中学校の担任と再び繋がった日
私の中学時代、担任はただ一人だ。
1年生、2・3年の2ブロックに分かれており、どちらも担任が同じで、先生には3年間お世話になった。
先生の事を両親はこう呼ぶ。
ポエマー、ロマンティスト etc…
先生の学級通信は、言葉に溢れ、詩などを載せていた。
著者の名前は伏せてあったため、先生のオリジナルにも見えなくなかった。そこで、両親はポエマーだと判断したのだろう。
私は、先生のロマンティックなところと、負けず嫌いなところが大好きだ。
座右の銘を聞かれると、先生の言葉を引用するようにしている。
そのくらい、大好きな言葉をたくさん贈ってもらったのだ。
座右の銘「ベストを尽くすな、ベストを越えろ」
この言葉がとてもしっくりくるし、自分を鼓舞するのに役立っている。
先生は、生徒をよく観察していて、先生の表現はとても面白かった。
文集に記載された人間観察は、今見てもかなり笑えるし、的を射ている。
先生独自の目線は、ちっとも色褪せないのだ。
先生が私を評価した言葉はこれだ。
先生の載せていた詩で、印象深かったものがある。
それが、まどみちお氏の詩だ。
卒業してから、一度だけ再会した。
それは、友人の結婚式である。
その友人は高校へ進学せず、中学の同級生と結婚したため、
結婚式は同窓会状態になっていた。
小学1〜3年生の学童の時代に一緒によく無茶をして遊んでいた男の子で、彼のお姉さんとも遊んだ事がある。
印象的なのが、急な坂をブレーキをかけずに自転車で降りる遊びをして、私は、見事におでこや腕から血を流す大怪我をした。
その子とは危ない遊びばかりしていた気がする。
その子の結婚式当日、正直、私の体調は良くなかった。
仲良い友達が参加していなかったため、ひっそりと参加し、
2次会へは行かなかった。
せっかく先生と会えたのに、会話する事ができない状態だった。
同級生の一人から、
「元気なさそうだったけど、大丈夫?」
と連絡が来たが、
「大丈夫! 迎えに来てもらっただけだよ。」
と強がった。
あの日の事が気になっていた。
ふと、先生の事を思い出して、
話したいなぁと思った。
精神的に辛い日々が続き、
「魂の叫び」だったのかもしれない。
Facebookで一緒に無茶な遊びをしていた子に、突然連絡をしてみた。
懐かしい話で盛り上がり、先生の連絡先を教えてもらった。
もし、変わっていなければ、携帯電話の番号はこれだよ、と。
ただ、先生の事だから、携帯は変えてない気がするねと希望を話していた。
いきなり電話をかけるのは緊張して無理なので、
先生にショートメールを送った。
その時の私は精神的に不安定で、
「先生の言葉がなければ、死んでいたかもしれない。」
と送っていた。
たしかに、先生の言葉があったから、
中学校の思い出はとてもキラキラ輝いている。
そして、単純に楽しかったし、青春だった。
青臭く、仲間を信じて、みんなとぶつかって、
たくさん色んな事を学んだ。
先生はショートメールを見て、即座に電話をかけてくれた。
先生と再び繋がったのだ。
先生の言葉に何度も救われた事、
先生の言葉を信じて大学受験して、後に入学した事、
先生が教えてくれた勉強方法について、
想い出ぽろぽろ…
私の心は不安定だったが、
先生は、優しく、私の心に寄り添ってくれた。
電話の中で、先生は、
「そんなに言葉を大切にしてくれて、嬉しいよ。」
「でも、自分が一番大切だからね。」
「必ず、見てくれる人がいるよ。」
「何も変わっていないよ。あの頃から、ずっとそうだったよ。」
「授業でサイレントマジョリティーについて取り上げたよ。」
「電話番号は変わらないけど、iPhoneに進化したよ。」
と、また、新しい言葉を贈ってくれた。
3年間、先生の生徒で良かったし、
あの頃があるから、友だちや仲間を信じられる気がする。
私のアイデンティティは中学校の3年間で大きく形付けられたのだ。
夢を抱いたのも然り。
私は、先生に恵まれている。
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