが発見するまで約400年間、マチュピチュの存在は知られていなかったらしい。

太陽の神殿


マチュピチュ

何度も何度もテレビや写真で見たことのあるマチュピチュ。いざ目の前に現れた時は、不思議と穏やかな気持ちだった。
無事に着いたという安堵感と、目の前の壮大な景色に小さく感動していたんだと思う。
やっとコロナが治まってきて、海外に行くのにも規制が緩くなってきた2023年4月のマチュピチュ観光だったため、人も多くなく、ゆっくりと時間をかけて、たくさん写真も撮って観光することができた。特に、まだまだ日本人観光客は少ないみたい。私としては、人が少なくてラッキーだったけど、それだとやっぱり観光業が廃れてしまうから、どんどんまたペルーへ観光する人たちで溢れてほしいと思う!
そしてマチュピチュに行く途中の列車の中でGian MarcoのHoyという曲が流れていて、たくさんの人が口ずさんでいたのがとても印象的だった。
ぜひこの曲もチェックしてみて欲しいな。

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