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ジェイムズ・ホール『西洋美術解読事典』河出書房新社,1988, 1995


美学美術史専攻の学生時代、図像学の講義が好きすぎて、大学生協の本屋さんで買った本です。

裏表紙に描かれているのがラファエルロの「三美神」。フランス、シャンティのコンデ美術館所蔵。

3人のおんなのこたちは、優雅と美の擬人化だそうで、数人の女神につかえるそうです。アトリビュートは、薔薇、ギンバイカ、林檎、賽子など。。おんなのこたちが手に持たされているものたちですね。

なんて、イコン画集とのつながりで、数十年ぶりに手に取り、「三美神」をなにげなく上にして、その辺にぽいっと置いておいたら…。

小学校から帰ってきた子供がみつけ、「エッチ〜〜…」と、本をパタンとひっくりかえして向こうに行ってしまった。

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表表紙は、おなじラファエルロの「スキピオの夢」。ホール先生によれば、「英雄の持つ美徳は、官能的快楽をあさましく追い求めず、活動的かつ瞑想的な生活を送ること…」だそうです。パノフスキー先生は1930年頃に、ラファエルロの「三美神」は「スキピオの夢」と対になっている…という学説をとなえたようですが、これについては諸説あるようですね(wikipediaより)。


それにしても。
「三美神」がエッチだなんて。
25年間、一度たりとも感じたことはなかった…。
ただただ、美しい技法、としか感じていなかった。。

いわれてみれば、裸だな…と、中高年の母親の濁った目には、この3人組と空気遠近法的なランドスケープの描き方に、「象徴」的意味しか見てとれなかったということです。。

子にとっては、きれいなおねいさんたちがたわむれる、なまなましいイコン(?)みたいな感じだったのでしょうか。ちょっとちがうか…。

おのれのにぶさを恥じるばかり。透明な瞳をもつ吾が子よ。ありがとう。

ラファエルロも、『三美神』がお金持ちの注文で描かれた絵だとすれば、絵を売って食い扶持をかせぐ職業柄、金持ち注文主のスケベ心(?)をみたすために、若い女の子3人組を裸体にしたのです、、「象徴」とか「美徳」とか「スキピオ」とか、色々と言い訳を付与しておいてね、これはエリートの知的趣味である、などなど、物は言いよう文化は、現代にいたるまで連綿と引き継がれている、という身も蓋もない社会的背景があったのかもです。

ちなみに、ラファエルロが生まれ育ったのは、中部イタリアのウルビーノ公国。いまでいうマルケ州のあたりですが、中世以来の、濃厚かつ豊穣な山岳都市文化を現在までひきついでおり、山の上の城砦都市で、電車も通ってない、車でも行きにくい、現代的な施設はあんまりない、地震もある、けど、とにかく美しいし、ご飯もワインもすごくおいしい。いまでも、ウルビーノ周辺の小さな町にいくと、極上の惣菜屋と下着屋はあるけど本屋はないとか、小さな坂道をのぼっていくと、地元産のワインを道端の家で樽から空のペットボトルにつめて売ってくれる、ような。ある意味、人間の欲望に忠実な、なにもかもが美しき街です。

マルケ州は靴の産地、というところも、ルイス・ブニュエル的な欲望のきわみを感じさせられます…と、ラファエルロ的な南欧式妄想都市は広がるばかり。

それはともかく、そんな都市文化のありかたが、ラファエルロの絵画の背景にあることを知ると、また味わいがかわります。。

「象徴」「イコン」の話とだいぶそれましたが、絵画が、鑑賞者のまなざしとの関係性で意味が形成されるのであれば、「象徴」「イコン」の文脈での意味の形成というのはなかなか複雑なんだな、ということが、わかる気もします。。

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