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ウィリアム ・フォーサイス&フランクルフルト・バレエ団「エイドス:テロス」1996


ウィリアム ・フォーサイス&フランクルフルト・バレエ団
東京公演カタログ
「エイドス:テロス」1996
1996年4月に行われた日本公演のパンフレット。

パンフレット自体は、公演前に、インター・コミュニケーション・センター(ICC)企画による、フォーサイスのワークショップの会場(ラフォーレ原宿)で購入した記憶があります。
https://hive.ntticc.or.jp/contents/interview/forsythe

フォーサイスは当時、フランクルフルト・バレエ団の芸術総監督として来日し、東京でツアー公演を敢行。

大学生だったわたしには、フォーサイス公演のチケットは入手が困難で、泣く泣くワークショップを訪れた、ような気がします。

長身痩躯の鷲顔のフォーサイスが、ひらの会場で、二進法振付バレーBinary Ballistic Balletを解説するために、かるく腕と足を動かしてみせる、その優雅な所作にみとれてしまった記憶があります。

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The more you can let go of your control, and give it over to a kind of transparency in the body, a feeling of disappearance, the more you will be able to grasp differentiated form, and differentiated dynamics.
(William Forsythe)

「コントロールを捨てて、身体の中のある種の透明感つまり消滅の感覚へと傾倒していけば行くほど、もっと細分化された形を、そしてもっと細分化されたダイナミックスを捉えることができる。」
(ウィリアム・フォーサイス)

身体は動きにともない形(エイドス)も物質(ヒューレ)もかるがるのりこえ、新たな目的(テロス)に達する、みたいな感じでしょうか。

身体がコントロールから逃れることで、透明感と消滅感を獲得し、ことなるかたちが生成される、という感覚は、身体表現ならではなのではないかと思います。おどりのもつ合一感というか、演技者、鑑賞者間でかわされるカタルシスというか、他のアートメディアで、意味とか論理をかるがるとこえる表現形態は、なかなか存在しえないのではないでしょうか。

ちなみに、フォーサイスのツアーが行われた1990年代の東京は、大企業と文化が幸福に結びついた時期でもありました。西新宿は淀橋浄水場跡地の大規模再開発により、東京オペラシティ(→NTT)のICCとか、新宿パークタワー(→東京ガス)のオゾンなど、公共系の大企業による文化施設があいついで設立されました。もしくは都庁ができたり、LOVE彫刻で有名な新宿アイランド(→住宅・都市整備公団)ができたり。有楽町の旧都庁跡は国際フォーラムとなったり。大企業が、あからさまな営利活動とはみせずに、文化育成に投資する、日本社会にまだ余裕があったのかもしれない。牧歌的な時代でした。

当時、研究者のような風貌のフォーサイスは、理論派コレオグラファーとしての印象を日本に刻みこみました。

一方で、その後のフォーサイスは苦難の道のりを歩んでいきます。21世期に入り、古典的なバレエ作品の上演を志向するフランクフルト側とコンテンポラリー志向のフォーサイスで対立し、解任騒動などありました。結局、2004年にバレエ団そのものが解散し、フォーサイスは自身のカンパニーを設立したようですね。

https://www.williamforsythe.com/williamforsythe.html

フォーサイス・カンパニーのサイトのダンス映像などみると、フランクフルト時代のバレエとの葛藤など、とっくにふっきれた?様子が、、。そういうものでもないのでしょうか。
フォーサイス先生は1949年生まれなので、現在71歳です。長年がんばるフォーサイス先生をみると、何年たっても、年とってもガンバロ〜…と励まされますね。


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