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心/Heartのサイクル

「心って何なの?」幼き頃より、幾度となく考察してしまうテーマだ。
風の時代に入ったと世の中が騒ぎだした3年ぐらい前から、わたしの人生は確かに大きくうねりだし、動き出し、5年前には想像していなかったことが起こっている。
池に小石を投げ入れた時に、その波紋が止められないように、新しい波がさらに新しい波を運んできて、わたしの瞳が見ている景色がどんどん変わって来た。
そして、その極め付けが2月以降に始まった。
2月3日の節分は、『季節を分ける』と書くように、ここから本当の意味での新しい年が始まると言われている。
わたし自身の人生もまさにその通りで、今の心境は、正直少しナーバスという感じで平常心ではない。新しいチャレンジが突如として始まった時の独特の不安と期待の入り混じったドキドキが、身体で言うと心臓と胃の中間ぐらいに塊で存在する。
こういう時に、心に着目することになる。
心と言うべきか感情と言うべきか分からない何かが体の中央に鎮座する。
観察してみるというか味わってみることにした。
ドキドキ?モヤっと?ワクワク?キュンと?怖い?どう表現して良いか分からない緊張感を伴うその心は、わたしの場合、食欲すら忘れさせる。
食べたとしても、消化吸収されないような感覚だ。
この感覚を思い切り味わい体感する。
するとスッと消える時が来る。
その後、この感情に心が支配された時、同じ感覚を味わった時のことを思い出してみる。
思い返せば、いつもステージが変わる時の心の状態だと分かる。
だから、今から起こる全ての経験は、良きことも苦難も含めて一旦受け入れることを決める。受け入れると言うと聞こえがいいが、諦めると言う境地に近いのかもしれない。「どうせなるようになるんだから、、、」
そして、もう一つこんなふうに思うことにしている。
「きっと大丈夫。全てうまくいく。」

この境地に行けた時、再び何かがもっと下の腹部に生まれる。
どんとしたその感覚で目覚めた朝は、起き上がるのに少し勇気がいる。
まずは、少しの時間瞑想して、グランディングすると1日が始まる。
スタートすると、やることが向こうからやって来る。
次のステージのための仕事が降ってくる。
会うべき人がやって来る。
助けとなる情報や人が寄ってくる。
私の時間は、そんなこんなをこなすために使われていく。
心の重みを感じる暇もなくフットワーク軽く動いているうちに、色々なことは前に進み出す。
そして気付いたときには、面白く楽しい気持ちで心が満ちていくのを私は知っている。
そして、新しい次のステージに上り詰めた時、見える景色の心地よさに感動し、「あの時があったから今があるんだ。」と過去の自分の苦し紛れの決断に感謝する日がやってくる。
感謝の心ほど、清々しく、温かく、気持ちの良い心は他にない。
そして新しいステージの上を歩んでいる自分は、最初の頃は誇らしく嬉しい。
けれど、そのうち慣れてきて、平常心という心の状態になるから、心に着目することもなくなる。
人生において、これが繰り返されてきた。

心の動きは大きくサイクルするように思う。細かい感情がその大きなサイクルの中に現れる。

慣れた平常心
→何かが起こることによるざわついた心
→慣れないことが始まる不安と新しい世界に一歩踏みだす勇気とワクワク感の混ざり合った心
→受け入れた後のスんとした静かな心
→新しいステージに踏み出す前の重みのある覚悟の心
→無心(行動の時期)
→達成感に浸る心
→感謝、誇り、嬉しさに満たされる心
→慣れた平常心

この大きなサイクルで心は成長していくのだ。
だから、たとえば、子どもの時に自分が怖くて勇気のいる何かは、今となっては、平常心で行える他愛もないものとなっている。
誰かと比べるのではなく、自分の中での比較をした時に、誰しもが絶対に心の器は広がっているだろう。

「だから恐れること勿れ!」
今日私はこんなふうに自分を鼓舞した。





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