下町で暮らすことに馴染んだ話

下町と呼ばれる、23区の片隅に身を置いてあっという間に2年半が経った。ここは「身内」が広義の町だと思う。

名の知らぬ隣人。行きつけの店。そこの店員。それは個人店ではなく、コンビニやスーパーですらそうだった。それから、そこらへんの猫。

この町は、誰かがふと私の隣へやってくることも、そこで突然話しはじめることも、その言葉が私に向けられたものだったりすることも、こだわりのない日常に溶けている。

とある日は猫を見ていて。駅からの帰り道、知らない家の塀の上の肥えた猫を見ていたら、私の隣でおばあちゃんが「かわいんだ。な?」と言った。「ね。」と返す。

それきりのこともあれば、「みんな餌をやるんだ、だからこんなまんまるくなっちまった。」そう続くこともあった。それだけ。

駅のベンチでは「昼だけはあったけぇな?」おじさんがいう。隣の私は疑問もなく「そうだね、夜はまた冷えるみたいだから。」と返す。それだけ。

それだけなのに、それはいつも、全く違う誰かと繰り返されてまた終わる。終わりはあっけなく、でも冷たくはない。

ここでは今まで住んでいたところでは起きないことが沢山起きた。仕事をしていると野菜をもらったり、地元の従業員さんが夜の寒い中の仕事を案じて家で作った豚汁をくれたり、仕事場が本社に変わる時には名も知らない常連さんがお祝いの花束をくれたりした。

そうしているうちに私の生活はこの町のものになった。いちごだけ買う日には、スーパーではなく、美味しそうなのを選んでくれる駅前商店街の青果店に行き、インドカレー屋でシシカバブをテイクアウトして、待ちながらバングラデシュ人と話をする。

一階に住むおばさんがベランダに出ていると、出勤する私に行ってらっしゃいと声をかけてくれる。私はこの町の親ほどの年齢の知らない女性を、おかあさんと呼ぶようになった。

それから、髪を切る店を変えた。普通のショートカットしかしないくせに、私は3年間、実家に帰るついでに美容院に行っていた。10年も私の髪を切っていたその人は、多すぎる髪を躊躇なく梳いて、躊躇なくショートにしてくれる。それがラクで好きだった。

疲れた日は寝ててもよかった。自分でしたカラーリングが見えないように切ってほしいと無茶を言っても聞いてくれた。パーマのかからない頑固な髪に、ストレートパーマの溶液を使って、持ちのいいパーマをかけてくれた。けれどその人は今年新しい店に移ったようだった。いい機会だと家の近くで髪を切ることにした。

変える先は悩みに悩んだが、変えてみると別段なんということもなかった。私は、最後に残った糸を切ったような気持ちになった。

実家にはよく帰るし、あの町はいつまでも私の地元だけれど、今の私は本当にこの町の人になった。まだ知らない路地や店が沢山あるけれど、この町は私の住む場所だ。新しい美容師さんは、ちゃんと私に優しかった。

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