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生涯を通して学びつづけた、ドラッカーの教えと、学びの二つの回路

井坂康志さんの『ドラッカー流フィードバック手帳』という本に書かれている、ドラッカーの教えは、なかなかインパクトがある。それはかれが「知識」ではなく「知恵」を語っているからだと思う。

文学、歴史、哲学などを縦横に学びつづけつつ、マネジメントという実学にかかわり、現場でその知恵を切磋琢磨していく人生だったのだから、その知恵には人生の深淵そのもののような、深みがある。

たとえば自分の「強み」にフォーカスしろ、という教え。なるべく自分を変えず、「強み」を生かして成果を最大のものとする。「強み」の見極めと、「強み」をもとに自分を築くことは、同時進行で行いつづける。理想を求めながらも、手持ちの道具で一歩一歩着実に進んでいく

「強み」は仕事に就くはるか前に決定されている。今まで強みでなかったものを、強みに変えることはできない。だからフィードバックでは、強みでないものを徹底的に廃棄する。

ドラッカーがしばしばする質問というのが、すごい。

「最近、何かやめたことはありますか」

成果が上がらないものは強みではないので、現状をしっかり観察して、思い切って廃棄すべきものを見極める。がんばらなくてもできることを、がんばって行う。我慢せず、心の警告に真摯に従い、やめてしまうべき。一年間やってみて成果があがらなかったことはあきらめて、二度と試さない。

こんなふうにやってきたことをきっぱりと廃棄することには、よほどの決断がいる。継続は力なりなのだから、やめることにもやはり、勇気がいる。単にいやだからやめよう、ということとは、違うであろうから。

それと似た話で、40歳を過ぎたら、人生はハーフタイム、というのもある。後半生のゲームプランを真剣に考えるには、自らの内面から聞こえてくる魂の声に耳をすませること

しかしむずかしいのは、魂が求めるものは、単に好きなこと、やってみたいことではない、ということである。前半生に手にできた成果が、後半生にも強く影響しつづける。「自分を使って、どのような成果をあげるべきか」を考え抜くことが大事で、自分がどんな成果をあげたいのかと考えると、必ず間違える

あくまでも、「自分という素材」を世のためにどう役立てられるかが、肝心なのだ。そして自分が何をもって憶えられたいかを、意識すること。こうありたいと思うようなことばかりなのだが、はてそれがちゃんと見つけられているかというと、本当にもどかしいことばかりだ。

ドラッカーのいうことに「知恵」を感じるのは、かれが生涯を通して学びつづけた人だったから。かれ自身が、自学自習と実践の人だったのだ。

ドラッカーが、有象無象とちがうのは、学びには、二つの回路がある、と認識しているからだと思う。ひとつめは実学としての回路。HOWについての回路。しかしこの回路は生まれた瞬間から、陳腐化を余儀なくされる。

もうひとつは、リベラルアーツの回路。WHATについての回路。ギリシャ時代から現代まで、いっさいの陳腐化を受け付けない。ドラッカーは、人類最古の地層からリベラルアーツの水を豊かに採取し、マネジメントという実学の森を養ってきたのだ。

ドラッカーはある分野を見定めたら、三年間徹底的に学ぶようにしていた。複数の分野を三年間ずつ徹底的に学んでいくことは、いくつもの井戸を掘っていくことに似ている。井戸はそれぞれ独立していても、地下において水脈はつながっている。多様な知識にアクセスすることで、一層深いところに流れる知恵にリーチできるようになる。

ドラッカーの書斎には経営書はなく、文学書、歴史書、哲学書が多かったという。なくなる直前まで、ジェイン・オースティンの小説や、シェイクスピア全集を手にしていた。

教えることは学ぶこと。ドラッカーは、書き、教え、相談に乗るという活動を生涯つづけた人だった。かれはそうした活動を通して、読者や学生、クライアントから学んだだけではない。その時発した言葉を介して、自身からも深く学んだのだ、と井坂さんは書いている。

まさにこうありたいと仰ぎみてしまう、人生の先達、哲人である。

Dirk WoutersによるPixabayからの画像

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