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肉体という愛に包まれているとしたら

時々、「そうだった、身体にも意思があるのだった」と思い出すことがある。心のこととか魂とはなんぞや?とか考えていると、つい身体が後回しになりがちなのだけど、身体には身体の意思がある。もっとわかりやすくいえば、身体は常に「生きる」と「DNAを残す」というベクトルへ向かって循環している。その循環は永遠ではないけれども、死を迎えるその瞬間までその意思は揺らぐ事はない。
心がどれほどまでに揺れようとも、身体は生きるへ向かっての営みを、そのシステムが老朽化するまでやめようとはしない。
健康であってもそうでなくても、身体は常にそこへ向かって進んでいる。

そして、身体は見えないもの、心や魂といったものの代弁者でもあって
その代弁はいつも「守る」であり、ある種の犠牲も厭わない。
そう、いつだって味方なのだ。心の皺寄せを受けて病気になることも、ある意味、そうやって「存在」の全体性のバランスを取ろうとしてのことだ

どうしようもなく抱えきれなくなったものを身体が受け止め、身体が心や魂の盾となり闘う。
そんなことを思うと肉体があるということそのものが愛の表れなのではないかとさえ思う。

肉体は魂の器だというけれど、器そのものが愛なのだとしたら
毎日毎日、私たちは愛に包まれて守られて生きているんだなと思う。

愛されているから生まれてきた、とか
生かされているとか
そういう言葉がピンとこない人は、自分の身体をそんな目にみてみるといいかも。

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