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ラヴェル:ピアノ協奏曲 第2楽章

いい曲だなと思ったものが、いったい何だったのか、わからなくなることがよくある。交響曲は、うとうとしていると、あら?今何楽章?となり、リサイタルは、ソリストが曲と曲の間におじぎをしたり舞台袖に戻ったりせず小品を弾き続ければ、今、どれ?となる。薄暗い客席でプログラムはいつもよく見えない。しみじみ美しいと感じ入ったあの旋律は、どの曲の何楽章で、どのあたりのメロディーだったのか、手元のパンフレットに丸印をつけて、それを大切にとっておかない限り、記憶になかなか残らない。

20年前もそうだった。ピアニストのペダルを踏む足元から赤い靴下がのぞいていたこと、北風の吹く土曜日のマチネ(昼公演)だったこと、オーケストラはNHK交響楽団(N響)だったこと。まだ楽屋や舞台袖に入る経験が数えるほどだった頃、「前半だけでも聴いておいで」と仕事中に客席に座らせてもらって聴いた曲が何だったのか、やはりあっというまに忘れてしまった。本当に、曲名が書いてあるパンフレットくらいとっておけばよかった。覚えておきたいと思ったのに何もしないまま、そのまま何年も経ち、辛うじて忘れなかったのが、ピアノと赤い靴下、秋の土曜日、N響だった。都会的な印象の1楽章のせいか、続く緩徐楽章の2楽章は大きな夕日が摩天楼にゆっくりと沈んでいくように聴こえた。それで、これはもしかしてピアニストの赤い靴下と関係あるのかしらと思った。

それから何年もたって、N響の演奏会履歴をウェブサイトで見ていた時、ふと、あの時の曲が何だったのか、この一覧で調べられるのではないかと思った。97年秋、NHKホール、ピアノ・コンチェルト、土曜日、条件をしぼっていくと、それはあっさり、ラヴェルのピアノ協奏曲であったことがわかった。ピアニストはジャン=イヴ・ティボーデ、指揮はシャルル・デュトワ。今思えば、赤い靴下はティボーデのトレードマークで、ティボーデはフランス人で、フランスといえばラヴェルだとわかりそうなのに、当時は何も思いつかなかった。

久しぶりに聴いたラヴェルの2楽章は、むしろ雨の森のようだった。5月の優しい雨が針葉樹の森に静かに降っている。誰もいない。ずっとひとりで聴いていたいと思った。自分の必要なものに魅かれるということであるなら、何かあったらここに戻ってこようと思った。

それは、いつか失くてしまいしそうで困っていた小さな紙切れを、ピンでコルクボードに留めたようなささやかなことでしかないが、これで、ポケットの中でぐしゃぐしゃにしてしまうことを心配せず、手を放していい、ずっと握っていなくていいと思えることは、心安らかなことだった。

どこにしまったらいいのかわからず、まだちゃんと持っているのか、たびたびポケットの中をのぞいてしまうような探し物がもうひとつあった。「よい思い出は心を強くする」という言葉だ。それを聞いたのは、大学の独語原書講読の授業中だったが、誰の言葉なのか、どこに書いてあったのか、思い出せない。あの時の小さくて薄いテキストがどこかにあるはずだと思っても、探すための時間をとることができなかった。

ある時、やっと、また20年もたって、その緑の表紙のテキストを本棚のすみでみつけた。ぎゅうぎゅうにつめた本に挟まれて、すっかり変色してしまった薄いテキスト。何かしるしをつけたかもしれないとページをめくってみたが、信じられないくらい小さい字の書き込みは調べた単語の意味ばかりで、期待したものを見つけることはできなかった。おかしいな。確かに、あの怖くて有名なドイツ人の先生の授業中だと思ったのだけど。ここにないのであれば、もうよくわからない。

それは偶然にも全く関係のない英語のテキストの中で発見した。音楽事務所の仕事は、ドイツ語はできなくてもなんとかなるが、英語が使えないと本当に不便なので、英語の勉強は怖くてやめられない。仕事から帰って、自宅でぼんやりしている深夜、少しはゆっくりさせてほしい土曜日の朝、急な変更や強引なリクエストのメールが時差のある国から飛んでくるたび、自分の英語力のなさに慌てる。

私の探しものは、英語学習者向けにレベル別になっている読み物、ラダーシリーズ の「カラマーゾフの兄弟」にあった。「エピローグ」で描かれたカラマーゾフ家の三男、アリョーシャのセリフだ。

When the funeral was over, Alyosha gathered the schoolboys around him.
“Boys, I have something I’d like to say to you now,” he said. “Let us all remember this moment, when we gathered together to do something kind for the people we loved. It’s memories like this that will give us strength and guide us to be better people in the future. 

まさか「カラマーゾフの兄弟」だったとは。先生が授業中に話したのだろうか。これを、ロシア文学研究の亀山郁夫氏はこのように記している。

「もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。」(ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 5」亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫)

今の自分に輪郭がないように思えて、どこを向いているのかもよくわからない時は、確かな場所にもどって体勢を整えられたらいい。

思い出は闇夜を照らすポラリス(北極星)、見失ったよう思えても、何にも遮られない北の空で、私が見上げるのを待っている。ポケットに入れた紙切れも、いつか輝く星になるだろうか。


ティボーデのラヴェル:ピアノ協奏曲 2楽章は8:10頃から
(フィリップ・ジョルダン指揮グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団)
https://www.youtube.com/watch?v=gAtzmCGMNfI&t=561s

雨の降る針葉樹の森のように聞こえるエレーヌ・グリモーの2楽章
(ウラディーミル・ユロフスキー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)https://www.youtube.com/watch?v=NRTWLQ4nI6Q

「冬のソナタ」第2話 34:00頃
だから道にまよったらまず、ポラリスを探すんだhttps://www.youtube.com/watch?v=gjVRotFHMoE


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緑の表紙のテキストは、濡らしてしまったのか、変色してしまっていた。

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