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からだのこと #10

最近、からだは朽ち果てていくしかないんだなあと実感する。

頭ではわかってるつもりだけど。。

でも実際にからだを動かすとその経験は頭でわかってることとは

大きく違う。同じうように動いてもできたことができなくなっている。

それを覚えてるから、記憶だけの残像がからだにのこってるだけ。

そして実際。できないとやっぱり悲しい。

でもそこで戦うことを選ばないで、そのことを受け入れる。

そうすると、いつかはないと感じる。

いつかなんてない。今。

過去にやってみたかったこと。

例えばアルゼンチンタンゴ。これは来週からデビュー。

男性にリードされて成り立つダンス。20年前からやってみたかった。

It takes two tango.

これが全てです。

こんな風に口説かれることもあります(笑)。

それから、学生時代に先生に怒られて、プリエするのが怖くなるくらい。

バレエ。

でも学生時代は必須で毎日受けないといけなくて、

卒業試験にジゼルの村娘のパ(ステップ)をゼッケンつけて

やらなきゃいけなくて。本当に大嫌いだった。

でも今はやってよかったと思う。

自分のからだにはあってないと思っていた

でも、もう一度バレエやろうと思う。


今取り組んでるテキストの作品。

3ヶ月!なんてこった。それと同時にこんなにというくらい

朽ち果てていく身体に遭遇させてくれている。

でもそれでいいと言ってくれる人がいる。

孤独な作業。

最後まで見守ってくれる人がいる。

朽ち果てていてもいいよって。

溢れ出すものを差し出すと、

溢れ出したものが還ってくる。

それはとても勇気のいることだけど、

気になった人、ぜひやってみたらいい。

誰かに表現すること。

一人では完結しない。もうこれは本当にそう。

一人で完結すると思ってたら

それはただのエゴだ。

終わりのない苦しみが待ってる。

もちろん、それを選択してもいい。好きならば好きなだけ。

わたしはもうそれはいい。

表現は見てくれている人、見たいと言ってくれる人に

見せてそこで完結していく。

作品を作っている間に

いつもわたしはわたしに問う。

わたしの表現は

日常にちゃんと根付いているか?

日常の中にヒントはたくさんある。

そこから感じてることは共有できるはず。

なかなか難しいけど。

マインドフル。これでいると同じことしてても

全然感覚が違う。

忘れては思い出す。それが当たり前になるように。

思い出したことを大事に記憶する。

この朽ち果てていくからだを通じて何を

経験させてもらえるのか。

終わるまで楽しみ。

あるがままに、図々しくさらにさらけ出していきたい。

そう、図々しく。凛とね。

やっとこういう顔でおどれるようになった。

#ダンス #アート #HCSS #エッセイ

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