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はなたれねこ移住する。第47話 移住二年

ああ二年経ったのかあ。
もう何年も住んでいるような気がしたがまだ二年だった。二年目ともなれば昨年の経験が生きて困ることはなくなった。冬は暖冬だったのかそれとも底冷えする寒さに慣れたのか最初の年ほど寒いとは感じなかった。冬の間は息子と二人でバードウォッチングによくでかけた。そこで初めて見たアカゲラに感動して、今でも時折思い出して話し合っている。息子は小学三年生になってひとりでいるときは大人しくていい子なんだけれども妹がいるととたんにあくたれになって事実ラルフに共感している。反抗期の波がやってきたようでそういうのを成長と思いながらもナマイキな言動に腹ただしくこちらも余裕のない対応をしている日々である。だってオレ小学生だもんと言って自らの行動を悪びれる素振りも見せずにヘラヘラしていたら頭にこないわけにはいかない。息子の反抗の原因はそのほとんどが妹に起因するところがあって、つまりジェラシーである。オレも妹と同じように扱えというのである。同じように可愛がれというのである。同じように許せというのである。この同じようには態度だけでなく物質にも及んでいて多い分には構わないが妹より1ミリ1枚1グラムでも少ないものならヒステリーをあげて絶叫する。このずるいという感情はどうしたらいいのだろうか。どうしてここまで彼の心をかき乱すのか。永遠に満たされない感情のプール。赤ちゃんの頃には考えなかったことが今起こっている。いろいろと。
 
娘は五歳になった。来年小学校へあがる。春に注文したランドセルが秋にやってきた。おじいちゃんおばあちゃんが買ってくれたランドセルだ。とても高価である。ぼくが普段しょっているドイターがたぶん3つ買える金額だがたったの六年しか使わないときた。ぼくはドイターのバッグをもう十年くらい使っているんだぜ。もう買ってしまったからどうでもよいが、ランドセルは無くなって欲しい習慣である。高い、重い、なにも入らないと使い道が限られた背嚢など無意味である。昨今のランドセルは赤や黒など昔ながらの色を選ぶひとは大変少なくて、娘はなんとピンクを選んだ。散々せめて茶色にしようよと言ってみたが娘は頑としてピンクを譲らなかった。しかしまだピンクならいい方なのかもしれない。よその話を聞くと紫を選んでトホホなどと言っている。ヤンキーはたまた白髪染めカラーか。メーカーのカラバリのセンスのなさはランドセル業界だけに限ったことではない。日本人はどうもいい色を作るのが苦手なのではないかと思っている。
 
娘も兄に負けず劣らず徹底した平等主義者である。もっとも自分のほうが多い場合には文句はない都合のよい平等主義者であるが。三歳の頃のように所構わず地面を転がりまわって駄々を主張するようなことはなくなったが、我の強さというのはきっとこのまま変わらないのだろうと思わせる日々である。娘はおにいちゃんのランドセルに憧れながらも赤ちゃんに戻りたいとも思っている。そんなアンビバレントな気持ちを抱いて、ぼくはああ一個の生命体なんだなあと思ったりする。
 
お父さんこんなに足がつくようになった。息子が自転車にまたいで言った。なるほど見れば両足が地面にしっかりついている。ぼくは息子に自転車を降りるようにいってつま先立ちになるくらいまでサドルを上げた。はじめどんつきまで下がっていたシートピラーがすこしずつ見えてきた。まだ自転車のサイズからすると低いが24インチの自転車は小学生の間乗れることを想定したサイズなのでいいのだ。おそらく六年生ごろにジャストサイズになるだろう。その前に乗っていた18インチのバイクは妹へお下がりとなったわけだがこちらは一向乗ろうとしない。自分で自転車に乗れると楽しいよと言うんだけれども、やーだーよーといっている。性格もいろいろだなあと思う。
 
夏はパラダイスだった。冬の間に見つけておいたポイントに夜な夜な息子と虫捕りに行った。自転車で気軽に行動できる範囲にパラダイスはあった。このために移住してきたのである。パラダイスは想像以上だった。この豊かな森をキミが大人になっても残していくようにしないといけないね。そんなことを息子とよく森で話している。
 
いくら夏の暑さが長く続いても昆虫の寿命は変わらない。カブトムシやクワガタは八月の頭にピークアウトすると途端に数が減る。アブラゼミはたいてい八月いっぱいでおしまいになる。まるで真夏のような暑さだがツクツクボウシが鳴き、地面からコオロギの声がし木々の間からキリギリスの仲間たちの演奏が聞こえてくればやはり秋を感じないわけにはいくまい。周囲の環境とは裏腹に気温だけが高いおかしな気候もやがてそれが当たり前になる。ぼくたちは千年に一度と言われる気候変動の真っ只中にいる。
 
小さな庭も今年は実りがあった。ブルーベリーは二十粒ほど実をつけた。ワイルドストロベリーもいくつか生った。子どもたちがせっせとつまみ食いをした。ぼくの口にはほとんど入らなかった。オレガノとセージは大量に育ってそれは乾燥させてミキサーで細かくして保存した。バジルも食べ切れないほど葉をつけている。反対にトマトはさっぱりで途中で根が枯れて死んでしまった。唐辛子も昨年の豊作に程遠くふたつばかり取っただけである。パプリカを植えたはずが色が変わらず緑のまま食べた。ピーマンだった。ローズマリーはようやく根がついたようで料理に使っても大丈夫なくらいに成長した。だめなものもあったが去年に比べたら格段の進歩である。とくにハーブ類は買うと高いので自家栽培できるととてもいい。
 
秋が来た証拠にアキアカネが大群で降りてきた。アキツの国にふさわしい数である。去年も同じようなことを書いたなと思い出す。同じ時期なのだからそういうものであろう。娘が今年は自分で捕るといって網を振り回した。ぼくが捕り方をおしえてやるとお父さんの言い方が怖いとかいう。ぼくはものを教える時ついスパルタになってしまう。はじめは距離感も振る速度もまるでなってなかったが次第にコツを掴んでついに一匹捕った。できた、その喜びは忘れないでほしいなあ。娘は捕まえたトンボをさっさと逃がすと次の獲物を狙っていた。結局五匹ひとりで捕った。やったなあ。もう自分のものにしたなあ。去年はまるでできなかったことが今年はできるようになったんだなあ。アニキもおにいちゃんらしく妹を褒めている。ふたりともちゃんと一年分成長したんだなあ。ぼくは一年経ってなにができるようになっただろうか。強い日差しを受けながら、乾燥した空気のなかを時折り冷たい風が通り過ぎていく。風の子たちは早口でおしゃべりをしながらぼくの指の間を抜けていった。

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