書くこと

昔はSNSに自分の日記を不定期に書いていた。
それに加えてスケジュール帳兼日記帳も日常的に書いていた。
書かなくなったのは、仕事が忙しくなってからだろうか。スマートフォンのスケジュール管理アプリを使うようになってからだっただろうか。
いつの間にか書かなくなった日記を、去年から再開し、不定期ではあるがエッセイじみたものを書くようになった。
それは、病気になって仕事を辞めて、自分と向き合う時間が増えたからだし、合わなかった仕事を懸命にやっていた頃は自分のことなどすべて二の次だったからかもしれない。今では生活をするために仕事をするのであって、仕事をするために生活しているのではないから、そこまで懸命に仕事をしなくても良いと考えている。
そう考えるようになって、体調に余裕が出てきたら書くことを思い出した。
昔は日記でも物語でも良く書いたものだ。日記はほぼ毎日。誰に見せるものでもないからと、つらつら日々の出来事を書いていた。物語はプロットを考えることが好きで、思いついてはメモをし、コツコツと積み重ねを続けていた。今でもこの積み重ねは続いているが、物語本体まではなかなか辿り着かずにそのままになっている。昔は賞に応募したりして小説家になること自体に憧れもあったが、きっと物語を書くのには私は向かないのだと思っている。
昔はエッセイに触手が動かず、読むことも殆どなかった。ただ、うつ病になったときに全く本が読めなくなったことには驚いた。1ページも読めない。記憶が続かない。調べてみたところ、どうやら集中力が続かなくなる症状からくるものらしい。なんなら書類も読めなくなった。その後、徐々に回復していくが、一気に長編小説など読めるわけもなく、短編を探していた頃にエッセイに目が止まった。
日常生活に近いものは、うつ病の症状があっても理解しやすく、ひとつひとつのセンテンスが短いため集中力が途切れても、途中で簡単に栞を挟むことができるのが非常によかった。吉本ばななさん、角田光代さん、千早茜さん、三浦しをんさんなど多くのエッセイを読んだ。
そして今回、『書きたい生活』僕のマリ著を読んだ。
書くことそのものが身近であることに改めて気づいた。
日記も書いている。このNOTEにも不定期ではあるが書いている。掲載していないが、メモに残してある下書きもいくつかある。
毎日書く時間も取っている。プロになりたいなんて、そんな甘っちょろいことを言う気はないが、書くことは好きだし、好き以前に私には必要なことだったのだ。
日々の出来事を日記として書きとめる。毎日毎日である。時たま読み返すこともあるし、記録を思い出すためにページを捲ることもある。
今書いているようなNOTEはあまり見返すようなことはしない。ただアウトプットの場であり、自分のことを理解するために吐き出して整理している場でもある。このくらいが私にはちょうどいい。
そんなことを、この本は思い出させてくれた。
僕のマリさんには一読者として感謝したいと思う。
書くことを思い出させていただいて、ありがとうございました。

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