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9.11旅行記⑥ 2001/9/15(テロ後初めてのフライトでカンザスへ)

2001年9月、大学3年生の時に初めて海外旅行に行き、アメリカ同時多発テロに遭遇した時のことを残しておきたくて、旅行記を書きました。

<実際の旅程>
・2001年9月10日: 夜、マンハッタンに到着
・9月11日: 同時多発テロ発生、2機目突入を目撃し走って逃げる
・9月12日: マンハッタンを観光
・9月13日: 空港閉鎖、延泊。再びマンハッタンを歩く
・9月14日: ホテルでFBIが取り調べ。ホテルを移される
・9月15日: テキサスの伯父に送金してもらい、航空券購入、カンザスへ
・9月16~17日: カンザスの友達の寮に滞在
・9月18~19日: 帰国

・ウエスタンユニオンで現金受取

2001年9月15日(土)

朝5時台に起床して、フロントでチェックアウトした。昨日チェックインの時にもらった朝食のチケットは、7時からだったので、使えなかった。
6時頃、ホテルの前に白いタクシーが来た。ちゃんと来て、よかった。女性の運転手に、行き先を告げた。

間もなく、現金の受取りに指定された、ウエスタンユニオン社の建物に到着した。私とアイちゃんは一緒に降りて、運転手さんに待っていてもらえるようお願いした。

窓口に行くと、用紙を渡され、必要事項を記入するよう言われた。受取人の名前、金額、送金者の名前など。送金者欄にグレンと書こうとして手が止まった。
グレンのスペルが分からない。
Gren?Glen? Rか、Lか? 名字は分かるが、名前のスペルが分からないとは思わなかった。グレンの綴りを、最後に見たり書いたりしたのは、いつだろう。
考えても正解は分からないし、調べることもできないし、時間もない。両方思い浮かべてみて、なんとなくしっくりきた方で、Grenと書いた。間違っても、伝わるだろう。それとも、手続きできないだろうか。
焦ってきた。金額は、10万円分だ。10万円だから、$100と記載した。

書いた紙を、女性に渡した。女性は紙を見ると、一瞬動きが止まったが、表情を変えずに、手続きを始めてくれた。何も言われない、よかった。

そして、現金と領収書が渡された。
領収書を見ると、Sender: GLENNと書いてあった。
GrenでもGlenでもなかった。おじさんに申し訳ない気持ちになった。
金額も、Amount: $500.00の領収書が2枚、つまり1,000ドルだ。
肝心な情報が全て間違っていた。さぞバカだと思われたに違いない。言ってもムダだと思ったのか、心優しい人だったのか。でも、目的は達成できたから、今はいいんだ、次に進むんだ、と私は落胆と恥ずかしさを振り払って、お店を出た。
大金の入ったバッグを大事に胸に抱えてタクシーに戻った。6時30頃だった。

タクシーに戻ると、女性の運転手さんは、さっきと髪型が変わっていた。長い髪を下ろしていたのに、まとめて上に上げていた。待ったわよ、という無言の主張を感じたとアイちゃんは言っていた。

ニューアーク空港に向かった。走っていると、途中でタクシーが止まり、運転手の女性が振り向いて、私たちに「トール」と言った。背が「高い」のTall?何が高いの?
アイちゃんと2人で、トールって何?と戸惑っていると、女性は紙に”Toll”と書いて見せた。私は、バッグに入れていた、小さい英和辞典を引いた。Tollは、高速道路などの使用料のことだった。高速料金を払って、と言っていたのだ。
色々あったマンハッタンが最後だという余韻に浸る余裕もなく、なんとか無事にニューアーク国際空港に到着した。

・ニューアーク国際空港

ニューアーク国際空港は、営業再開していた。
ニューアーク国際空港は、この同時多発テロの後、2002年に「ニューアーク・リバティー国際空港」という名称に変更された。2001年9月11日にハイジャックされた4機の飛行機のうち、ユナイテッド93便は、このニューアーク国際空港から離陸し、ペンシルベニア州に墜落した。この時、乗客は、ハイジャックされていると知り、犯人に抵抗したとされている。それに敬意を表して、”Liberty”とつけたということのようだ。
しかしこの時私は、まだ事件の全体像を知らなかった。

デルタ航空の、ニューアーク発・アトランタ経由・カンザス行きの航空券は、1人358ドルだった。カウンターで、さっきおじさんから受け取ったお金で、アイちゃんの分も一緒に支払った。全て、Sさん、ミナコおばさん、グレンおじさん、アンディの尽力のおかげだ。

空港内のお店には、ニューヨークのお土産が、たくさん売っていた。私は、I ♥ NYの小さなマグカップと、家族や友達に配るチョコを買った。それから、あったかい紅茶を飲んで心を落ち着かせた。

・テロ後初めてのフライト

テロの後、初めて飛行機に乗る。乗りたいような、乗りたくないような気持ちだが、流れに身を任せるしかない。それに、ミナコおばさんの言うとおり、すぐ同じようなことが起きるとも思えない。
スーツケースを預ける時、スーツケースを開けて、仕分けている袋の中まで全てチェックされたので、私は安心した。TSAロックは、この同時多発テロを契機に導入されたため、この時はまだないので、自分でスーツケースの鍵を開けて、確認してもらった。私がチェックを受けている時、向こうで別の人のスーツケースを確認していて、整理整頓されていなかったり、また、洗濯物など、きれいなものばかりではないだろうし、全員分を確認するのは大変だろうなと思った。
一方で、機内持ち込みの手荷物は、中を見られることはなく、大丈夫なのだろうかと思った。

飛行機は、大きな遅れや混乱もなく、出発した。アトランタまで、2時間だ。離陸すると、軽食が配られた。茶色い紙袋に入った、小さなりんごと、サンドイッチだった。
私は、自分でも気づかないうちに緊張していたのか、少し気分が悪くなり、食べるのは後にして、少し休むことにした。
私は、怖がりだ。テロが起きる前から、飛行機が怖かった。でも、怖いから乗らないわけにいかない。怖い以上に、行きたいのだ。

20分ほど眠ったら、もう気分がすっきりして、すっかりお腹がすいていた。
私は、さっきのサンドイッチを食べた。りんごは小さくてかわいくて、とっておきたくなったが、かじって完食した。

食べ終わると、すぐに着陸の時間になった。少し緊張する。ちらっと周りを見てみると、着陸態勢の間、他の人たちも、誰も話さず、視線を動かさず、じっとしていた。異変があったらいち早く察知するため、額に神経を集中させているようだった。やっぱりみんなも同じように緊張しているんだなと思った。私たちは、恐怖心からくるわずかな疑心暗鬼を押し殺して、自分以外の乗客を信用して、おとなしく座っているしかなかった。
そして、着陸すると、拍手がわき起こった。もちろん私も一緒に拍手した。安堵と解放感を感じた。みんなお互いに、ああ、やっぱりみんな自分と同じだったのだと、最後に答え合わせして、別れる時になってやっと本当に信頼したような笑顔だった。
後でこの話をしたら、海外では昔から着陸時に拍手することがあると言われたが、私は、この時ばかりは、テロの直後で飛行機が無事に着陸したことへの拍手だったと思う。テロを意識しなかった人はいないのではないかと思う。

アトランタ空港での乗り継ぎは、定刻どおりだと40分もない。方向音痴の私は、アイちゃんと一緒でなかったら、無理だったと思う。
アトランタからカンザスまでは、約1時間のフライトだ。乗客はとても少なかった。アイちゃんと並んで座っていると、少し離れたななめ後ろの老婦人に、席を替わってくれないかと言われた。窓際に座りたかったのかもしれないが、でも、他にも空席があり、よく分からず、お断りした。
カンザスまでは、ものすごく揺れて、変な音がして、とても怖かった。

・カンザスに到着

カンザスシティ空港に到着すると、すぐにリエが出迎えてくれた。私は、テロからだいぶ遠くに逃げられたと思った。一方で、ニューヨークでの体験は、私にとって大きな出来事で、このように言ってよいのか分からないけど、大切な出来事で、気持ちや考えを整理する間もなく、場面が切り替わった気がした。
でも、ほっとしたのも事実で、なによりリエに会えた。リエと一緒に、友達のアキコ、スティーブとトミコさん夫婦も来ていて、スティーブが車を出してくれていた。

スティーブは、リエと同じ大学で、一度社会人を経て、学生をしていた。体は大きいのに、頭が小さくて、整った顔立ちをしていた。携帯電話の待ち受けを、”DRINK BEER”というテキストにしていた。
車の中で、みんなでおしゃべりしていたのだが、私は気づいたら、90度横に倒れて寝ていた。いつ眠ったのか、全く覚えていなかった。

リエたちは、Olive Gardenというイタリアンレストランに連れて行ってくれた。お客さんがたくさん入っていて、入口でけっこう待ってから入った。
私はトマトソースのパスタと、ストロベリーのカクテルを頼んだ。パスタは量が多くて、食べても食べても、麺がなくならなかった。食べきれなくて、トミコさんに、アメリカの胃の大きさにはまだまだだと言われた。アメリカに来てからずっとお腹が空いていたので、久しぶりに満腹になった。
ストロベリーのカクテルは、とても美味しくて、あまり早く1人で飲み終わってはいけないと思ったが、のどが渇いていて、早めに飲み干してしまった。私はお酒で酔ったことがなく、ジュースと変わらないのだ。
それから、テーマパークにも連れて行ってくれた。お化け屋敷で、ドアがたくさん並んでいる部屋があって、照明がビカビカのなか、どれが出口に続く本当のドアかなかなか分からなくて、本気だなと思った。セントラルパークのメリーゴーランドと同じだ。

・リエの寮へ

スティーブとトミコさんとお別れして、アキコも一緒に、リエの部屋に行った。
リエは、大学の寮に住んでいて、ジェイミーという子とルームシェアしていた。ジェイミーはかわいくて、さっぱりしたかんじの、とてもいい子だった。部屋には、ほかにも何人かリエの友達が来ていた。

アイちゃんは、リエに頼まれていた、雑誌の『Stonew』を日本で買ってきていて、渡していた。
私たちの高校は私服で、リエはおしゃれだった。そして、英語がよくできた。歌もうまくて、中間・期末試験が終わった後などに、よくみんなでカラオケに行った。リエがマライア・キャリーの” All I Want for Christmas Is You”を歌った時、歌も英語も上手でかっこよかった。
リエは、人の弱い気持ちが分かるけど、多分それ以上に強い気持ちを持ち合わせていた。

リエの部屋で、ミナコおばさんに、無事にカンザスに到着したことを連絡した。
この日は、夜更かししてから寝た記憶がある。レシートを見ると、23:51に、Walmartでアイブロウを買っていた。

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