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教師になりたかった

オーストラリアに行ってた時のこと思い出してHP作る日々は、胸にチクチク刺さってました。
本当はエリート(?)な英語の先生になるんだって、自分で思ってたんだから。。。

病気になるまでは、オーストラリアから日本に帰ってきて、教授の推薦で中等教育学校へ、夏休みは東京での学会聴講、ワークショップ参加、英語教育の神である、田尻悟郎先生と直接お話させてもらう。
講師生活2年目夏、人間関係で体調を崩す。夏休みで中等教育学校退職、しかし教員があきらめられず、公立の中学校へ。
「芦屋(←前任校)のお嬢さんが何しに来たんや」
「あなた、ALTと英語で喋るのあたしへのあてつけ?」この時、教員採用試験やっと合格。
なにやらネジが、歯車が狂いだして、3月、卒業式が終わったあとから記憶が断片的で定かでなくなる。
数日して気がついたら精神病院の隔離病棟のベッドの上。
ベッドとトイレと布団と枕しかない。
ドアをいくら叩いても開ける人もいない。
時々看護師さんたちが3人がかりで様子を見に来るが、私にとっては逃げるチャンスだ。でも、男性3人には軽く抑えられてしまう。拘束器具も見た。
「僕らこれ使いたくないねん。わかって!」
と言われて暴れるのをおさめる。時々鎮静剤の注射。時々、鎮静作用のある飲み薬。

病室の窓から見える木にファルコンと名前を付けた。ファルコンはわっさわっさと揺れていた。歯科医みたいな看護師さんが、時々訪れてジュースを奢ってくれた。「ファルコンとは良かったなぁ」と。

桜の花は四人部屋で見た。
5月の頭に親友の結婚式があったから、それまでに退院しなくてはならなかった。
桜は蕾をふくらせるところから、満開になり、散り、葉桜になるまで見れた。

5月の頭は親友の結婚式だ。
外に出られるか、大勢の人がいる中、耐えられるか、様々なことが頭をよぎったが、ぽーっとなる頭のまま、式に披露宴に二次会に楽しかった。
私はこの結婚のキューピットだったんだ。
遥か遡ること10年以上だけど。
くじ引きでipadが当たった。親友とご主人は喜んでくれた。親友のお母様も「来てくれてありがとう」と、両手で握手してくれた。私は「いえ」としか言えなかったけど。

頭がぽーっとしていたので、エッサの皆さんとはほとんど喋れなかった。ごめんなさい。結婚式のスピーチをミヒロさんから、「ソラはスピーチするん?」と聞かれたけれど、頭に入ってこなくて、「へぇ?」としか言えなかったのはすごく覚えています。それから、中学の時に好きだった俊介さん、多分その時が会うチャンス1度きりだったろうけど、手を振るだけで、個人的なお話できなかった。余興で忙しそうでもあったしね。

でもなにあれ、
親友の結婚式に出られてよかった。

#双極性障害 #入院 #親友の結婚式 #隔離室 #オーストラリア #日本語補助教員  

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