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生前協議

 夫は落ち着かない様子で、行ったり来たりを繰り返す。私は私で、後ろ髪に櫛を通す手が止まらない。
 私たち夫妻は極度の緊張に晒されていた。これから会うのが、私たちにとって大切な人だから。
「××番の方、面会室へお入りください」
 夫と目が合った。表情に不安が一刷け、塗り重ねられる。
 差し出された手を握り返し、面会室へと歩を進めた。

 胸の下の膨らみに手をやる。世界が私たちを祝福していた。
 妊娠できたことで五年間やってきた不妊治療も報われた。家族も友人も喜んでくれた。もう名前も決めてある。
 次に頭を浮かぶのは、面接対策だ。

 生前協議。
 「補助脳」と呼ばれる外部記憶装置の助けを借りるのは、私が生まれた頃には既に当たり前になっていた。かつてのインターネットよりも、容易に人類が築いてきた情報の蓄積にアクセスできる。施術も簡単。アクセサリーを身につけるようなものだった。
 どうせ大人になれば使うのだから、乳幼児のうちに使いこなす訓練を受けさせた方がよい。教育的な要請もあり、ほどなくして研究者が胎児でも補助脳を活用して情報処理が可能になる手法を開発。生後のような身体感覚はないものの、コンピュータで出力すれば会話も可能だった。
 胎児は法的に意思決定可能な主体と認められようになり、生前協議が各国で制度化された。
 胎児は妊娠後20週間ほどで補助脳と接続され、1週間で人間との意思疎通が可能な水準まで補助脳を扱えるようになる。残された1週間が保護者に与えられた唯一の機会だ。
 妊娠から22週間以内に胎児から出産への同意を得られなければ、胎児の意思を尊重し中絶しなければならない。
 私たち夫婦はお腹の赤ちゃんに、人生は生きるに値すると納得してもらいたかった。

 口コミも統計データもまともになかった。手探りの中、夫婦で何を伝えるかお腹の赤ちゃんに伝えるか、内容を詰めていった。三歳まで、六歳まで、十二歳まで、十八歳までの年齢ごとの教育方針や生活上のインフラストラクチャも伝え、充実した人生を送れるように準備している点を伝えたつもりだ。赤ちゃんもときどき質問をしてくれた。興味を持ってくれている証拠だ。
 今日が最終面接。
 私たちの赤ちゃんが産まれるかどうかを、赤ちゃん自身が判断する。
 大丈夫。子どもを想う親の気持ちは、絶対届いてるはず。

 殺風景な部屋だった。卓上にモニターとスピーカーが置いてある。私たちは並んで手前のソファに座した。
「人間の一生について、お二人から提供された情報を踏まえ種々の情報を照会し結論を出しました」
 自動音声で合成された音声が流れる。幼児を模した声と、使われている語彙の難解さが不調和だった。
「仮定の置き方が様々だという点は承知しています。とはいえ、例えば一週間に一度以上、苦痛に苛まれる確率は100%に近似して差し支えない値です。併せて人間が過ごす生涯の時間のうち、喜びを感じている時間が1%を上回っている人間がいるという仮説も否定せざるをえません」
 滔々と説明が続く。
「具体例を一つ挙げるなら、学校に私を通わせる、という提案には疑問符がつきます。手元の情報から推定すると、心身ともに傷つく確率が無視できない値を示す蓋然性が高いと判断せざるをえません。そのような場に私を放り込むのは、倫理的に正当化できるのでしょうか」
 何一つ言葉が出てこなかった。確かに私たちは教育環境の充実した私立学校に通う構想を伝えていたからだ。
「お母さん、お父さん。人生は生きるに値するが、始めるに値しないのではないですか」
 自分の身体が硬直する感覚に抗えない。その先の結論が予期できてしまったからだ。
「私は人間としての生誕を拒否し、消滅することを選択します」

 そこから何を言ったかは覚えていない。通信チャネルを切られてしまった以上、声は届かない。
 「生まれる」という行為は、本人にとって祝福とは程遠いのだろうか。浮かんでしまった疑問が突起となって胸に刺さり、血が滲んだ。
「胎児より不同意の意思が示されました。従いまして改正母体及び胎児保護法追加第三条に基づき、一週間以内に中絶を行われければなりません。違反した場合、五年以上の懲役もしくは禁錮、または100万円以下の罰金が課されます」
 私のこのお腹に宿っている赤ちゃんと同じ声の、無機質な機械音声が告げる。
 名付けようとしていた名前が意味を失った。

 「どのくらいの胎児が人としての生を始めることに同意したか」を表す同意率は公表されていない。
 30%前後で推移している事実が広まると出産への意欲を削ぐのではないか。
 懸念を拭えない担当官庁は、公表を見送り続けている。


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