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発達障害看護師、生きづらさ、男性への依存、醜形恐怖に悩まされた日々

はじめまして、ま といいます。
ここでは自分自身を振り返る意味でも過去のことや現在のことを綴っていけたらと思います。

本を読むことがとても苦手だったため学がなく文章力がありません。ご了承ください。

少しでも共感できるなーって人がいたら幸いです。

まず自己紹介から
地方在住の30代前半女
職業は看護師をしていましたがパワハラや激務によって8年間勤めた病院をこの度退職
趣味は郷土玩具集め、木彫り、筋トレ等


プロフィールにも書いた発達障害のことですが私は主にADHD(注意欠如・多動症)、そしてASD(自閉スペクトラム症)です。

学習障害はありません。おそらく、、、
小学校、中学校は普通にいけてました。でも宿題が出来なかったり、忘れ物が多かったりと不注意が多かったことは覚えています。

高校生になって勉強についていけなくなったことで過度にサボるようになり浪人しました。浪人してなんとか公立大学に入れた感じです。あまり浪人して看護大学に入る人はいないかもしれないですね。

発達障害に気づき、診断が降りた経緯を話します。

看護師を初めて一年目、覚えが悪く一緒に入った同期3人の中でかなり遅れをとっていました。

メモを取ることが大事だということはわかっているのですがどうメモに書いたらいいかわからない。
メモをとっても後から見返してなにが書いてあるかがかわらない。
先輩が言っていることを自分なりに解釈してメモに落とし込むことが難しかったんですかね。

「これ教えてもらうの何回目?」

この言葉が刺さった

怒られたくなくて「初めてやります」
と嘘をついていたことも

一回やったことなのに根拠が結びつかないがあまり再現できない。

看護師一年目は本当に苦しかった
なぜ私だけできないんだって

あと人に怒られたりするとすぐ「私ができないやつだから嫌われてるんだ」
と思う傾向にあり、どんどん人付き合いが苦手になって生き辛さを自覚し始め友人の勧めで心療内科にいきました。

そこで「ADHD、ASDの疑いがある、カウンセリングをしながら様子を見ていきましょう」と言われました。

今まで、自分がダメだからみんなに迷惑をかけている。とばかり思っていたのがどこか楽になったような気がしました。

でも診断されたくないって人もいるけど
私は全部が自分の努力不足ではないんだって思えて楽になれました。

私が発達障害であることがわかって4年くらい経ったと思います。
今までよりは自分のことを愛せてるし、だいぶ生きやすくなりました。

自己肯定感が低いことから男性に依存したり、誰とでも関係を持ったり

本当に今考えると狂っていたな。と思えます。

異常なほどに低い自己肯定感からくる男性への依存についても話していきます。


独り言ですが見ていただいた方には感謝します。

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