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Oper Dortmund 13.01.24 オペラの記録:ドルトムント・オペラ、オーギュスタ・オルメス作詞作曲《黒い山》プレミエ (ステージ写真を追加しました)

1月13日、ドルトムント・オペラのプレミエ《黒い山》を観ました。
これは19世紀後半、オーギュスタ・オルメスが作詞作曲した作品で、世界初演は1895年、パリ・オペラ、ガルニエでした。
その後、全く忘れ去られ、今回はドイツ初演でした。

今回のドルトムント・オペラのプレミエには多くの専門家、批評家、プレス関係者が詰めかけました。プレス申し込みはドイツ内外から41人だったそうです。

このような作品を上演することは非常に稀で、熱意と勇気がなければ不可能です。

演出はエミリー・ヘール。彼女はまだ23歳です。

指揮は同オペラの音楽総監督兼第一カペルマイスターの小林資典。
この作品の録音はもちろん全くないし、少ない資料で、かつ整っていない楽譜をもとに勉強をしたそうです(オケ・スコアが届いたのは23年10月)。

歌手の勉強も大変だったと思います。

さて、19世紀後半のパリの音楽界において、オルメスは多くの芸術家を魅了した『ファム・ファタール』的な存在でした。
サン=サーンスは彼女に求婚し、断られています。

彼女は詩人カテュール・マンデスと不倫関係にあり、彼の子供を5人産みました。ルノワールは彼女の3人の娘をモデルに「マンデスの娘たち」という絵を描いています。
しかしマンデスは《黒い森》の上演で大きな負債を負ったオルメスを捨て、経済的に困窮した彼女は心臓発作で56歳で亡くなりました。

オルメスは1889年のフランス革命100年を記念してカンタータ《勝利のオーデ》作曲を委嘱されるほど、当時は有名だったのですが、その後はほとんど取り上げられることもありません。

《黒い山》のフランス語のオリジナルは《La Montagne Noire》。
イタリア語では『モンテ・ネグロ』、つまりモンテネグロの英雄譚がもとになっています。

音楽については、なんせ、大のワグネリアンだったオルメスのことですから、後期ロマン主義、そして『ワーグナー』がふんだんでした。

ワーグナーのように、オルメスは自身でテキストも書いています。

ストーリーは、ワーグナー《タンホイザー》との関連を考えますが、《アイーダ》もあり、個々の場面においては《ワルキューレ》や《神々の黄昏》などを彷彿とさせます。
また英雄ミルコと恋に落ちる(あるいは惑わす)ヤミーナはアイーダ、《サムソンとダリラ》のダリラ、そしてカルメンでもあります。

オルメスのこと、そして《黒い山》については別途、詳しく記したいと思っています。

プログラム。

ピット。

客席。


カーテンコール。

プレミエのパーティーで、インテンダントのゲルメスハウゼン氏が関係者を讃えたあと、記念写真。

FOTO:(c)Kishi

以下は劇場提供の写真です。(c) Björn Hickmann

中央、白い帽子かぶっているのはダーラ(英雄ミルコの母)
その向かって左側はヘレナ(ミルコの婚約者)


敵国オスマントルコの娘ヤミーナの歌と踊り。ヤミーナを見て恋におちるミルコ


ヤミーナと一緒に祖国モンテネグロを後にしたミルコ。下で眠るのはヤミーナ


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