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車輪の再開発【鰆木ハルカ】

車輪の再発明について


車輪の再発明(しゃりんのさいはつめい、英: reinventing the wheel)とは、「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を指すための慣用句。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(2022/07/08)

Wikipediaから失礼します。

多くIT分野において耳にする言葉であるようです。すでに確立されたツールについて、新たに労力をはらうことは全くの無駄であると、そういった先達の知恵が表れた言葉と言えましょう。

文藝部なりに考え直せば、次のようになるでしょうか。

  • 書いた設定が有名作品と被っていた

  • 書いた情景描写が有名作品と

  • 書いた人物像が

  • 作品の筋が

  • トリックが

  • 比喩が

つい先日、私も温めていたアイデアを商業誌で確認して、愕然としていたところです。
パクられた、などと宣うつもりは全く勿論ありませんが、それならばその感情の矛先が向かうのは自分自身以外にないでしょう。

なぜあのとき書いておかなかったのか。

なにせ、私のあの輝かしいアイデアは、そのほんの一瞬にして古めかしい車輪に成り下がってしまったのですから!


車輪の再発明は悪か

しかしまさか、今更これを悪だなどと言えるでしょうか。noteにおいてさえ、これだけの人が取り沙汰する議論の的を、再度ここでも取りあげることこそ、「車輪の再発明」以外の何物でもないのですから。

そしてこの話題について取り組むのなら、私たち文藝部は、私たちなりにこの言葉を捉え直さなければなりません。
私たちが曲がりなりにも生み出す言葉は、決して0と1とで構成されているわけではなく、あらゆる有名作品に一言一句違わぬ結果を創出することなど、おおよそありえないのですから。


キメラへようこそ

あの輝かしいアイデアなどと書いてしまった手前信用していただけないかとは思いますが、私としても、「私の書く作品の全てがオリジナルだ」などとは考えていません。
むしろ私は、自身のことをちょっとした(壊れていない程度の)合成機械であると信じていますし、同じく文藝部に所属する部員に対しても(どれだけ低く見積もったとしても)合成機械としての力は持っていると信じています。

そして、これは決して私たち自身のことを不当に低く卑下した物言いでないとも、私は信じています。
私たちは、私たちの食べてきた書物から、ほんの少しばかりのキメラを取りだして、モニタの白に打ち出しているに過ぎないからです。

私たちは所詮、知っていることと知っていることをかけあわせることでしか先に進めないのですから。


車輪の再発明は開くか?

であればどうして、車輪の再発明を嘆く必要がありましょうか。
合成機械である私たちは今日も明日も明後日も、新たな車輪を生み出し続けるでしょう。
そしてその一つとして、これまでに生み出された車輪はなく、必ずそれは私たち一人一人に根ざしたキメラであるはずなのです。

これまでに見聞きしたあらゆる車輪をもとに、私たちは開発を続けます。
開発を続けることでしか、新たなる車輪2.0は創出されえないのです。


この記事を読んでくださった皆さんは、もう何を恐れることもなくあなた方自身の創作活動に打ち込むことができるようになるでしょう。

それはこの記事を書き終える私も同じです。
なにせ、この狭い文藝部の中においてさえ、再開発は日夜行われているのですから。


あなたには書く権利がある

あなたには書く権利がある【ミランダ】

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