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第149話「スウィンリルの深層」

前回、第148話「星屑」

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「うっ、ゴホッ」

 ティドロは水を吐きながら守備隊の船の上で目を覚ました。

「目を覚ましたぞ」

「大丈夫か?」

 守備隊の格好をした人々が、ティドロに声をかける。

「う、ここは……。僕はどうして……」

 ティドロは周りを見回して、自分がなぜ守備隊の船の上で、気絶しているのか思い出そうとする。

(そうだ。僕はドリアスと戦って……)

 ティドロは急いで起き上がろうとして、頭痛と目眩に襲われた。

「ぐっ」

「無理をするな」

「魔力が切れているんだ。しばらくは安静にしていないと」

 守備隊の者達は、起き上がろうとするティドロを再び寝かせようとする。

「あの、ドリアスは……」

「ドリアス?」

「何のことだ?」

 守備隊の者達は訝しげな顔をする。

「あ、いえ、その……海賊船は?」

「海賊船は280階層に向かったようだよ」

「我々も懸命に追いかけたんだがね」

「……そうですか」

 ティドロはドリアスを取り逃がしたことを悟って、大人しく体を休めることにする。

 ズズン、と大きな地響きが聞こえてきた。

(なんだ?)

 ティドロは首だけを傾けて、音の方を見る。

 すると、ちょうどアルバネロ公の塔が崩れ落ちて、港湾もろとも沈もうとしているところだった。

(あれは……僕とドリアスが戦っていた塔……)

「塔が……」

「ああ、酷いもんさ」

「全く、貴族も海賊の奴らも何を考えているんだか」

 ティドロはドリアスがいるであろう280階層のウォータープレート(水の台地)を眺めた。

(ドリアス。こうまでして君は一体何を……)

 空を覆うウォータープレート(水の台地)は、いつも通り悠然と横たわっており、何も答えてくれなかった。



 280階層は見渡す限り荒れ果てた海だった。

 どこに行っても嵐から逃がれることはできない。

 水の魔法を極めた者でなければ立ち入ることもままならない空間であった。

 ドリアスによると、スウィンリルのあらゆる異常気象のツケがここに集まっているそうだ。

 だが、リンを驚かせたのはそれよりも上空に横たわるウォータープレート(水の台地)だった。

 その水はタールのように真っ黒になっていた。

 他の階層には見られる水棲魔獣の姿は一切見られなかった。

「な、なんですか、あれ。ウォータープレート(水の台地)が真っ黒ですよ」

「スウィンリル(200階層)のあらゆる廃棄物を集めた結果だ。本来は290階層の高い自浄作用によって、あらゆる廃棄物を分解・浄化・排水する作用があるはずだが、あまりにも急速に進み過ぎた開発のせいでああなったようだ」

 ドリアスは目を細めながら、真っ黒なウォータープレート(水の台地)を見つめる。

 そうしているとウォータープレート(水の台地)の一端がモコモコと盛り上がり始める。

(なんだ!? 何か出てくる?)

 分厚い毛布を破るようにして、真っ黒なウォータープレート(水の台地)の中から出てきたのは、巨大な蛇だった。

「あれは……?」

「リヴァイアサン(海神)だ。この塔を作った大魔導師ガエリアスが塔に残した大魔獣の一つ。水の街の水位と気候、そして浄化を一身に担っている。水の街の住民が安寧と快適を享受できるのはひとえにこのリヴァイアサン(海神)のおかげってわけさ」

(泳いでる……あの黒い水の中を。凄い生命力だな)

 しかし、いくらリヴァイアサン(海神)といえども、黒い海を泳ぐのは簡単なことではないようだった。

 リヴァイアサン(海神)は自らに纏わりつく黒い水を振り払おうと、不快げに身震いした。

 しかし、黒い水は一向にとれることはなく、むしろ、ますますリヴァイアサンの身に纏わりついてくる。

 リヴァイアサンは怒り狂ったように水面でのたうち回る。

 それに合わせて、280階層の水面も激しく揺れた。

「……怒ってる?」

「流石のリヴァイアサン(海神)もスウィンリル住民の水質汚染に堪忍袋の緒が切れかけているみたいだな」

 ふとリヴァイアサン(海神)が動きを止めたかと思うと、突然、大量の木材、土砂、瓦礫を黒い水と共に吐き出した。

「あれは……」

「リヴァイアサン(海神)の喉は外の海と繋がっているんだ。ああやって、スウィンリルの水路に棄てられた有害廃棄物を飲み込んで、海に放流しているわけだが、その下水処理機能にも限界が来ているようだな」

 ドリアスの言う通り、リヴァイアサン(海神)は先程から吐き出すことはしても、飲み込むことはしなかった。

「海に流し込むはずの下水が逆流している。このままいけばあの黒い水が下階層に逆流して、スウィンリル(200階層)に甚大な被害を及ぼすぜ」

「そんな……どうにか止める方法はないんですか?」

「フレジア(エルフの娘)の力を使えば、リヴァイアサン(海神)の怒りを鎮めることはできるだろう。が、その前に話をつける必要がある。出て来いよ! そこにいるんだろ?ヴァネッサ」

 ドリアスが甲板上の物陰に向かって呼び掛けると、そこからヴァネッサが姿を現わす。

(いつの間に……)

「まさか、学院魔導師がこの短期間で200階層を攻略してしまうとはな。並大抵のスウィマー(200階魔導師)では、ここまで辿り着けないというのに」

 ヴァネッサは衣服に付着した水分を杖で吸い取りながら言った(身を隠すためには、魔法を使えずその身が風雨に晒されるのを防げなかったようだ)。

「だが、かえって好都合かもしれん。私はずっとお前と話したいと思っていたところだ。ここ280階層なら誰の目も耳も気にせずお前と話をつけることができる」

 ヴァネッサはその鋭い双眸でドリアスを睨みながら歩み寄ってくる。

 リンは彼女の堂々とした態度に感銘を受けた。

 彼女もドリアスを目の前にして、その底知れない力を肌で感じているはずなのに。

「ドリアス、ここに来たということは、お前がリヴァイアサンの暴走を阻止してくれる、ということでいいのか?」

「条件次第だな」

「条件?」

「こうして危険を犯してここまで来た以上、タダで帰るわけにはいかねぇ」

「……何が望みだ」

「200階層攻略の特例をもらいたい。もうすぐアルバネロ公は失脚する。ヴァネッサ、あんたならできるはずだろ?」

(確かに、魔導師として塔に多大な功績を残した者に、所属階層向上の特例措置を施すのはよくあることだ。しかし……)

「ドリアス。これは、リヴァイアサン(海神)の問題は街の命運と人命に関わることだ。リヴァイアサン(海神)が暴走すれば、塔もその機能の一部が不全となり、打撃を受けるだろう。お前も塔の住人ならば……」

「関係ないね。そもそもリヴァイアサン(海神)がこうまでなるのに放置してたのはあんたらだろうが。なぜ俺がその尻拭いをタダでしなければならない?」

「それは……、私とてリヴァイアサン(海神)のことは常に気にかけていた。しかし、私も平民派として貴族達の専横を抑えるのに必死で……」

「おい、言い訳はいいんだよ。さっさと結論を出しな。200階層の居住権。できるのかできないのか」

「……」

 ヴァネッサが険しい表情をして黙り込んだ。

 二人の間に張り詰めた空気が漂う。

 リンは居たたまれない気分になる。

「……ドリアス。たとえ私が長官の座に復権したとしても、たかだかスウィンリル長官の権限で、200階層特進を認めるなどということはできない。そのようなことは評議会に掛け合わなければ……」

「なら、お前が掛け合うんだよ。今すぐに!」

(私に選択の余地はない……か)

「分かった。お前の言う通りにしよう」

 ヴァネッサが観念したように言った。

「だが、私の伝手では評議会に掛け合うまで、数日から数週間はかかる。君にはそれまでこの280階層留まってもらう必要がある。できるかね?」

「ああ、いいぜ。それくらいなら待ってやるよ」

「承知した。では、私はすぐに取り掛かることとしよう」

 ヴァネッサは船から海に飛び降りると、アザラシ型の大型水棲魔獣セルガムの背中に着地した。

 そのツノはどんな高い波でも突き破り、そのヒレはどんな渦の上でも突き進むことができる。

 暴風雨吹き荒ぶ嵐の海でも、人を乗せて難なく渡れる魔獣だった。

 セルガムに乗っていれば、荒れ狂う海の上でも、まるで凪の中にいるように平穏な海の旅を楽しめる、と言われている。

「ドリアス。最後に確認するが、君は私が評議会の認証を取り付けるまではあくまでもリヴァイアサン(海神)の暴走を止めることはない。それで間違いないね?」

「……ああ、間違いないぜ」

 リンはこの二人のやり取りに違和感を感じた。

 今のやり取りで、二人は一体何を確認したのだろうか?

「……。そうか。それならば仕方がないな」

 ヴァネッサは踵を返した。

「私は街を救うために急ぐとしよう」

 ヴァネッサを乗せたセルガスは、船を離れてエレベーターのある巨大樹の方へと向かって行く。



 それからリンはドリアスの船でヴァネッサから連絡が帰ってくるのを待ち続けた。

 280階層は見渡す限りの海原以外何も無いので、特にやることもなく、魔力炉に魔導具を入れたり、魚を釣ったり、海の水位を測ったりして過ごした。

 船員には、あまり意味のない雑用を命じてとにかく動き回らせた(人間という生き物は何もしていないと不安に苛まれて余計なことをしてしまうのだ)。

 リンはふとした時、手が空くとテオやユヴェン、イリーウィアら、アルフルドにいる友人達のことに想いを馳せた。

 今頃、みんなどうしているだろうか。

 元気にやっているだろうか。

 もうこちらに来てから、かれこれ数週間経ってしまったが、自分のことを心配しているだろうか。

 それとも自分のことなんてすっかり忘れてしまっているだろうか。

 そうして徒然なるままに日々を過ごしていると、時折、リヴァイアサン(海神)が上方で嘶(いなな)きを発しながら、黒いウォータープレート(水の台地)から姿を表すのが見えた。

 リヴァイアサンの躯体に纏わりつく黒い水の量はますます増え、その嘶(いなな)きはますます大きくなり、怒りを孕んでいることがうかがえた。

「大分、怒ってんな」

 リンがリヴァイアサンの様子を見ていると、隣に立つドリアスが言った。

「以前よりもますます怒りが募っているように見えます」

「ああ、限界は近いだろう」

 リンは水位を計測した表に目を落とす。

「スウィンリル(200階層)の水位はますます上がっています。汚染の度合いも……」

「だろうな」

「大丈夫でしょうか。もし、ヴァネッサさんが評議会に掛け合う前にリヴァイアサンが限界を迎えたら……」

「その時はその時さ」



 次の日、いよいよリヴァイアサンの怒りは頂点に達しようとしていた。

 その体躯は赤く輝き、ウォータープレート(水の台地)は上も下も激しく波打ち、振動して、時折、水位を保てなくなった天井から巨大な黒い水滴が落ちて来た。

 海はまるで大砲で撃たれたかのように水柱を立てた。

「っ」

 水柱で船がグラグラ揺れたので、思わずリンは船にしがみついた。

「ドリアスさん、もう限界です。リヴァイアサン(海神)の怒りを鎮めた方が良いのでは?」

「いや、まだだ。まだ待つ」

 ドリアスはリヴァイアサンの様子をじっと見つめながら言った。



 次の日、いよいよ階層全体がおかしくなってきた。

 津波が何度も起こり、ミスリルの船は何度も海に飲み込まれた。

 リン達はもはや船の甲板に出ることはできず、船内に閉じこもって、沈まないように『浮力発生魔力炉』を忙しなく動かして、どうにか海面に浮上した。

 船は何度もひっくり返り、その度に船内は大わらわだった。

「ドリアスさん、もう限界です。リヴァイアサンを鎮めないと、もう『浮力発生魔力炉』が保ちません」

「まだだ。ヴァネッサからの連絡はまだ来ていない」

「そんなこと言ったって……」

(港湾を沈めてからずっと経つのに守備隊も誰も船を追ってこない。280階層がこの調子なんだから、きっと下の階層はもっと酷いことに……)

 リンの想像通り、200階層は全体的に酷いことになっていた。

 恒常的な津波で街路は水浸しとなり、水の塊の落下で家屋は次々に倒壊していった。

 人々は自宅を放棄して、頑丈で天井の高い建物に避難しなければならなかった。

 この街を襲う震災と危機に瀕して、アルバネロ公を始めとする三大国の重鎮達は、何一つ有効な施策を打てず、その無能ぶりを露呈していた。

 スウィンリル(200階層)住民の不満は嫌が応にも高まっていった。

 ここに来てようやくスウィンリル(200階層)の悲惨な実態に気づいた評議会(500階層)が、重い腰を上げるかに見えた。

 評議会はスウィンリル(200階層)に魔導師を派遣しようかと提案したが、しかし、自分達の失態の数々がバレるのを恐れたアルバネロ公達は、その人脈を使って必死に評議会議員の派遣を阻止しようとした。

 彼らは災害対策もそこそこに、自分達の伝手を頼って手紙を書きまくり、隠蔽工作に励んだ。

 スウィンリルで起こっている災害は大したものではない。

 少し水位の調節機能が乱れているだけで、すぐに復旧することができる。

 災害だ何だと大袈裟に騒いでいるのは、いつも通り少し水位が乱れただけで船の制御を失ったり、溺れてしまったりする未熟な魔導師達や街にも住めない貧乏魔導師供である。

 評議会の皆様にあたっては、どうか住民の不安をいたずらに煽らないためにも、事態を静観するよう努めていただきたい。

 また、くれぐれもこのような不逞の輩の扇動に惑わされぬよう、ゆめゆめご注意いただきたい。

 ただ、現在、スウィンリルは水位対策とよからぬ輩のささやかな暴動を鎮圧するために少々立て込んでおりますので、他階層の皆様にあたっては少しの間、200階層に立ち入るのを禁止させていただきます。

 アルバネロ公達の工作は功を奏して、どうにか評議会議員が派遣されるのを食い止めることはできた。

 評議会としても、階層の代表者自ら大丈夫だと言っている以上、無理に介入して職権を濫用したり、街の代表者のメンツを潰したりすることは憚(はばか)られた。

 とはいえ、できるだけ早く問題を解決して欲しいのもまた事実だった。

 住民の不平不満は募り、塔の支配に対する信頼が揺らいでいるのは間違いがないので。

 そうして評議会が気を揉んでいると、一人の議員が手紙を読み上げた。

「前議長のヴァネッサ・ルーラからの書状を読み上げます。拝啓、此度のスウィンリルの異常に関して評議会の皆様も気を揉んでいられることでしょう。心中お察しいたします。ところで、塔を支える魔導師、またスウィンリルの前議長として、この騒動を解決するためのご提案が一つあります。一人のさる優秀な学院魔導師を200階層魔導師として任命してみてはいかがでしょうか。その者の名はドリアス。彼の力を借りれば、現在200階層にて起きている問題を瞬く間に解決することができるでしょう」

「ドリアス? 誰だそれは?」

「知っているぞ。レドナルク遠征において大功を挙げた学院魔導師だ」

「おお、例の『巨人殺し』か」

「なるほど。確かに彼ならばこの異常も鎮めることができるかもしれん」

「早速、特例を出そう。我々、評議会議員が動いて問題解決にあたってはアルバネロ公らのメンツを潰すことになりかねんが、学院魔導師を使って手助けするのならば、問題なかろう」

 評議会は常にない早さで特例を認め、ドリアスの200階層特進を許可した。



 妖精がドリアスの元に手紙を運んでくる。

「お、来たか」

「ヴァネッサさんからの手紙ですか?」

「そのようだ」

 妖精は手紙を渡したかと思うと、ドリアスの手の甲に口付けをした。

 ドリアスの手の甲に刻まれた紋様が学院魔導師仕様からスウィンリル(200階層)仕様に変わり、ローブは紫色に変わる。

 これでドリアスは200階層までのエレベーター通行権及び、スウィンリル(200階層)居住権を手に入れたことになる。

「やりましたね。ドリアスさん」

「ああ、これで大手を振って200階層を自由に歩けるぜ」

「では、目的も達成したことですし、リヴァイアサン(海神)を鎮めましょう」

「いや、まだだ」

「えっ?」

 リヴァイアサン(海神)はいよいよその体を赤く発光させ、ブクブクと膨らんでいった。

 全ての不満を発散させるのは時間の問題だった。

 にも関わらず、ドリアスは動こうとしない。

「ドリアスさん。このままじゃリヴァイアサン(海神)は……」

「果たしてここでリヴァイアサンの暴走を止めるのと、暴走させるのと、どちらの方が俺にとって得か」

「ドリアスさん?」

「200階層不法侵入の罪は消えたが、海賊行為に関する罪状は消えていない。リヴァイアサン(海神)を暴走させれば、揉み消せるかも。そして壊滅した街からさらに多くの戦果を得られる」

「ドリアスさん、ヴァネッサさんとの約束は……」

「確かに俺は評議会の認証を取り付けるまで、リヴァイアサンの暴走を止めることはないと言った。が、評議会の認証を得たからと言って直ちにリヴァイアサンを止めるとは言っていない」

「……」

「リン、人生は短いんだ」

 ドリアスはにっこりと笑いかけてくる。

「ただでさえ短い人生、思いのままに振る舞える時間はさらに短い。他人のことを気にして我慢ばかりしてたら、人生なんてすぐに終わっちゃうぞ。限られたチャンスをモノにしないと」

 ついにリヴァイアサン(海神)の堪忍袋の緒が切れた。

 290階層の淀みきった水が下の階層に向かって一気に放たれる。

 スウィンリルはたちまちのうちに濁流に飲み込まれた。

 各階層の水位は5階まで上昇し、街にある5階以下の建物は全て黒い水に飲み込まれる。

 その体に纏わりついた黒い水をそぎ落として、元の姿と澄み渡る清水を取り戻したリヴァイアサン(海神)は、再び優雅に、そして力強くウォータープレート(水の台地)を泳ぎ始めた。


 

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次回、第150話「ヴァネッサの反攻」

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