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アイヌ民族は先住民族じゃないという方へ

SNSなどでは、アイヌ民族のあれやこれやに対し事実誤認や偏見に基づく暴言や誹謗中傷、ヘンテコな誤解が呟かれている。実際にはその先には当事者がいて、それらの暴言や誹謗中傷によって傷つく人がいる。気軽に呟くその言葉はそのままヘイトスピーチにつながっていることも多い。
本noteはそれらの事実誤認に応えるために開設した。心当たりのある方は悪意のある言説に乗せられ、犯罪者にならないためにもお読みください。
※ここではアイヌに対して日本のマジョリティである日本民族、和人を「和民族」と統一して表記します。

アイヌ民族は北海道の先住民族ではない、のか?

まずは、先住民族とは?、というところから始めよう。
「先住民族とは一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」(アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会『報告書』(2009))。
これは国連の宣言である「先住民族の権利に関する国連宣言」に基づく定義です。
アイヌはこの定義に当てはまり、国連がアイヌを先住民族として認めるよう勧告し日本政府が受諾しました。
そして2019年に成立し、同年施行された「平成三十一年法律第十六号 アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(略称:アイヌ施策推進法)」の第一条で日本国の法律としてアイヌを先住民族と規定され、ています。
つまりアイヌ民族は日本の先住民族となります。

もしアイヌ民族は先住民族じゃない!と、考えるのであれば、それはこの法律に反する考えということになる。
またこういった法律の制定は現在の国際社会の一員として必要な考えでもあり、それに足並みを揃えられないのでは国際社会の一員として相応しくない国家、遅れた考えや法制度を持った国家ということにも繋がる。
アイヌ民族は先住民族じゃない!とSNSなどで声高に叫ぶほとんどのアカウントは、「日本が大好き」なんだとそのプロフィールや呟き、叫びから推測できますが、叫べば叫ぶほど、国益に反する行為になっていることは自覚するべきでしょう。

なぜアイヌ民族が先住民族なのか? 北海道には和民族も住んでいたはずじゃないか?

こんなこともよく言われてしまう。もちろん近代国家成立前から北海道は和民族が住む場所だったとしたら先の定義には当てはまらない。
ではなぜアイヌ民族が先住民族なのかを理解するために、和民族と北海道の歴史を簡単に振り返ってみよう。

和民族が北海道に居住し始めたのは文献では、鎌倉、室町時代から。当初は(下図1.館地)のように海岸線付近に限定的に進出していた。この頃、和民族の鍛冶屋がアイヌの少年を刺殺したことに端を発し和民族とアイヌ民族の戦いが起こる(コシャマインの戦い(1457))。その後、和民族は拠点として大舘(松前)を設け、ここが和人地の元となる(下図2.原和人地、室町時代)。
江戸時代なっても和民族の居住地域も渡島半島の一部と限定的で、北海道のほとんどの地域にはアイヌ民族が居住していた。(下図3〜5は江戸時代の蝦夷地(北海道)における和民族の和人地(居住地域)の図)
松前を中心とする和人地に加え、交易を独占するために設けられた商場(場所)にも少数ですが和人が定住するようになり、和人地と蝦夷地として両者の立ち入りを規制し、関所を置き、出入りを取り締まった。和人地の範囲は、松前城下を中心とする比較的狭い範囲だったが、徐々に拡大し、最終的には渡島半島全体に広がるまでとなった。しかし、それでも北海道全体からみれば江戸時代を通して北海道はアイヌ民族の住む場所でした。
そもそも「和人地」という言葉があること自体が、和民族の住む場所が限定的だったことの証拠にもなる。
もちろん、和人地からはみ出た個人がいたり、海峡を挟んで隣接した土地だから、和民族の誰かが流れ着いたり、交易などで立ち寄りそのまま在地化することもあっただろうとは十分想像できるけど、普通に考えても、それをもって和民族の土地だったとは言えないだろう。

「和人地 ・蝦夷地の境界 とその変遷」から

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/33/3/33_3_193/_pdf

そして明治になって、新しい明治政府 は、それまで和民族からは「蝦夷地」と呼ばれていたこの島を北海道と改称し、元々居住していたアイヌ民族の伝統的風俗・習慣の禁止 、日本語使用の強制などの同化政策、大規模な和人の移住による北海道開拓を進めました(エドモンズ1981)。

ではここで、もう一度前段の先住民族の定義を読んでみよう。
「先住民族とは一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」
このように、アイヌ民族はこの定義にすっぽりと当てはまる。国際社会の定義として、アイヌ民族は北海道の先住民族となります。
また、北海道に鎌倉時代から和民族が進出していたとしても、江戸時代から和人地があったとしても、先の図のようにそれらは限定的で、北海道のほとんどの地域にはアイヌ民族が住んでいました。

北海道にも古墳も9世紀には神社がある。だからその頃から和民族が住んでいたのではないか? 円仁は? 阿倍比羅夫は?

このような言説も時折目にすることがある。
7〜9世紀に北東北と北海道の恵庭と江別に古墳が作られ、それを「末期古墳」と呼ぶ。が、本州の古墳時代(3世紀半ば〜6世紀末)とは時期的にも重ならず、また当時の北東北は和民族ではなく蝦夷と呼ばれる人たちの住む場所となっていて、北東北と北海道で作られた末期古墳は和民族ではなく蝦夷との関係で作られたと考えられている。
いずれにせよ擦文時代に北海道島に住んでいた人たちは孤立していたわけではなく、交易や交流を本州の北東北や北方と繰り広げ、さまざまな影響を受けたり与えたりしていた中でこういったお墓を作った地域があったということです。
※蝦夷とアイヌ民族と和民族の関係は別でページを作ります。

他にも、826年に慈覚大師円仁(えんにん)が有珠に小宇(小さなお堂)を造り、阿弥陀如来像を安置したことが北海道伊達市の有珠善光寺の開基と伝承されていることから、和民族が当時から北海道に住んでいたゾー、と言われる方もいるが、これはあくまで伝承であり、考古学的にもそれ以外の文献にも証拠があるわけではない。
また、慈覚大師円仁は、822年〜828年の期間は比叡山で修行中と記録されており、こちらも伝承を支持していない。
函館市の船魂神社も崇徳天皇の御代、融通念仏宗開祖、良忍上人がこの地に着き、ここは神霊の宿る処と、保延元年(1135年/擦文時代)に海上安全を祈念して奉られたのを起源としこちらも北海道最古の神社を誇っています。が、こちらも何か証拠が残っているわけでは無い。また船魂神社の創建縁起を収録した『箱館夜話草』も幕末になってから書かれた文献だとされ、こちらも伝承の域を出ない。
実は、こうした創建の縁起の存在は決して珍しいものではなく、寺社を建てる際に信仰上から過去の人物をその寺社の開山にすることは、「勧請開山」と呼ばれている。つまり、擦文時代の北海道に神社仏閣が存在していたという言説は、こうした「勧請開山」を悪用したアイヌ民族否定論だと言えるだろう。

『日本書記』の「斉明紀」の中で阿倍比羅夫(あべのひらふ)が斉明5(659)年に東方遠征し、東北の蝦夷を破りそれを味方に付け、その後、粛慎を破り政所の後方羊蹄を設置したので日本人が先住している。との言説もあるが、日本書紀における蝦夷や粛慎が何をさしているかは実はよくわかってはいません。
現在考えられている阿倍比羅夫の遠征の実態は、国家領域の拡大を意図するものではなく、遠隔地の集団と点々と接触し(実質的には交易)、遠方の希少な産物を入手し、当時、建国の途上であった倭国において、大王・天皇の権威を高めるために政治利用した。ということであった(蓑島2023)。
いずれにせよ阿倍比羅夫の遠征以降に北海道島の動静が何かの記録に出ることはありませんでした。つまり、阿倍比羅夫は行ったかもしれないけど、その後北海道島に和民族が移り住んだとか、統治したということは全くなかったようです。

そもそも北海道にはアイヌより前に縄文人がいたからアイヌは先住民族じゃない、のか?

「北海道にはアイヌよりも前に縄文人がいたからアイヌは先住民族ではない」これもよくSNSで呟かれる言説だ。これはアイヌ民族否定論のトレンドといってもいいかもしれない。しかし、これは二重にも三重にもおかしな言説だ。やはりもう一度先住民族の定義を読んでみよう。
「先住民族とは一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」
この定義をきちんと読めば、近代国家(日本の場合は明治政府)が形成される過程で、それ以前から同地に住み続けていたにもかかわらず、多数民族の支配を受け、それでもなお独自の文化とアイデンティティを保持しているという条件が「先住民族」なのである。
だからアイヌが先住民族であることに、近代国家成立前の縄文時代は関係がありません。
大切なことなのでもう一度言います。
アイヌが先住民族であることに、近代国家成立前の縄文時代は関係がありません。

それでも縄文人が先住していたんだから、本当の意味での先住民族ではないのだ!とも、SNSでは頻繁につぶやかれる。もし先住民族の定義とは関係なく、土地の先住者をどこまでも遡ったりすることができるなら、日本列島、北海道で言えば旧石器時代まで遡ることができ、さらに極端なことを言えば地球の先住民族はすべてアフリカで誕生したホモ・サピエンスになってしまうだろう。流石にこれらの言説は「駄々」でしかない。

ただし、そうと言っても北海道縄文人のさまざまな要素を、最も色濃く受け継いでいるのもアイヌ民族であり、この「縄文人が先住民族だ!だからアイヌではない!」は何重にもおかしな言説になるのだが…
そのことは別のnoteで紹介しよう。

(文責:縄文ZINE @jomonzine/協力:@YoshiHR2/@ToyNupuri )


参考:
ウポポイのよくある質問コーナー

「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会『報告書』」(2009)
「平成三十一年法律第十六号 アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(2019)
リチャード・エドモンズ(1981)「和人地・蝦夷地の境界とその変遷」『人文地理 第33巻第3号』
蓑島栄紀(2023)「古代アイヌ文化論」『陸奥と渡島』

(作成2024.1.23)


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