癒しと戒めの空間を描く
こんにちは。はっぴと申します。
毎夜パステル画を描いて翌朝エピソードを書く、ということをしています。
しかしながら、ここのところ毎日更新が途切れてしまいました。。
相変わらず、屋外スケッチは続けていて、描きたい絵も沢山あるのですが、どれも中途半端。エピソードまで辿り着けませんでした。4月から始まった新しい環境に慣れるのに精一杯で、気がつくと時間ばかりが過ぎていました。。
新学期が始まってすぐに、新しい環境と自分の「方向性が違う」とか気づいてしまうことってありますよね。
入った会社がなんか違う、とか学校の雰囲気がどうも合わない、とか。言われえぬ事情が発生してすぐに辞めざるをえないとか、、。
なんだか、そんなあるあるの新年度を私も過ごしていて、いまは、「一旦、落ち着こうか」と自分に声をかけたい気分です。
◆近くのお寺で癒される
最近、画用紙が無くなったので、隣町の画材屋さんに行きました。隣町にはデイケアの利用者さんから聞いていた古い灯籠のある公園があり、帰りに探しに行こう!と、思いつきで気の向くまま辺りを散策しました。
道に迷っていたら、江戸時代から続くお寺が沢山存在している地域だということがわかり、穏やかな顔をしたお地蔵様や観音様に出会い、思わず、一つ一つのお寺に導かれるように入らせていただきました。
そこは本当に静かな場所で、無縁仏を見守っている観音様の穏やかな表情に守られているような、天国のような場所でした。
まず、そこの入口にはいると、紫木蓮の花が咲いていました。私の目線に咲いていたので、大きな木蓮ではなく、低木のマグノリアという種類の木蓮だと思います。いつも背が高くて手の届かなかった紫木蓮を思わず鉛筆でスケッチしました。
木蓮は「木の蓮」と書きますよね。お寺に本当に似合う質素な花なんですよね。
そのマグノリアの近くにはたんぽぽが綿毛をつけていたり、ヒメオドリコソウが一本だけぽつりと咲いていたり。胡瓜草がぽつぽつとコケティッシュな水色の花をつけていたり。あ、胡瓜草(きゅうりぐさ)の名前は後から調べてわかったのですが、水色の綺麗な花なので、勿忘草(わすれなぐさ)だと思って描いていました。春先によく見る花なのでとても親しみがあります。
その、小さな花たちが肩を寄せ合ってひっそりと生えており、まるで家族になっているようでした。その姿は観音様の周りに集まる無縁仏の姿のようでもありました。
そんな天国のようなお寺で野草のスケッチをしながら癒されつつ、新年度を乗り越えていこうと思いました。。
◆江戸時代の芸術家のすごさ
これはまた、別のお寺で描いた青龍です。
青龍は仁王様と共に山門を守っていました。
2回くらい足を運び、家に帰ってパステルで色を置きました。F0サイズのスケッチブックだったので、全体を描きいれることができなかったのが残念です。龍は狭い山門の隙間に入れられて、ここから出してほしいというような必死でもがいているような感じもしました。
青龍は古代中国の風水で東の方角を守った聖獣だそうです。
邪気のあるものを入れさせない力があると思いました。
鋭い爪と眼光、大きな口。恐ろしい顔つきをしています。
江戸時代の彫り師職人たちはどれだけの想像力を持っていたのだろうと思いました。写真がない時代にこれだけ迫力のある絵図を頭の中で構成する能力は現代人の創造を超える凄まじい創造力と再現力があったと思われます。
100年以上前のこのような芸術を見ていると、さまざまな思いが湧き起こってきます。
当時の芸術家の一生をかけて培った想像力の賜物を間近で見ることができるありがたさ。そしてはるか昔に思いを馳せることができるようになった成長した自分がいること。さらに、今の自分の想像力が大先輩の芸術家を前にすると、いかに未熟であるかということ。それでも絵を生み出すことを続けていきたいと思っていること。などの、気づきがありました。
その他にもこの地域には権現道という徳川家康が通ったと言われる古い石畳の道があり、その道なりに小さなお寺が静かに存在しており、まるで江戸時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚える時間を過ごせました。
今回、新年度の環境の変化に慌ただしく過ごしていたところに、癒しと戒めの体験ができる場所を発見することができました。また、度々訪れたいと思います。
そういえば、もともとの目的である灯籠のある公園にもたどり着くことができました。曇り空から覗く夕陽に天使のはしごができていてとても綺麗でした✨
しかしスケッチに夢中になりこの時は灯篭を見ることができず。後日改めて灯篭を見に行きました。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
皆様も新年度の環境の変化に飲み込まれず、ありのままでお過ごしくださいね。
今日が良き一日となりますように。
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