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私と父。


今日、最近でてきた”Threads”をなんとなく見てた。
まだよくわからないまま、みんなとりあえずやってみてる。
そんな印象だ、私もそのうちの1人だが。
目にとまったのは1本の短い動画だった。

その動画のメッセージは
『父は何があってもキミの父です。』
 (大切なものを、守り抜くということ。)
というものだ。

そのメッセージが妙に私と父の関係に刺さるものがあり、目を惹いた。



私は3人兄弟の真ん中で、いわゆる箱入り娘で
それはとてもとても可愛がったらしい。(父が言う。)
言われてみれば幼い頃の写真は、なぜかパーマをかけられてたり、
着せ替え人形のようにいろんな服を着せられていたようだ。
顔はほとんどが真顔だった。笑

小学生になり、父の願いでもある剣道をなんの疑いもなく兄のように始めた。
当たり前のように。
父との幼少期からの記憶はだいたい剣道のお説教だった。

中学生、高校生の思春期の頃になると
父がOBにあたることもあり、外部講師のような形で部活の時間になるとやってくる。
同級生の間でも有名な「怖いお父さん」だっただろう。
それは、THE 昭和の頑固親父、THE 職人の頑固親父(自営)どちらもだ。
当時は今よりもきっと師弟関係としての武道の場は厳しいものだった。
父も袴を着ると師匠という立場になるのを意識してか、女だろうが我が子だろうが関係なかったように思う。

その頃からだ。
私と父との間に確執ができたのは。


勉強ができて、剣道もそこそこできる兄。
勉強もできて、剣道もできる弟。
そして、勉強もできず、剣道もさほどできない私はよく兄弟と比べられていた。

私は父に好きな音楽も、好きな服も言えなかった。
「服や音楽に興味を持つやつは馬鹿になる」
そう言われ続けたからだ。
そして成績が悪いと、私だけでなく母も怒られた。
「女の子は育て方がわからないから(母に)任せていたのに。お前がしっかりしない
からだ。」
そして夫婦喧嘩が始まっては、母が家を出ていた。
数時間で帰ってくるとはわかっていたものの、子どもなりに何も言えず。
大人になってから、そんな時母は車で40分ほどの祖母のお墓に行っていたと聞いた。


思春期というだけあって、もちろん反抗期もあった。
だけど、私の場合は(家で逆らえば部活でやられるんじゃ。)
そんな想いで反抗期らしい反抗はできなかった。

キレる前に部屋に篭り、父の後ろ姿に睨みつける。
そんな毎日だった。




大人になり、自分の意見の伝え方も少しずつわかってきた。
母になり、子を想う親の気持ちもわかるようになってきた。

今でこそ、あの時もきっと父なりに私を思っていたとわかる。
ただ表現の仕方が違和感だっただけ。
それに気づかされたことで、もう少し違う関わりができなかったかなと思う。
決して憎んでいる訳ではないから切ないんだ。
家を出て、なかなか会うことがなくなって、たまに会えば年老いた姿を見るからだろうか。
毎日同じ屋根の下で過ごしていたあの日は戻ってこない。
大事に思うがゆえに先回りしては怒鳴っていた父と、その後ろ姿に睨みをきかせる私にも戻れない。



時々、夫と長女のやり取りを見て、胸がキューっとなることがある。
無意識に自分自身と照らし合わせてしまうのかもしれない。
でも最近、夫との喧嘩を重ねてようやく気づいたこともある。

私が感じる違和感も大切にして良くて。
きっと夫にも大切に思っている何かがあって子育てしてるはず。
そこにあるのは、幼い頃の私と父のコミュニケーションではなくて。
夫と長女のコミュニケーションであることを忘れてはいけない。


誰も不幸を願って、娘と接している父親なんていないのだから。
父も夫も。


過去にも戻ることはできないけれど、一つだけ心残りがある。
きっと父は私のウエディングドレス姿見たかっただろう。私も見せたかった。
一緒にヴァージンロードを歩きたかっただろう。私も一緒に歩きたかった。
結婚して4年。コロナ禍に突入したこともあり、キャンセルした挙式予定。
いつか見せてあげたいなと試着した純白のドレス姿の写真だけが残っている。
もしかしたら、見せてあげるタイミングなのかもしれないな。

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