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第143話「支配者への道」

前回、第142話「王宮のルール」

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 一人の若者の悪巧みは、暮れ行く森の夜陰に乗じてひっそりと行われた。

 ドリアスが鉄製の檻を怪鳥(ルフ)の足にくくりつける間、リンは聳え立つ塔の方に再度目を向けてみた。

 怪鳥(ルフ)は確かに大きかった。

 その嘴は像の子供を丸呑みしてしまうだろうし、その翼は広大な海に浮かぶ巨大な帆船を包み込んで、地平線から隠してしまうだろう。

 しかし塔の大きさに比べれば、怪鳥(ルフ)も小人に過ぎなかった。

 その翼で一体どれだけのことができるだろうか。

「リン、準備できたぜ」

 鉄の檻を準備し終えたドリアスがリンに話しかけてきた。

 リンはドリアスと一緒に檻の中に入った。

 怪鳥(ルフ)は翼を広げて飛び立つと、二人の入る檻をその爪で掴み、上空へと運び去って行く。

 森に潜む口なき魔獣以外、二人の犯行を認めたものはいない。



 二人を乗せた檻は、上空の風によってガタガタと揺らされながら夜空へと飛び上がって行った。

 その揺れがあまりにも激しかったので、リンはついつい柵にしがみついてしまうほどだった。

 何かの弾みで落下したりしないように。

 ルフは瞬く間に、100階層の高度に到達しようとしていた。

「もうすぐ100階層ですね」

「そうだな」

 ドリアスは何でもないことのように返した。

「当然のようにルールを破るんですね」

「まぁね」

「いいんですか。学院生は100階への進入が禁止されているっていうのに」

「リン。お前はバカだな」

「はい?」

「人間なんてちっぽけな生き物なんだ」

 ドリアスは手を広げて地上を指し示した。

 そこには雄大な森林が広がっている。

「ただでさえちっぽけな人間がルールなんて気にしていたら、偉大なことなんて何一つできやしないぞ」

 リンは雷に打たれたような衝撃を受けた。

(な、なるほど。ちょっとこの人は規格外だな)

 リンはなぜドリアスが多くの魔導師から一目置かれているのか分かったような気がした。

 そしてなぜ貴族達から嫌われているのかも。

「君は貴族じゃないよね」

 ドリアスがおもむろに話を振ってくる。

「ええ。違います」

「やっぱりな。匂いで分かるんだよ」

 ドリアスは予想が当たって愉快そうに笑った。

「はぁ……」

「貴族階級ではないということは……、平民階級か」

「いえ、その実は……、僕は奴隷階級出身でして」

「奴隷階級……」

 ドリアスは意外そうな目でリンの装いをチラリと見る。

「ふーん。頑張るねぇ」

 リンは塔の方を見た。

 このまま行けばすぐに200階層に到達してしまう。

 ドリアスは本当に200階層に潜り込むつもりのようだった。

 ルフは塔の外壁に接近した。

 侵入口を探すかのように、外壁に沿ってゆったりと飛び始める。

「あの……本当に200階層に行くんですか?」

「もちろん!」

「ここまで来ておいて今さらこんな事を言うのもなんですが……、やめておいた方がいいのでは? バレればタダではすみませんよ?」

「どうしてだい?」

「だって……ルール違反じゃないですか」

「違うよ。ルフで200階層に行くのはルール違反じゃない」

「えっ?」

「禁止されているのはエレベーターを使って所属階層よりも上に行くことだ」

 リンは狐につままれたような顔をした。

「みんな結構勘違いしてるんだよねー。禁止されているのは、自分の所属階層よりも上に行くことではなく、エレベーターや次元魔法で所属階層よりも上に行くことだ。他にも上階層での活動は色々と制限されてはいるが……、いずれにしてもルフで所属階層よりも上に行くことは禁止されていないし、試した人間もいまだかつていない」

「えっ!? いや、でも……それじゃあ……」

「ルールを守れと声高に主張している輩が多くいるけれどね。実際のところその手の輩はそこまでルールに精通していない。というかね、ルールを全て網羅している人間なんて存在しないんだよ。弁護士だって法律書がなければ仕事ができない。宗教家だって聖典が無ければ説法もできない。こうやって専門家でも理解に苦しむ箇所が多々あるというのに、中途半端な知識を持っているヤツに限って自分はルールや倫理について完全に理解し、把握していると思い込むものだ。そして息子やら隣人やらに自分の浅はかな持論を吹聴して信じ込ませる。さらにその息子や隣人も同じことをしてどんどん誤解が広まっていく。こうして文明社会に住む人間は世代を経るごとにおバカになっていくというわけだ。自分で勝手に作ったルールによって自縄自縛に陥るわけだよ。ルールを守れという教えに従えば従うほどおバカになっていく」

「でも200階層に着いたらどの道ルール違反をするつもりなんでしょう?」

「もちろん!」

「ダメですよ。そんなことをしては。ルールを公然と敗るものが現れれば、社会に不公平と頽廃が訪れて、やがては深刻な悪影響が……」

「リン君。ルールは守るものじゃない。創るものだ」

「ルールを……創る?」

「ルールは守るものと考えるのはいわゆる二流の人間の考え方だ。一流の人間はルールは創るものだと知っている。君はルールが誰によってどのように作られていると思っているのかね」

「でも……そうやってみんな自分に都合のいいルールを作って守らなくなったら世の中めちゃくちゃになりますよ」

「なに、そんな心配は無用だよ。他人の作ったルールに喜んで従う二流の人間なんてほっといても掃いて捨てるほど出てくるから。彼らは自分でルールを創るなんて発想は思いもよらず、何の疑いもなく他人によって作られたルールを守り続け、その生涯を終えて行く」

「……」

「自分でルールを作れる創造性豊かな人間なんていつの世も一握りだ。結局のところ、ほとんどの人間は自分でルールを創ろうとしたり、一流の人間の創ったルールよりもいいルールを思いついたりすることはできない。そのため彼ら二流の人間は不平不満をブーたれつつも結局は、一流の人間の創ったルールに従うことになる。これが世の中の仕組みというものだよ」

「でも、じゃあもし一流の人が作ったルールが間違ってて、社会に問題が起こったとしたらどうなるんです?」

「もちろん負担は全部二流の人間が背負うことになる。あらかじめそうなるようルールが創られているはずだからね」

「……」

「まぁ結局僕が言いたいのはね。そんな理不尽な負担を背負わされたくなかったらさっさとルールを創る側の人間になりなさいってことだよ。おわかり?」

「でも、そんな法律とか作るなんてそれこそ上流階級の人でないと無理じゃないですか? 下層の弱い人たちはどうすれば……」

「リン。あんまり俺を失望させないでくれ。君は俺の言っていることが全く理解できていない」

 ドリアスはうんざりしたように言った。

「俺がルールを創れと言っているのは、何も国家権力を発動させろと言っているわけじゃない。国家の法律なんてそれこそよっぽどのことがない限り発動しないし、発動しても案外役に立たない、それどころか役に立たない方が実は世のため人のためになるという、張子の虎にして無用の長物、まさに二流の人間を安堵させるためだけに存在しているような代物。国家の法律なんてのは、俺に言わせれば……」

 ドリアスは蔑むような不遜な笑みを見せた。

「死んでいるも同然のルールだ」

 リンはギクリとした。

 何かが檻にぶつかってガタンと揺れた。

 空を飛ぶ鳥のようだった。

「俺が創れと言ってるのは国家の法律とかね、そういう偉そうなばっかりで死んでいるも同然のルールのことじゃない。常に機能し、変化している生きたルールのことだ」

「生きた……ルール?」

「リン君。君は戦争に参加したことがあるかね」

「無いです。無いに決まってるでしょ」

「そうかぁ。それは残念だ。戦場はいいよー。常に何かが変化しているからね。それも非常にダイナミックに。僕は幼い頃から親父に連れられて戦場を巡り歩き、そこで日々生じる僅かな変化を見逃さないよう叩き込まれた。鳥獣の鳴き声、上司や同僚の表情、火薬の匂い。戦場にはね、国家の法律とか堅苦しいルールが存在しないも同然だからさ。日々の変化に対応して自分でルールを作らないとすぐ狂ったり死んだりしちゃうんだ。あの時の僕は未熟だったからなあ。生きるのに精一杯だった。役に立たないとすぐに切り捨てられるからさ。仲間によって、そして戦場によってね。今思うとよく生き残れたもんだよ。君も一回戦争に参加してみるといい。世界観変わるから。まあ一歩間違えれば死ぬけどね。ハハハ」

「は、はあ……」

「まあ、なんにしてもね。真のルールというのは闘争からしか生まれないものだ」

「闘争……」

「そう。闘争だ。刻々と変わる戦局、金銭のやりとり、揺れ動く人の心。闘争の起こるところ、そこでは常に新しいルールが発見され、生み出され、実行されている。僕達一流の人間は人より早くこれらを見つけて実行に移す競争に日々しのぎを削っているわけだよ。国家の法律などすでに終わった闘争に後付けでルールを足しているに過ぎない。自分自身の、あるいは自分の周りの小さな変化、生きているルールに目を向けてごらん。それを見つけて自在に自在に操ることができるなら」

「できるなら……?」

「支配できると思うよ。非力な君でもね」

「支配……」

「君が何を支配したいのかは知らないけれどね。だが……」

 ルフのスピードが一段と上がって、檻が一際激しくガクンと揺れた。

 侵入口を見つけたようだ。

「お前も魔導師の端くれだろ。それくらいやってみせろ」

「僕は何かを支配したいと思ったことなんて……」

「まあ、そういうものだ。人は生まれてから徐々に自分の手の小ささについて教えられ、そのうち自分を非力で何もできない人間だと思い込み、やがては望むことすらしなくなるものだ」

「ドリアスさん」

「ん?」

「僕にはあなたの考え方が凄すぎて、もう何が何だかわかりません」

 リンはドリアスの価値観に船酔いしたかのように、目を回していた。

「わっはっは。そうだろう。すごいだろう。君も明日からやってみなよ」

「いや、そんな、『やってみなよー』、って言われたって……」

「ふむ。一度染み付いた平民根性はなかなか取り除けないか。いいだろう。では見せてあげよう。自らを縛るルールを破壊し、新しいルールを創るその方法を!」

 ルフは塔の外壁に取り付くべく、塔へと急接近して行った。


 魔導師協会200階層の長官であるヴァネッサはなんとも言えない不安に囚われていた。

(なんだろう。胸を焼くようなこの不安は。私の心を捕らえて離さない。何かよからぬものが近づいてきている。そんな気がする。しかし正体が分からない。それが余計に不安を増長させる。一体なんだと言うのだろう。200階層、『スウィンリル』の太守たる私が一体何に不安を感じる必要があるというのだ)

 ヴァネッサはそう自分に問いかけながらも、すでに答えを見つけている自分がいることに気づいていた。
(いや、自分を誤魔化すのはよそう。分かっている。200階層の長たる私が抱く不安。そんなこと決まっている。街のことだ。この街に……、スウィンリルに何か危機が訪れようとしている?)

「全く。勘弁してほしいものだな。ようやく爆破事件が片付いたばかりだというのに」

 ヴァネッサは誰もいない長官の部屋でひとりごちた。

 その時、部屋のドアを何者かがノックした。

「入れ」

「失礼します」

 魔導師協会の役人の一人が扉を開けて入ってくる。

「一体なんだというのだ。こんな時間に。まあこんな時間まで仕事をしている私も私だが。それにしてもまた突然じゃないか」

「三大国の代表者の皆様が、こぞって長官にお会いしたいとのことです」

「三大国? 三大国の代表者どもがまた私に一体何の用だというのだ」

「例の新しいスウィンリルの港湾についてのことです」

「港湾について?」

 スウィンリルは水路の街なので、広がる際には、常に新しい港湾が生まれていた。

 港湾が生まれればすぐにそこに人が集まって、新たな商圏ができる可能性があるため、その土地の買取りや入札には常に熾烈な競争が発生した。

「はい。それぞれ三者三様、異なる要求を述べております」

「言ってみろ」

「ラドスの代表者は港に商圏と市場を置くべきだと主張しています。スピルナの代表者は港に兵器工場と武器庫、そして軍船が入れるように港を改造すべきと主張しています。ウィンガルドの代表者は港のすぐ近くに邸宅と農園、宮殿と動物園、美術館とレジャー施設を」

「要するに新しく自分達に利権を寄越せと言うわけか。全く。彼らにはそれぞれスウィンリルの港湾において利権を均等に割り当てているだろうに。これだけ優遇しておきながらまだ足りないというのか。貴族どもの専横はとどまるところを知らないな」

「三大国の競争は日増しに激しくなっております。彼らも生き残るのに必死なのでしょう」

「だからといって公然と談合話の持ち込みか。呆れたものだ」

「いかがいたしましょうか」

「話が来た以上まとめるのが私の仕事だ。……が、今すぐには回答しかねる。委細については後ほどそれぞれの代表者と話し合いさせてもらう。そう伝えておけ」

「は。かしこまりました」

 役人は一礼して引き下がった。

(全く。貴族達のわがまま放題には困ったものだ。公共心なんてカケラもない。とはいえ、いつの世も三者が鼎立し続けるなどあり得ないことだ。やがて三つのうちどれかが没落して情勢が変わるだろう。私の不安の正体はこれなのか?)

 ヴァネッサは目を瞑って心に問い掛けた。

(いや違う。確かに三大国のバランスは限界を迎えつつある。やがて大きな事件とともに何らかの調整が入るだろう。だが、三大国の問題なんて以前からずっと心の片隅に抱えてきたことじゃないか。今ではすっかり自分の一部になっている。改めて不安に感じるようなことでもあるまい。しかし、では何だと言うんだ? 国際情勢よりも深刻な危機がこの街を訪れようとしている? 一体何が?)

 突然、ヴァネッサの脳裏に映像が浮かんだ。

 それは目を醒ましながら、見る予知夢であった。

 彼女には時々、このように不意に予兆が訪れることがあった。

 いつも彼女を導き、救ってくれた不思議な力だった。

(大きな……とても大きな鳥。鷲? いや違う。鷲に似ていなくもないが、そんなヤワなものではない。もっと巨大なものだ。鉄籠に乗せて何かを運んでくる。この鉄籠の中身。それが私の不安の正体か? この街にやって来る? いや、しかし……)

 ヴァネッサが考えあぐねていると、再びまた別の予兆が訪れた。

 彼女は水中にいた。

 水面と空はどんどん遠ざかっていく。

(深い……水の中。沈んでいるのは私? 大蛇が見える。こいつが私を沈めたのか?)

 ヴァネッサが水中を見回してみようとすると、そこで映像は途切れた。

 気づくと彼女は予知夢の世界から引き戻されて、執務室の自分の机の前に戻っていた。

(水の中に沈んでいた。一体何を暗示している? 私の死か? あるいは失脚?)

 ヴァネッサは自分を長官の座から引き摺り下ろして、取って代わりたがっている輩が大勢いることを知りすぎるくらいに知っていた。

(私を水の中に沈めるのは、あの大蛇か? あの大蛇が私を陥れようとしている? ではその前に見えた大鷲と鉄の檻は……)

 ヴァネッサは再び映像が降りてくるのを待ったが、予知夢はそれきり何も兆候を示してはくれなかった。

「ダメだ。ぼんやりとした暗示は色々与えられるものの、肝心な所が分からない。いつも与えられるのは曖昧なヒントのみ。あとは自分ではっきりさせろということか」

 ヴァネッサは目をつぶって少しの間思案したあと、静かに、しかし決意を込めて目を開けた。

「危機が迫っていることは分かったんだ。あとは自力で切り抜けて見せるさ」

(まだ私は死ぬわけにも、長官の座を降りるわけにもいかない!)


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次回、第144話「優雅な朝食」

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