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「精一杯生きてきた」という気持ちの裏にうっすらと「今がずっと続いていく」という気持ちが張り付いていることに気がついた

これまでの20年、もしくは30年という時間感覚と、これからの20年、もしくは30年というものの時間感覚はどんどん違うものになっていくのだなとほぼ確信的に思っている。あ、時代のことではなく私自身のことだ。

そりゃ、そうだ。年齢を重ねていけばそんなことは当たり前のことだろうと思う。一方で、そのことをまったく理解していなかったのだということに気が付く。
どこかで、今がずっと続いていくと思っていたし、今でもそう思っているふしがありやれやれと思う。

「いつ死んでも後悔しないだろう。私は精一杯生きてきた」という気持ちの裏にうっすらと「今がずっと続いていく」という気持ちが張り付いていることに気がついた時「すかしてないでもっと真面目に生きよう」と思った

もちろん、100%すかしきっていたわけではない
たとえ誰に鼻で笑われようとも私は精一杯やってきたとも思う
そう思う自分も否定はしない。
ただ、なんと言ったらいいのだろう
私はもっと精一杯やれるはずであることに気がついたのだ。
なんかね、ちょっとすかしてるなって思ったのだ

それは何かを成し遂げるとか、何かになるとか、なんらかしらの結果を出すとかそういう類のものではなくて、出力の問題。還元の問題。

死というひとつの区切りが、想像もつかないほど遠くにあるというような年齢ではなくなって「私が私であること」を真面目にやりつくさなければならないなぁと思うのだ


人は最後は息を吸って亡くなっていく。
息を吐くのではなく・・・ね

昔、この話を聞いた時
何かを受け取って魂は旅立つのだなと思った

だとしたら
その時その瞬間まで、出力を怠ってはいけない

出力とは「手放す」でもあり「表現する」でもあり「開く」でもある。
その時々で、必要な出力は違うけど出すことでしか受け取れないものがある。
そんな気がするのだ。






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