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これが君にとって何だっていうの?

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滋賀県で歌を唄ってる女が、音楽とは関係あったりなかったりすることを書くだけのエッセイ。読む人には何ら益をもたらしませんが、益がなさすぎて救われることもあるかもしれません。 ヨシ… もっと読む
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望みはたったひとつ、自分自身でいたいだけ

2017年頃から、自分の作った歌をライブで唄う気が起きず(シンガーソングライターとしてあるまじき姿である)、カバー曲を入れて御茶を濁していた。 そのうちの一曲が、佐野元春の『コヨーテ、海へ』だ。 当時の私は骨太なイメージを打ち出していなかったので、なぜその選曲かときょとんとされていた。とくに好きだと挙げているアーティストでもなかった。 その頃の私は、行く先々で求められるものにうんざりしていた。 どうして素直に人のアドバイスが聞けないのか、といわれてきた。音楽でも、それ

なんだか疲れてしまったので

一切が鬱陶しく感じられるようになってしまった。 コロナに関する人々の反応である。 政治に声を上げる意義も理解できる。自分なりに世の中に役立つ行動をしようという気持ちは素晴らしい。気遣い、優しさのない発言に不快感を覚えるのも致し方ない。 内容をどうこういいたいわけではない。 良いにしろ悪いにしろ、単純に、様々な感情が押し寄せてくるのに疲れてしまったのだ。 非常事態にかこつけてなにか有益なことをやろうとしている自分にも疲れてしまった。そもそもがそこまで勤勉でも、建設的な

優しさとは頭脳プレイである

「人間にとって大事なことは、ふたつだけなんですよ」 「ふたつ?」 「<考えること>と<愛すること>です。このふたつだけです。そのほかのことは、どうでもいい。ぼくはもっぱら、考えるほう専門だけど」 ――殊能将之『美濃牛』 しばらく会っていない知人が、私のツイートの内容が前向きに変わってきた、といっていたらしい。直接聞いた話ではないので、どのような感想を抱いているのかは知らないが。 手の内を明かしてしまうと、最近の私はいわゆる「綺麗売り」をしている。 生来の鋭さや毒がなくな

大嫌いな自分のことを守ってくれる人がいるなんて

タイトルは尾上陽さんの『はっきり言って』からの引用だ。自分の歌以上に今の自分であるような気がして、よく口ずさんでいる。 この歌に出会う直前、自分の身の置き場について、思うことがあった。 それについて書いては消してを三日ほど繰り返していたのだが、何を書いても冷静さを欠いた内容になってしまったのでやめてしまった。 結論だけ示す。私は自分らしくいさせてくれる人の側にいたい。 他人に愛されるには、まず自分が自分を好きになることだと信じてきた。繊細さが欠点であるなら図太くなるべ

会えないのは寂しいけれど

会えなくて寂しい人がいるのは幸せなことだ。 おかしな感覚だと、他人はいうのかもしれない。 寂しいのは辛いことだ。 そうかもしれない。 できれば誰とも顔を合わせたくないと思って生きていた。 他人は面倒なだけの存在だ。何かと詮索したがり、根掘り葉掘り聞くくせに、次に会った時には何も覚えていない。好き勝手に意見しては、お前のそういうところが良くないと断じる。信ずるに値しない。 彼らに対して表面を取り繕うなど簡単だ。あなたに害意はないのだと微笑みさえすれば良いのだから。多

毒舌キャラの憂鬱

書きたいことは山のようにあったはずなのだが、いざ書いてみようとするとなかなかでてこないもので、早々と週一ペースを乱してしまっている。 それならば、何も書けないことについて考えてみようと思う。 話題がでてこない、というよりは、素直な本心を語ることにブレーキが掛かっているような感覚がある。下書きで放置してある記事はあるのだ。だが、どれも核心を突こうとするとキーボードを打つ手が止まってしまう。 それもそのはずで、私が生きる上で困難を抱えていたのは、本音を晒してこなかったからだ

白い上履きの黒い思い出

自分でもしつこいと呆れ返るのだが、未だに思い出し怒りをしてしまう事がある。 小学校二年生の時、上履きを隠された。 よくあるいじめである。 結局それは下駄箱の甲板の、死角になるようなところに隠されていたと記憶している。どこかから椅子でも持ってきてやったのだろう。まったくご苦労なことである。 誰がやったなど今更どうでもいい。私が腹を立てているのはそこから先である。 まず担任の行動が不可解だった。 何を思ったのか「靴をなくすのは名前が書いてないからだ」といい、油性マジッ

現役自宅警備員、大いに語る

私の曲ではない。 林愛果さんというシンガーソングライターの『自宅警備員、コンビニに行く』という曲である。原曲はこんなに不貞腐れてはいないし、彼女の妖精のような歌声と、硝子細工のような世界にはぜひ触れて頂きたいのだが、それはそれとして。 自宅警備員とは、一日中家にこもって何もしないことを自虐的に「自宅警備をしている」と表現するネットスラングである。 高校をほとんど通わずに中退して、二十三歳でアルバイトができるようになるまで、ひきこもりだった。毎日を無為に過ごして、朝方に寝

およそ正気ではないけれど

一年ほどライブ活動をしていなかった期間がある。 もともと自身の活動の方向性を見失っていたこと、転職したことで身体がまったくついていかなくなったことなどがあり、すっかり音楽への情熱を失ってしまったのだ。 休止中も知人のライブには顔を出したりはしていたが、次第に足が遠のいてしまった。顔を合わせると二言目には「いつになったら復帰するのか」という話だからである。 気にかけてもらえるだけありがたいと思うべきかもしれないが、自分の中でそれでいいと思っていることを、他人にあれこれとい

「明けない夜はない」といえるのは、朝を迎えた奴だけだ

更新間隔があきすぎるのである。 何も書くことがなかった、というより、もはや人としての形を成していなかった、といったほうが正しい。 前回の記事から約一年間仕事は続けたが、心身の状態は悪化していく一方で、謎の皮膚炎や咳に悩まされ続け、これはもう限界だと辞した。 ライブ活動を停止したときにしろ、仕事を辞めるときにしろ、周囲は心配するふりをして、自身に置き換えた不安をぶつけてきた。 いわく、ライブの感覚を忘れてしまいそうだとか、仕事もせず家に籠もっていては余計にこじらせるので

やさしいほうへ

 急に仕事が嫌になって休んでしまった。四日間もである。  我がことながら情けないが、定期的に起こることなので半ば諦めてもいる。  ずいぶん前から仕事が辞めたくて仕方なかった。どうにも合わないのである。嫌々やっているうちに自律神経がおかしくなってきた。最初は眠気だった、それは全身の倦怠感になって、だんだん気持ちも落ち込んでいく。こんなことではいけないと活動すると、途端に疲れ切ってしまう。  心がしっかりしていなければ、いくら環境を変えてもだめ、という言説はごもっともだ。で

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ヨルアルク

 ファンを増やす! などと、鼻息荒くはじめてみたものの、気がついたら初回から随分と日が開いてしまった。  書きたいことは思い浮かぶのだが、どうにも頭に靄がかかったようで言葉になってくれない。なにをそんなに疲れているのだろうか、と訝りながらも寝落ちする日々であった。  そこで昨日、はた、と気がついた。――逆だ。  疲れなさすぎなのだ。  思えば以前の仕事は何かと動いていた。飲食店のホールスタッフが意味もなく立ち止まっていることは、すなわちサボタージュとみなされる。しょう

やっぱり私、寂しくないっすよ(笑)

 小学校で不登校になって以降、持ち直すことなく十代半ばで引きこもりになった。まともに生きられない自分が嫌になって、携帯電話から連絡先をほとんど消してしまった。二十代半ばでなんとか社会にでることには成功したが、友人を作ろうともせずに生きてきた。職場には仕事だけをしにいっている。音楽活動を始めて知り合いは増えたが、未だに心を開ける相手はそんなにいない。  こういうことを、しばしば私は他人に向かって平然と言い放つ。私を友人だと認知していた人間からすれば相当なショックだろうと想像する

はじめまして、のごあいさつ。

 私はヨシミチアキという、滋賀県の隅っこで『ピアノ"弾きたがり"シンガーソングライター』と名乗っている木っ端ミュージシャンだ。主にひこにゃんが有名な彦根市のライブハウスで活動している。  さて、そんなヤツがエッセイを書き始めるという。誰にも求められていないのに。  ファンが欲しいのだ。  ライブ活動をしていても、中々固定ファンがつかない。私だけでなく、どこのミュージシャンも同じだろうが。  知り合いにチケットを買ってもらうのも限度があるし、付き合いで来てもらうというの