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広く深い国インド

今回の旅で一番不安で、そして楽しみにしていた一ヶ月が終わった。
インドとイランを巡る一ヶ月だ。

この二国を抜けて今はトルコにいる。少し落ち着いたのでこの二国について所感というか、思ったところを書いてみようと思う。
今回はインドについて。


私が出会ったインド人たちは、大抵の場合こどものような愛嬌があってキュートな人々だった。憎めない、という言葉がしっくりくる。
特にバラナシではインド人たちとの楽しい思い出が多い。ここで私のインド人観は大きく変わったと言っても過言ではないくらいだ。
バラナシは日本語が堪能なインド人が多く、ヒンディー語訛りのかわいらしい響きで「うちのお店見てってよ〜」なんて言われるとあんまり邪険にも扱えなくなっちゃうのである。
行く前は「声かけてくるやつはみんな悪いやつだ!日本語ができるなんてさらに怪しい!」と思っていたけれど、今となっては彼らの喋る日本語が恋しいくらいだ。
実際そんなに悪いやつばかりじゃないのだ。喋るだけ喋ってどっかいくやつも結構いたし、雑談の合間に店を見ていけだのボートに乗れだの言うやつも、断れば「なんでよ〜」とは言うものの強引に勧誘するでもない。インド人に話しかけられるとお金を取られるんじゃないかと無条件に身構えていたけれど、拍子抜けするくらいアッサリといなくなることがほとんどで、そんな彼らを見ながらなんだか恥ずかしい気持ちになったりした。

アムリトサルで出会ったアジートというインド人もとても優しい人だった。
私はインドとパキスタンの国境で行われるセレモニーが見たくてバスツアーの受付に行ったのだけど、時間が遅くてバスには間に合わなかった。でも次の日の朝にはアムリトサルを発つ予定で、チャンスはその日しかなかった。
そこで「バイクで送るよ!」と言ってくれたのがアジートだった。最初はほとんど家への帰り道だから、ということで行きだけ送ってもらい、帰りはツアーのバスに合流するという話だったけど、結局彼は片道小一時間かかる道のりを行きも帰りも乗せてくれた。正直何度も「これ大丈夫か?」と思うタイミングがあってホステルに着くまで気が休まらなかったけれど、結局彼は私から一銭も取らずにホステルまで送ってくれた。
彼との計2時間のドライブはいい思い出となった。

とはいえ、いい人ばかりではないのが本当のところだ。
バラナシで出会った日本人旅行者が、先日手の込んだ詐欺にあって70万ほどのお金を奪われたそうだ。彼は旅行資金を失って帰国せざるを得なくなった。彼は私と同じ大学生で、大学を休学して旅を始めたばかりだった。
他にも拉致されるようにツアー会社に連れていかれ、バカ高いツアーを組まされたなんて話は実際にいくつか聞いたし、そういえば前回書いた火葬場の寄付金、後から調べてみたらあれだって詐欺だった。私が払ったお金はせいぜい750円程度だけど、あの時のガイドのまっすぐな目は忘れられない。あんな顔で詐欺ができる人間がいるのか…と思うと、バラナシで会った彼や他の被害者たちが騙されてしまう気持ちも十分理解できる。もしかしたら私も、そういう大きな犯罪に巻き込まれる寸前のところまでいっていたのかもしれない。楽しくお喋りしたインド人たちと、あと少し踏み込んで付き合っていたら、私も彼らのように大金を巻き上げられていたのかもしれない。そう考えると背筋が寒くなる思いである。


話変わってインドの中には言語や宗教、貧富、カーストなどといったたくさんの違いがある。そしてインドの人々はその"違い"と共に生きている。もちろん所得や身分の差は無くすべきものかもしれないが、そういうことは一旦置いておいて、自分とは違う人がいる、ということを彼らはごく自然に理解して受け入れているのだ。
インド人はたいてい主張が強くて自己中心的だが、それでいて寛大さという優しさも持っている。それはたくさんの"違い"のなかで生きていくのに必要なものなのかもしれない。
自分の領分はきっちり主張して守り、相手の領分を不必要に侵さない。自分がやりたいようにやる代わりに、相手のことも受け入れる。
最初は彼らの自己中心的な行動に辟易していたけれど、そういうインド的な精神性に慣れて自分も真似してみると、なんだか一気に過ごしやすくなった。

インドの人々は"死"とも共に生きている。
インド滞在中にはたくさんの生きものの死骸を見た。ネズミや子犬、猫、鳥、そして人間。火葬場については前回書いたので省略するが、こんなに死を間近で見て感じたのは初めてだった。
生きた鶏が入ったカゴのすぐそばで、捌かれて肉となった鶏が売られていたり、肉屋の店先にその肉の持ち主だったヤギたちの頭がゴロゴロ転がされていたりもする。
そういうものにグロテスクさや怖さはなくて、ただ、生の延長に死があること、死があって生があることをごく自然に感じた。死を遠ざけずに生きている彼らの姿は、すごく本来的で、なぜだか安心するような気持ちになった。

"インドには原点がある"
これは滞在中に読んだ『河童が覗いたインド』という本の言葉だが、まさにそうなのだ。
インドはあらゆる違いを、違うままに内包している。本当にカオスだ。でもそのカオスの中を、人々は涼しい顔して生きている。たくましい。そのたくましさがカッコイイ。
日本でインド人のように暮らすことはおそらくかなり難しいが、インド的精神のエッセンスをちょっぴり持ち帰ったらなんだか人生良くなるんじゃないかな、という気がする。


さて、つらつらとインド人とインドの精神性について書いてみたが、これを読んでくれたあなたはインドについてどんな印象を持っただろうか。良い国?悪い国?行ってみたい?それとも怖くていや?
実のところ、書いた私もよく分からない。インドってどんな国だったんだろう。今回は便宜上「インドは〜」「インド人は〜」なんて分かったように書いてはいるが、ほんとはインドのイの字も知れていないような気がする。三週間もいたのに。
行く場所を変えれば、行く時期を変えれば、お金をもっと持って行けば、その都度新しいインドを見ることができるだろう。行く人間によっても、インドの見え方はだいぶ違ってくることと思う。

インドは好きか?と聞かれると、正直返答に困るのだが、それでも気づけば思い出すのはインドのことばかりだ。
おばちゃんたちに支えられながらガンジス川に入ったとき、なにか大きなものに包まれていくような気がした。自分もインドの一部になったような気がした。
あの感覚だ。インドはなにも拒まない。入ってきたものを受け入れて、その都度いろんな顔を見せてくれる。もっとインドのことを知りたいし、知らなければと思う。

ハマっちゃったな、インド。


#旅行 #旅行記 #インド

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