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深読(10) - As a hard gainer

深読みしたがりによる脳内言語化エッセイです。
今回は、とあるカミングアウトをします。

はじめに

自己開示には多かれ少なかれリスクが付きものであることを承知で言うと、私はハードゲイナーである。

性的指向(嗜好)の話ではなくて、ハードゲイナーとは、増量(体重増加 | gain)に困難がある(hard)体質の人を指す、アスリート用語だ。日本語では外胚葉型と呼ばれる。

私のからだ

標準値が22といわれるBMIは、私の場合平生15〜16(やせすぎ)を推移し、過去の最大値はおよそ18(やせ型)である。

女性ルッキスト諸氏からは「羨ましい」「お肉分けてあげたい」などと、本気か社交辞令かわからぬ言葉をいただきながら、かつての所属先ではしばしば線の細さや虚弱さがキャラとして確立されていた。

普段の食事量は、人並み以下である。いつもより多めに食べると、そのぶん体外に出て行ってしまうというのが実情だ。

スポーツに長期間打ち込んだ経験がない、と言うと「だったら自業自得」で話が終わってしまうこともある。
ただ、私はこれまで水泳、バスケットボール、登山、またスポーツではないが吹奏楽を経験している。しかしながら体育会系特有の空気感に馴染むことがどうしても叶わず、いずれも数年以内で辞めている。
いい思い出といえば、山頂の眺望とアンサンブルの高揚感くらいのものであり、そもそもスポーツとは縁がないのだと自認している。

またある時には、増量を目指して筋トレをしてみたり、筋肥大用のプロテインを数年間飲み続けたり、曲がりなりにも色々と努力はしてきたつもりだが、それらに悉く失敗してきた。学習性無力感が身についた結果、今現在「男らしさ」の感じられない、それを抜きにしても健康的とはいえない、貧相な体型である。

持たざる者

見た目より中身が大事。

そのような論理は実に理想的であるが、現実には「強きを助け、弱きを挫く」論理が根強い、体育市場・恋愛市場・大衆娯楽・ジャパニーズビジネスシーン・その他あらゆるレッドオーシャンにおいて、「ルックスが他者に与える印象が殊更に重要」ということは、残念ながら経験上疑いようがない。

そのような環境下で、一度でも「弱者」のレッテルを貼られてしまえば、貼られた者がそこから離れていくのに十分な事由となる。そして再び「強者」を目指してそこに復帰する可能性は、他人が思うよりもずっと低いのだ。

この心理はおそらく「持たざる者」にならなければ分からない。
うまく伝わるかどうかわからないが、「持たざる者」は、努力すればするほど無能な働き者とみなされ、時の主流派から爪弾きに遭うという宿命を負っている。それを物ともしない位の断固たるモチベーションがあればなんとかなるが、そうでない場合、強者を忌避し息を潜めて生き存えるか、新天地を求めて旅に出るくらいしか道がないだろう。

ハードゲイナーの日常

ハードゲイナーという体質は(程度にもよるが)日常生活を送る上での障壁となる場合がある。

ハードゲイナーには代謝が非常に良いタイプと胃腸の機能が弱いタイプがおり、後者は慢性胃炎や過敏性腸症候群などを患っている場合がある。体重を増やすために大量に食事をした結果、発症してしまうケースもありうる。

「食事量こそ正義」が罷り通るようなシチュエーションでは真っ先に痛い目を見るタイプだ。私がまさにこのタイプであり、常日頃から胃腸薬のお世話になっている。

また、フィジカルの適性不十分による行動制限がかかる場合もある。例えば警察官や階級のあるスポーツ選手に体格の下限が規定されているように、献血をするにも体重の基準が存在している。このため私は献血をしたくてもしたことがない。

さらに、団体競技や仕事において、協調を重視するあまり自分の体力の限界を超えた活動をすれば、肉体の故障や評価の下落など、不本意な結果に甘んじるしかないということも往々にしてある。

気が付いたら八方塞がり。

そんな状況は、私にしてみれば数え切れないほど身に覚えがあるし、今でもそうである。

あきらめない

すっかり諦め癖がついてしまった。

これは大変に厄介なもので、何か一つを諦めると、他のことも連鎖的に諦める方向で考えるようになりがちだ。

運動、恋愛、結婚、仕事、健康、生活、生存…

このように、一度考え始めると芋づる式に諦念が拡大し、とめどなく自己が溶解していく。

それを食い止めるために必要なのは、自分なりの哲学だ。

誰かに積極的に危害を加えなければ何でもいいと思う。
これだけは決して譲れないという理念、目標、抱負、覚悟、座右の銘。そういったものが、溶解する自己に背骨を与えてくれ、社会的動物である人間として生きていく上での支柱となる。

もしかしたら世の中には、そのようなものがなくても生きていける人もいるのかもしれない。だが、何かしらの困難を抱えた(hard)者にとって、それは「何が何でも死守せねばならぬ」ほどの価値があるのだ。
それは自己と他者を区切る境界線となり、社会生活のスタートラインでもある。

ということで、この話は2019年の私の抱負へと続くことになる。

#エッセイ #深読 #ハードゲイナー

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