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大学生自転車日本一周旅駄話:ありがとう、歩道を綺麗にしてくれる人たち!

 以前自転車で日本一周をした時の、どうでもいいっちゃどうでもいいお話。

 自転車は、車道を通らなければならない。
 これは法律で定められていることだし、歩道を自転車が走るのは歩行者にとって危なく、また自転車の運転手自身も加害者になりかねないリスクを負っている。だから、自転車は車道を通るべきなのである。

 それはもちろんわかっている。だが、理想と現実というものは、うまく混じり合ってはくれない。歩行者がいないときぐらいは歩道を走りたい。そりゃあ途中で歩行者が現れることだってあり得るけれども。それでも、車道を走る怖さに比べたら、こっちがスピードを落とせばいいだけだから幾分もましだ。車道を走っていて、もし強風が吹いてよろめいてしまったら、もし車が誤って歩道側に寄ってきてしまったら…。命まで覚悟をしなければならない。でも、歩道を走っていれば、その心配もほとんどなくなる。ガードレール付きの歩道だったら尚更。安心感というものは非常に重要で、それだけで一気に心が軽くなって景色を楽しめるようになったり、考え事に耽ることができたりする。

 だが、そんな歩道だっていいことづくめではない。その例の一つが、歩道に雑草生えすぎ問題、なのである。これの何が問題なのか。一つずつ説明しよう。
 まず、草のくせに攻撃力は高い。虫と違って、草には意志がない。だから、人がやってきたからと言って避けてはくれない。つまり、自らはっぱカッターをくらいにいく形となる。しかも、草には棘がついていたり、先が鋭かったりする。当たり方次第によっては小さなすり傷を生むことだってしばしば。後になって痒くなることだってある。
 次に、高確率で汚れる。この旅に出ていたのは夏だったから、雨でも降らない限り汗はとめどなく流れてくる。その状態で草に突っ込むと、間違いなく草がへばりつく。また、服や靴に種が引っ付いたりもする。やはり見た目が汚らしすぎるし(その格好で店に入るのは流石に憚れる)、視界に入ると鬱陶しい。
 さらに、草が自転車に絡まる。これも正直気分の問題で、自転車に草が絡まったまま漕ぎ続けるのは気持ちが悪い。自転車のホイールとこすり合って音が鳴ったりするし。高級な自転車だとそういう被害も少ないんだろうけど、部品の多いママチャリに乗っていると、草をかき分けたその後には、必ずと言っていいほど、絡まった草とこんにちはしなければいけない。ちなみに、自分が原因ではあるが、その絡まった草を足で取ろうとして自転車を故障させ、1日を棒に振ってもいる。
 また、こういう汚い歩道はたいてい歩道がガタガタしている。雑草はそのガタガタの原因となる亀裂のような隙間から顔を出しているものだ。このガタガタ道の何が大変かって、まず単純にスピードが落ちるし、その落ちたスピードを取り返すために普段以上の体力を奪われるし、不安定な分握力も持っていかれるのである。決していいことはない。
 最後に、雑草が歩道部分を埋め尽くしていたり、歩道には生えていないものの、歩道の範囲に大部分が顔を出している場合、車道を通ることを余儀なくされる。そして、こういう道に限って、車道が狭い。だから、車の運転手にとっても自転車に前を走られることは厄介だと思うし、こちらとしても、車の運転手の機嫌に怖れつつ後ろを振り向くわけにもいかないから必死に前を向いていかなければならないから大変。しかも、草を避けるたびに車道側に膨らまなければならないが、このことを後ろを走る車の運転手が想定していなかったらと考えると、まあ恐ろしい。こういう道はとにかく死と隣り合わせだし、メンタルが削られる。
 雑草まみれの歩道は、こんなに問題点を抱えているのだ。

 だが、ここで正義のヒーロー、歩道を整備してくれる謎の組織の方々、が登場する。
 正体は不明。それは企業だったり、地域のボランティアだったり。そして、どこで登場してくれるかも不明。
 彼らは、歩道の雑草を手入れし、ゴミを捨て、問題点があったら報告してくれてもいるのだろう(全て想像)。
 「私たちがこの歩道をきれいにしました」という文言とともにその組織の名前が入った印がある歩道は、当たり前かも知れないが非常に走りやすい。走りやすいということがどれだけありがたいことなのかわからせてくれるほど綺麗に保たれている。

 正直、この旅をするまで、歩道をきれいにしてくれるこのような方々のことを意識したことすらなかった。歩道は、綺麗で当たり前。何不自由なく通ることができて当たり前。確かに、歩道を綺麗にしています、の印を見たことはあるし、この人たちについてどう思いますかと問われればありがたいと答えるだろうけど、いざこの人たちがいない荒れた歩道を通ってみて、そのありがたみを噛み締めることとなった。
 当たり前というものには、ふとした瞬間にそのありがたみを感じる。世の中には、まだ気づけていないありがたみがそこらじゅうに散らばっているのだろう。それらはもちろん、ふとした瞬間にそのありがたみを感じることになるのだろうけれど、できるだけ多くありがたみに気づいていきたいものである。

 最後に、声を大にして言いたい(と言いつつ文章にしている)。

 ありがとう、歩道を綺麗にしてくれる人たち!


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