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老いるということ

前回の記事を書いてから1週間後に虹の橋を渡った我が家の愛犬。
亡くなる直前までグルグル歩いて、ドライフードも食べていた。
本当に偉かった。

意識が低下したのは、夜中に痙攣発作が起きてから。
亡くなる日の朝、意識がなくなり、小さな体を震わせて、小さな声で鳴いた。
聞いたことがないその声は、本当にうちの子の声なのかな?と思うほど、切ない声だった。出勤前に、その姿を見たのが最期。
リビングに家族と居たけれど、最期の瞬間を誰も見ていない。
それくらい、静かに息を引き取った。
仕事から帰ると、痩せた小さな体は更に、小さく、冷たくなっていた。
あの時の小さな声は、苦しかったのかな?と切ない気持ちになるけれど、自宅で自然のまま看取ることができたのは、良かったと思っている。

超高齢犬となり、覚悟は出来ていたので、いわゆる「ロス」にはなってない。でも、今、思い出すと、悲しくて涙が出そうになる。
時々、思い出話を家族とするけれど、それは、楽しかった時の思い出ばかり。写真と小さな骨壺を見ると、元気で走った姿も、オムツ姿でヨロヨロ歩く姿も、沢山ご飯食べる姿も、最期の姿も、目に浮かぶ。

沢山の優しくて温かい時間をありがとう。そして、一生懸命、生きる姿を見せてくれた。本当に偉かったね。





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