見出し画像

酔うだけに飲むお酒はおいしくないし、どれだけ飲んでも酔わないっていうのも虚しい

2022年の夏に潜在性甲状腺機能低下がわかり、それ以来、薬を飲んでいる。

この記事がその時のものだけど、この時から定期的に血液検査をしていて、甲状腺ホルモンだけでなく、基本的な栄養状態もチェックしている。
甲状腺のほうは服薬のおかげで正常値内をキープし続けているので、夏をめどに服用をやめる方向で先生と話をしているところ。

===============

ところで私は自分なりの健康の定義を設けている。それが「お酒が心地よく飲める心と身体」だ。


私のインスタのプロフィール欄にも書いている(笑)



普段から思うのだけど「何もかも忘れてしまいたい」と酔うためだけに飲むお酒はおいしくない。かと言って「いくら飲んでも酔わない」というのも虚しい。それと飲んで二日酔いというのも不快だ。

若い時はそれはそれは乱暴なお酒の飲み方をして、20代はそれこそ「二日酔いって何?」ってくらい飲んだ。ほぼ、毎日、夜の11時すぎから朝方までなんてざらだったけど、30代の半ばごろから地獄の二日酔いもするようになり(個人的にはビールの二日酔いが抜けが悪くて苦手)、お酒の飲み方も自然に変わってきた。

その変化の中でつくづく思ったのが上記に書いた酔うためだけに飲むお酒はおいしくないし、飲んだ以上はほどよく酔って心身ともにリラックスしたいということだった。それには「自分のコンディション」と「誰と飲むか?」が私にとっては重要なのだということもわかった。

私は今、付き合いで飲むということが皆無だ。一緒に飲む人は100%、一緒にいて心地よい人に限られている。で、この心地よさというのは私がお酒を飲んでいようがいまいが関係ない。そんなわけなので、相手がお酒を飲めなくてもまったく気にならない。私だけが飲んでいるという状態でも、「私ばっかりごめんね」とかない。っていうか、そんな会話がそもそも出ないので、一緒に時間を過ごせるのだろう。

=================

さて、もう一つの自分のコンディションについて。あるいみ、こっちのほうがウエイトが高い。心地よく飲むためには、多少のうまくいかないこと、悩みがあったとしてもそこそこ心が安定していて、体調がよいことが大事だからだ。何事もまずは自分。人の関係も自分が荒れていたらよいものにはならないからだ

そのために自分なりのルールも設けている。
そのルールが「自分の部屋で一人で飲まない→飲みたかったら一人でも外に出かけていって飲む」
「部屋で飲む時はZOOM飲み会などか、人が遊びにきた時だけとしている」

なので、基本、家にお酒はないのですよ
これ、昔からの友達に言うとすごくびっくりされる。当時は部屋にお酒が常時7~8種類はあったから(私も大人になりました・笑)

たったこれだけのルールだけど、これで「飲む」ことへの意識が変化した。飲むということに自分自身がより積極的に関わるようになったとでも言えばよいだろうか?
積極的というのは、外にガバガバ飲みにいくようになったということではない。
自分は心地よくお酒を飲める心と身体であるのか?という意識するようになったということ。
そして飲んでいる時も「今、心身ともに心地よいか?どうか?」をどこか頭の隅におきながら飲むようになった。

おかげで、食べ過ぎたらお酒がまずくなることもわかったし、出汁をチェーサーにしながら飲むと、幸福感がますことや身体が冷えないことなど、自分なりの取説が徐々に構築されていった


そしてもうひとつ、自分の感覚だけでなく実際は身体はどうなってるの?も大事だろうと思っている。
定期的な血液検査は、「お酒が心地よく飲める心と身体」のためにも有効だなと感じている。

そんなわけで定期的なメンテナンスのひとつとして、かかりつけ医に血液検査をしてもらっているのだけど、それがね、コミュニケーションについて考えさせられるおもしろい人体実験になっている。

長くなったので次回はそのことについて書こうと思います。
今、頭の中にあることを忘れませんように(笑)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?