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恋人よ帰れ、わが胸に:あくどい世間に利用されていたお人好しが、スーパーマンになるとき

今年の1月から2月にかけて、シネマテーク・フランセーズでビリー・ワイルダー監督の特集をしていたので、別の特集の合間を縫って、ちょいちょい見に行っていた。

ワイルダーは、バディ・ムーヴィー、つまり男性二人の対照的なコンビの映画を、よく撮った。男性と女性の関係の話も、いろいろヴァリエーションがあって面白いが、今日はバディ・ムーヴィーの話。

そのひとつである、『恋人よ帰れ!この胸に』(The Fortune Cookie, 1966)という映画。ワイルダー映画に7回も出演した超お気に入りの俳優ジャック・レモン(写真左)が、お人好しの善人のやさ男を演じている。

ジャック・レモンとコンビを組んで、ずる賢いワルでマッチョな男を演じるのが、ウォルター・マッソー(写真右)。この映画では、ジャック・レモンはテレビ局のカメラマンで、義兄役のマッソーは、やり手の弁護士である。

ラグビーの試合の中継中、選手に突っ込まれて倒れてしまうレモン。実際にはなんともないのだが、かれの義兄のマッソーは、半身不随になったと見せかけて、巨額の保険金をせしめようとする。レモンの妻は、あまりにお人好しな夫に見切りをつけて、逃げてしまった。マッソーは、けがをしたことで彼女が帰ってくるかも、とたきつけて、まだ彼女を愛しているレモンに、芝居をさせつづける。

ここに現れる第三の男が、レモンにぶつかった黒人ラグビー選手の、ブンブン。自前で電動車椅子を買ってきたり、退院後は、独り身のレモンの世話をするため、アパートにやってくる。罪の意識にさいなまれ、試合で調子を落としはじめるブンブン。

保険会社だけではなく、二人はくしくも、純粋なブンブンも、だまさなくてはならなくなったのだ。現実の状況には、いつもこうした、思わぬひねりが加えられる。

歌手志望のレモンの元妻は、自分が歌手としてのし上がることしか考えていない、策略女。レモンのようなやさしく家庭的な男とどうして結婚したのか、まったくわからない。彼女はマッソーの計略に乗って、自分も保険金をせしめるため、レモンの世話にやってきて、ブンブンを追い出してしまった。

ここには、奇妙な四角関係が成立している。やさしいお人好しジャック・レモン、相手に対する愛情などない金目当てで自己中の元妻、レモンを利用して一儲けを企むマッソー。そして気のいい黒人ラグビー選手のブンブン。

これが男女だったらたとえば、策略結婚とかで愛のない冷たい結婚生活に抑圧されている人妻が、情熱的な恋人を外に見つけてしまい、道ならぬ恋をする、というような筋書きになるかもしれない。こういうバディ・ムーヴィーは、わりにそういうのと似ている。

ちがうのは、主人公はお人好しの男、相棒も男、外の「恋人」にあたるのも男(ブンブン)、という点だ。だから邦題はかなり、無理くりである。ちなみに原題のフォーチュン・クッキーは、中華料理に添えられる、おみくじ入りのクッキー。神は見ているのだ、ということか。

といっても、ワイルダーはゲイの映画を撮っているわけではない、とわたしは思う(ワイルダー夫妻はハリウッドの有名なおしどり夫婦だった)。ここにある対立は、あくどい世間と、そこからのアウトサイダーである無垢との、対立だからだ。バディの片割れになるとき、ジャック・レモンはほぼつねに、相方に利用される、無垢なお人好しを演じる。

しかし、いわばかれを利用してやるずる賢い相方がいるからこそ、レモンの役柄が引き立つ。マッソーの方が好きという観客もいるかもしれないので、その場合は、マッソーのずる賢さが、レモンの無垢によって引き立つ、といってもよい。バディは陰陽なのである。

レモンは最後はスーパーマンのようになって計略をぶち壊し、罪の意識で押しつぶされてプレーができなくなってしまったブンブンのもとへ、駆けつける。それはたとえばほぼ同時期の映画である『卒業』(1967)で、ダスティン・ホフマンが愛する彼女を結婚式場からさらっていくのと同じような、弱者がドタンバで見せる英雄的行為である。

ワイルダーはつねに現実に対して、アイロニックで愛のある眼差しを向け、映画を作っていた。ずる賢さが表に立つ世間をそのままに描きつつ、そこからすべり落ちてしまう人のよい人間を、コメディのヒーローに仕立て上げる。

そういう複眼があるからこそ、ワイルダーのコメディは、世間の荒波に溺れそうになっているときに、すっと心を和ませてくれる、清涼剤になる。

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