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[ヘンテコ説検証]北の元寇によって追われた北方民族が北海道に移動した、それがアイヌであるという説を真面目に検証

SNSなどでは、アイヌ民族のあれやこれやに対し事実誤認や偏見に基づく暴言や誹謗中傷、ヘンテコな誤解が呟かれている。実際にはその先には当事者がいて、それらの暴言や誹謗中傷によって傷つく人がいる。気軽に呟くその言葉はそのままヘイトスピーチにつながっていることも多い。
本noteはそれらの事実誤認に応えるために開設した。心当たりのある方は悪意のある言説に乗せられ、犯罪者にならないためにもお読みください。
※ここではアイヌに対して日本のマジョリティである日本民族、和人を「和民族」と統一して表記します。

アイヌ民族鎌倉時代渡来説を検証してみる

アイヌ民族が鎌倉時代(13世紀)に北方から来襲し、擦文人やオホーツク人を殺戮して定住をし始めたので、アイヌ民族は先住民族では無いとのトンデモ説がネット上で流布している。元ネタは国際政治学者や憲法学者、医師など歴史学や考古学の専門家では無い人たちが、書籍やYouTubeで流布したものであるが、それに尾ひれがついてSNS上で歴史修正主義者やアイヌ民族否定論者によって拡散されている。その内容はおおまかには以下3点の骨子に分解できる。

  1. 13世紀に「北の元寇」によって元に追われた北方民族(ニヴフ=ギリヤーク)が北海道に南下・侵入。擦文人の男子を殺戮し擦文人の女子と混血した。その子孫がアイヌ民族である

  2. アイヌ民族のミトコンドリアDNA(mtDNA)には縄文人には見られないハプログループYがある。このハプログループYはオホーツク人やニヴフからも検出されており、1を裏付ける証拠である

  3. 歴史年表でアイヌ文化期が13世紀に突然始まる。1と2の結果として突然文化の変容が起こった

本稿では上記に関して、元の歴史書に残るアイヌ民族の記述を整理し、それに並行する日本史(特に東北の歴史)を重ねてみることで、13世紀のアイヌ民族の社会に何が起こっていたのかを考察するものです。また、ハプロタイプYがアイヌ民族のmtDNAに遺伝している背景についても考察します。

「元史」と「国朝文類」に見られるアイヌ民族の活動記録

アイヌ民族は元の歴史書「元史」と国書のダイジェスト版である「国朝文類」「招捕」に登場します。ちなみに「国朝文類」には「招捕」とは別に「征伐」という項目があり、「征伐」の項目には敵対国として征伐の対象とした国との戦いが集められており、元寇はこの「征伐」に記載されています。「招捕」には、元に楯を突く者たちをどうやって討ち平らげたかという史料が集められています。ここから、元としてはアイヌ民族の侵入は国家としての戦争というレベルでは無く、周辺国の悪い奴らをこらしめた程度の認識だったことが判ります(あくまでも彼らの認識ですよ)。

そして、これら元の歴史書には色々な民族が登場しており、歴史学の通説としては、以下の定義になっています。
「骨嵬」(クイ):アイヌ民族
「亦里于」(イリウ):アイヌ民族と行動を共にする民族、『元史』巻5、世祖本紀2にしか登場しない
「吉里迷」(ギレミ):アムール川下流域~サハリンに住むニヴフ(旧名ギリヤークは他称)

図1:『北方民族分布図』(函館市北方民族資料館パンフレットより一部抜粋)

元朝のアムール川下流域進出に伴い、『元史』巻5、世祖本紀2の記録(西暦1264年11月30日)に、アイヌ民族が初めて登場します。
「骨嵬(クイ=アイヌ民族)を征した。是より先、吉里迷(ギレミ=ニヴフ)が内附し、其の国の東に骨嵬・亦里于(イリウ)の両の部が有って、歳来て疆を侵すと言った。故で往して之を征した。」
簡単に言うと、「従属しているニヴフの領土に東からアイヌとイリウが毎年やって来て侵犯するので、こいつらをやっつけた」という内容になります。これ以降、1308年まで日本本土への元寇を挟んで元朝の歴史書に記録が残りますが(表1)、1308年にクイが毛皮の貢納を約束し、元に帰順することで終結します(下記)。
「至大元年(1308年)、吉烈迷の百戸の乞失乞乃が「骨嵬(クイ=アイヌ民族)の玉善奴が降を欲んでおり、大河沙という者を遣し訥里干に至らせた」と言った。又、吉烈迷人の多伸奴・亦吉奴が来て「玉善奴・瓦英等が降を乞うている。刀と甲を持ってきて、頭目の皮先吉に与し、且に毎年異い皮を貢すると言った。夏の間に荅剌不魚が出る時に以ら(彼らを一緒に)回還す」と言った。」
日本本土への元寇を挟む記録であることから、このアイヌ民族と元の衝突を「北の元寇」と呼ぶ説もありますが、当時の大陸側の地図(混一疆理歴代国都之図(1402年)など)にはサハリンも北海道も未だ描かれていないことから、元寇と連動した元の軍事作戦である可能性は低いと考えられています(中村, 2014)。

表1:元史にみられるアイヌ(骨嵬)の活動記録  (中村 2006, 2012, 2014から筆者が作成)

13世紀の本州(東北)事情を鑑みると

近年の考古学的成果から擦文文化の波が11世紀前半にはサハリンや沿海州に及んでいたことが徐々に判明してきています。東北北部で安倍氏が隆盛し北方交易も盛んになるに従い、交易相手である擦文文化期の人々は交易資源の獲得のために北方へ進出していったことは想像に難くないでしょう。
また、奥州藤原氏の治世で安定していた交易が藤原氏滅亡とその後の津軽十三湊安藤氏経由鎌倉幕府との交易に置き換わったこともアイヌ民族の更なる北方進出の圧力となっていたのではないでしょうか。
東北での戦乱や元寇による戦力増強の必要性は矢羽根や馬具に用いる皮などの軍事用特需を生み、それがアイヌの北方進出を促したであろうことは、現代の経済原理を鑑みることでも容易に想像できます。

ニヴフ(ギリヤーク)は来なかった

上記のように、アイヌ民族否定論者によって拡散されている「1. 13世紀の元のアムール川下流域/樺太への進出によって、在地の原住民であるギリヤークが押し出され北海道に襲来した」との内容は元の歴史書には記録されておらず、逆に北海道から骨嵬(アイヌ民族)がギレミ(ニヴフ)の生活圏に侵入し、それが元によって追い払われたのが真相であることが判りました。
これに加え、交易のための活動範囲の北方拡大が擦文文化期から続き、その背景には交易相手である本州の社会情勢が深く関与しているであろうことも元の歴史記録に併せて理解することが重要です。

ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループYに行く前に

続いて、「2.アイヌ民族のミトコンドリアDNA(mtDNA)には縄文人には見られないハプログループYがある」の話に行く前に、そもそも、遺伝子とかDNAって何なのかをおさらいしておきます。筆者も含め専門外の殆どの方は「遺伝」というとメンデルの優性遺伝の法則くらいしか多分聞いたことがないでしょう。その状態でハプログループYの話に入ってしまうと、まんまとトンデモ説の餌食になってしまいます。理解を進めるうえで必要となるキーワードは、それぞれ以下のような定義になります(株式会社Rhelixa(レリクサ)のwebページ([エピゲノム入門]2-2. 染色体・DNA・塩基・遺伝子・ゲノム)より引用)。

・染色体:顕微鏡で見える。DNAが巻かれて折りたたまれて形作られているもの
・DNA :2重らせんの間に塩基が並んだもの(塩基配列)
・塩基:A・T・G・Cの4種類がある
・遺伝子:タンパク質を作るときのアミノ酸の順序を指定する情報。
   DNAの塩基の並び方で表されている
・ゲノム:ある細胞のDNAすべての情報。塩基の並び方で表されている

ヒトゲノム解析とミトコンドリアDNA(mtDNA)について

現代人の全ゲノム解析が成功したのは約20年前の2003年。当時は国家事業として各国が競争しており、解析に費やした費用は約3000億円だったそうです。それから7年後の2010年くらいに解析装置の革新が起こり、13年後の2016年には解析費用は10万円以下になったそうです。こうした技術革新に伴い、分子人類学の領域で現代人や古代人骨のDNA解析が盛んに行われるようになり、現在も様々な研究が行われています。

図2:ヒトの細胞に含まれるDNA (斎藤(2020)と丸地(2021)より筆者作成)

ヒトの細胞には細胞核とミトコンドリアが含まれており、ミトコンドリアDNA(mtDNA)にはおよそ16500個の塩基、細胞核にはおよそ32億個の塩基が存在します。ミトコンドリアDNA(mtDNA)は母系遺伝でお母さんからその娘に受け継がれます(お母さんから息子には遺伝するが、お父さんから娘や息子には遺伝しない(図2))。また、細胞核には22対の遺伝子とXとYからなる性染色体が含まれており、性染色体は女子ではXX、男子ではXYの組み合わせになることから、その組み合わせを調べることで性別が判定できます。男子の細胞核に含まれるY染色体はお父さんからその息子に父系遺伝されることから、このY染色体のDNAによって父方の遺伝情報を調べることができます。ここで、注意が必要なのが、後に出てくるミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループYとY染色体は全くの別物であるということです。トンデモ説のなかにはこれらを混同し、Yが男系遺伝の証であるというような言説も見受けられます。

ミトコンドリアDNA (mtDNA)のハプログループY1

ミトコンドリアDNA(mtDNA)の遺伝様式の多型のセットをハプロタイプと呼びます。また、類似したハプロタイプをグループ化してハプログループと呼びます。現代の色々な地域に住む人々や、遺跡から発掘された古人骨のミトコンドリアDNA(mtDNA)を調べることで、様々なハプログロープを特定することができ、そしてそれらのハプログループを比較することによって、母系遺伝の痕跡を辿ることができますが、これはあくまでもヒトの細胞のミトコンドリアに含まれる16500塩基からの情報であり、しかも母系遺伝の情報しか読めないことに留意が必要です。
Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data (古代ミトコンドリアDNAデータから推測されるアイヌ民族の起源)(Adachi, 2017)では15地域のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループを比較検討しています(表2)。この表から北海道縄文時代人、オホーツク文化人、江戸時代のアイヌ人、現代アイヌ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループデータを基にその構成を円グラフに表してみました(図3)。
縄文時代人の主要ハプログループはN9bであることが知られていますが(Adachi et al., 2011)、江戸時代のアイヌの女性の方には縄文時代人の女性が持っていないY1というハプログループがN9bと共に主要ハプログループになっていることがわかります。このY1というハプログループは5世紀~9世紀に北海道東から道北に住んでいたオホーツク文化人の女性が持っていたことから、続縄文から擦文文化期の時代に擦文人男性とオホーツク人女性の混血があり、江戸時代のアイヌ人女性に受け継がれたことが示唆されています。

表2: mtDNAハプログループの解析例 (Adachi等, 2017)
図3:北海道縄文時代人、オホーツク文化人、江戸時代のアイヌ人、現代アイヌ人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループの構成。(Adachi等, 2017)のデータより筆者が作成。

意図的に女性や男性を付加して説明してきたので、鋭い読者の方はもうお気づきかも知れませんが、いくら母系遺伝の情報を検討したところで、トンデモ説が前提としている「侵入してきた北方民族」の男系遺伝の情報はここには含まれていないのですから、冒頭のトンデモ論「1.北の元寇によって追われた北方民族(ニヴフ=ギリヤーク)が北海道に侵入し擦文人の男子を殺戮し、擦文人の女子と混血した。その子孫がアイヌ民族である」の根拠には成り得ないのです。また、「2.アイヌ民族のミトコンドリアDNA(mtDNA)には縄文人には見られないハプログループYがある」はその通りなのですが、前述の通り、ハプログループY1があることは、5~9世紀に北海道東から道北にオホーツク文化人が住んでいたわけですから(図4)、そのオホーツク文化人の女性からの遺伝である蓋然性が高く、これを13世紀に無理やり結び付けるのは相当ヘンテコな話なのです。

このようにミトコンドリアDNA(mtDNA)の検証だけで、トンデモ主張は退けることはできますが、しかし、ここで、「日本古代史ネットワーク 第2回 解明委員会 2021年」の資料から、以下の一文を引用しておきます。
1種類のDNAだけを捉えて、ヒトの起源を論じても片手落ちで、3種類のDNAから示される全ての事実を整合したものが真実となる。
このように、ヒトの起源を調べる上ではヒトの全ゲノム解析が必要であり、ミトコンドリアDNA(mtDNA)だけを取上げて、それを民族移動の根拠に用いることは全くの片手落ちなのです。
また、DNAが民族を規定するという考えも間違えています。どんな民族も外部と交流を経て様々な要素を受け入れてその時々に変化していくものです。遺伝子で民族を計ることはそもそもできません。
「遺伝子の構成が民族を規定するわけではないと認識しておくことは大切です。」(篠田謙一「DNAで語る日本人起源論」)

図4:オホーツク文化は5~9世紀に栄えた文化

まとめ

冒頭述べた世間に流布しているトンデモ説の3つの骨子を再度繰り返すと

  1. 13世紀に「北の元寇」によって元に追われた北方民族(ニヴフ=ギリヤーク)が北海道に南下・侵入。擦文人の男子を殺戮し擦文人の女子と混血した。その子孫がアイヌ民族である

  2. アイヌ民族のミトコンドリアDNA(mtDNA)には縄文人には見られないハプログループYがある。このハプログループYはオホーツク人やニヴフからも検出されており、1を裏付ける証拠である

  3. 歴史年表でアイヌ文化期が13世紀に突然始まる。1と2の結果として突然文化の変容が起こった

でした。本稿では1と2に関して、確認してきましたが、1については元史にそのような記載は無いこと、2についてはミトコンドリアDNA(mtDNA) ハプログループYの遺伝を取上げて、それを民族移動の根拠にすることはできないことがお分かり頂けたことと思います。3については、“ヘンテコだよねノート”「北海道の歴史年表と、13世紀以前にアイヌは存在しないのだ! というヘンテコな誤解と。」(リンク https://note.com/chigauyo/n/na400193314a4)に詳細が記載されているので、そちらをご参照ください。
最後に、近年、北海道礼文島船泊遺跡で発掘された縄文時代人骨の全ゲノム解析が成功し、その成果が報告されています(KANZAWA等、2019)。ここからも一文、以下を引用しておきます。

Finally, we estimated the proportion of Jomon DNA in three Japanese populations using the f4-ratio-test. When using Korean as a source population, the Jomon ancestry proportion in mainland Japanese was 13%, slightly smaller than the values of TreeMix (15.7%) and qpGraph analyses (9%; Figure 13, Table 5). The proportions were approximately 27% and 66% for Ryukyuan and Ainu, respectively.

<和訳文>
最後に、日本人3集団における縄文DNAの割合をf4比検定を用いて推定した。韓国人を情報源集団とした場合、本土日本人における縄文人の割合は13%であり、TreeMix(15.7%)およびqpGraph分析(9%;図13、表5)より少し小さい。その割合は、琉球が約27%、アイヌが約66%であった。

ちなみに、この解析ではF5(男性)とF23(女性)という2体の縄文人骨が解析されており、mtDNAとY染色体のハプログループは以下のようになりました。
F5及びF23: mtDNAハプログループ:N9b1
F5: Y染色体はハプログループ:D1b2
どちらのハプログループも縄文人特有のものになりますが、これらの母系/父系遺伝情報のみに着目するよりは、核ゲノムに含まれる他の遺伝情報による特徴を含めて評価しなければ、真実に近づくことはできないのです。

図5:船泊遺跡出土縄文人女性(F23)の複顔



(文責:@YoshiHR2/協力:縄文ZINE @jomonzine)


参考文献:
『北からの蒙古襲来』について-モンゴル帝国の北東アジア政策との関連で- (中村 和之, 2014年9月)
https://researchmap.jp/Ezo_nishiki3/published_papers/22034270

鎌倉・室町幕府体制とアイヌ(秦野 裕介, 2012年3月)
http://hdl.handle.net/2115/56289

元・明代の史料にみえるアイヌとアイヌ文化(中村 和之, 2012年3月)
http://hdl.handle.net/2115/56288

アイヌ民族と北方の交易(中村 和之, 2006年3月)
https://aterui.ws.hosei.ac.jp/kodai/detail.php?id=158962
https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/sem1714.pdf

山野河海のアイヌ史 第 7 回(山野 河海, 2017年10月)
https://www.hkk.or.jp/kouhou/file/no651_series-ainu.pdf

本州アイヌと津軽エゾ ―九戸城の戦いの「夷人」から遡って―(新井 隆一, 2017年12月)
http://hdl.handle.net/10129/6311

モノから見たアイヌ文化史(関根 達人, 2016年6月)

つながるアイヌ考古学(関根 達人, 2023年12月)

Rhelixa(レリクサ)
[エピゲノム入門]2-2. 染色体・DNA・塩基・遺伝子・ゲノム
https://www.rhelixa.com/knowledgebase/genome-description/

生体の科学 71巻1号 (2020年2月発行)
ヤポネシア人のゲノム解読 斎藤成也
https://webview.isho.jp/journal/detail/pdf/10.11477/mf.2425201124

日本古代史ネットワーク 第2回 解明委員会 2021年
日本人の起源~基本レポート 丸地三郎
https://nihonkodaishi.net/info-research/research_bn01.html#kaimei2021jan

Mitochondrial DNA analysis of the human skeleton of the initial Jomon phase excavated at the Yugura cave site, Nagano, Japan
NOBORU ADACHI, JUNMEI SAWADA, MINORU YONEDA, KOICHI KOBAYASHI, SHIGERU ITOH
Anthropological Science/121 巻 (2013) 2 号
https://doi.org/10.1537/ase.130313

Mitochondrial DNA analysis of Hokkaido Jomon skeletons: remnants of archaic maternal lineages at the southwestern edge of former Beringia.
Adachi N., Shinoda K., Umetsu K., Kitano T., Matsumura H., et al.
American Journal of Physical Anthropology (2011), 146: 346–360.
PMID: 21953438 DOI: https://doi.org/10.1002/ajpa.21561

Ethnic derivation of the Ainu inferred from ancient mitochondrial DNA data
(古代ミトコンドリアDNAデータから推測されるアイヌ民族の起源)
Noboru Adachi, Tsuneo Kakuda, Ryohei Takahashi, Hideaki Kanzawa-Kiriyama, Ken-ichi Shinoda
First published: 11 October 2017
https://doi.org/10.1002/ajpa.23338

Late Jomon male and female genome sequences from the Funadomari site in Hokkaido, Japan
(北海道船泊遺跡から出土した縄文後期の男女ゲノム配列)
HIDEAKI KANZAWA-KIRIYAMA, TIMOTHY A. JINAM, YOSUKE KAWAI, TAKEHIRO SATO, KAZUYOSHI HOSOMICHI, ATSUSHI TAJIMA, NOBORU ADACHI, HIROFUMI MATSUMURA, KIRILL KRYUKOV, NARUYA SAITOU, KEN-ICHI SHINODA
Anthropological Science/127 巻 (2019) 2 号 p. 83-108
https://doi.org/10.1537/ase.190415

令和4年奥松島縄文村歴史資料館講演会 「縄文とアイヌ」
I 縄文人とアイヌの生業 関根 達人 2022年12月18日

note ヘンテコだよねノート 「北海道の歴史年表と、13世紀以前にアイヌは存在しないのだ! というヘンテコな誤解と。」
縄文ZINE
https://note.com/chigauyo/n/na400193314a4

2020年12月20日 (日)  日琉諸方言の系統論における統計学的アプローチ
「言語距離の系統解析からヤポネシア人の由来を考察する」
斎藤 成也
https://www2.ninjal.ac.jp/past-events/2009_2021/event/specialists/project-meeting/m-2020/20201219/index.html

【東北きりたん】アイヌ民族鎌倉時代渡来説を科学的に否定する:アイヌ語は北日本の古層の言語【VOICEPEAK】
ToyNupuri
https://www.youtube.com/watch?v=p9i6PIsNmUI
https://x.com/ToyNupuri/status/1711011136265671125?s=20

【東北きりたん】いわゆる「アイヌ民族渡来説」について:アイヌ民族は鎌倉時代に渡来したのか?【VOICEPEAK】
ToyNupuri
https://www.youtube.com/watch?v=x4n486ivys0&t=11s

note いわゆる「アイヌ民族渡来説」について
ToyNupuri
https://note.com/toy_nupuri/n/n6d4b4b99f010

アイヌ民族は本当に侵入異民族なのか?筑波大学名誉教授のトンデモ本への反論
ToyNupuri
https://note.com/toy_nupuri/n/n5e4066ac7a10

平成26年度普及啓発講演会 北見会場
DNAで知る日本列島集団の起源 -アイヌ・本土日本・琉球人の成立- (2014)
篠田謙一
https://ff-ainu.or.jp/about/files/2014_kouenkai3.pdf

東京大学「いのち」のシステムを解き明かす-急展開する生命科学(学術俯瞰講義)
第4回 ゲノムから読み解く日本人の起源 (2009)
斎藤 成也
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_748/
講義資料1
https://ocw.u-tokyo.ac.jp/lecture_files/gf_14/4/notes/ja/04saito.pdf

DNA解析と「アイヌ民族否定論」:歴史修正主義者による先住民族史への干渉
稲垣 克彦
2022年6月
https://amcor.asahikawa-med.ac.jp/modules/xoonips/detail.php?id=2022060201

『DNA解析と「アイヌ民族否定論」―歴史修正主義者による先住民族史への干渉』についての補遺
稲垣 克彦
2022年6月4日
https://note.com/ji3xok/n/nf1aef059e36c

アイヌ人は北海道の先住民ではありません!
竹田恒泰ch公式切り抜き
https://www.youtube.com/watch?v=4ksIVWgdorI

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