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映画「竜とそばかすの姫」感想続き。他の方も仰っていますが、細田守監督はプロデューサーで演出家だけど、ストーリーテラーではない。もっと「受け手」を意識した作品創りが必要です。※激辛口なので、絶賛の方は閲覧注意です。#竜とそばかすの姫

 本作品について、Twitterやnote、pixivなどで多くの方と交流させていただいた経験を基に、再び本作品と細田守監督について思ったことを書きます。大分他の方と意見が被ってしまうので、「真新しい」意見ではないかもしれません。※以降は「激辛口」な内容になっておりますので、(特に絶賛の方) 閲覧注意です。

1. 細田守監督はプロデューサーや演出家だけど、ストーリーテラーではない。

 例えば、中村佳穂さんのようなパワー溢れるシンガーを見い出したり、美術監督に今敏監督作品のスタッフ、ディズニーのジン・キム氏、アイルランドのアニメ会社のカートゥーン・サルーンのスタッフ(「ウルフウォーカー」のスタジオ)を起用したり、兎に角プロデューサーや演出家としての才能は高いと思います。実際、作中のBGMは中毒性があるので、私もよく聴いています。

 また、公開直後から、YouTubeやSNSに「歌ってみた」・「踊ってみた」の動画、キャラのコスプレやAI画像、二次イラストや小説が沢山あるのを見ると、インターネットでの「自己表現」に抵抗が少ない若者世代には受けやすい作品だとは思いますし、そういう映画としては成功していると思います。

 さらに、Uの世界ですが、東京パラリンピックの閉会式のフリースタイルのダンサーさん方が創った舞台にとても似ていると感じ、こういう演出をやらせたら伸びるんじゃないかなと思いました。

 しかし、やはり「脚本家」としての才能は絶望的で、「第一原稿のまま発表された」感じは否めません。細田監督には、もう「ダメ出し」できるスタッフがいないのでしょうか?
正直、もし次回作の脚本が「細田守監督」お一人になっていたら、観るのは「躊躇」します。※勿論、「絶対観ない」とは断言しませんが。

 正直、カンヌ国際映画祭での「スタオベ」も、どこまで本当かはわからないですね。つくづく「ハードル上げてしまったな」とヒヤヒヤします。

2. 細田監督はもっと、作品が「世に与える影響」を考えてほしい。

 以前の感想でも書きましたが、細田監督の描く「リアリティ」は中途半端で、観ていて必ず「引っかかる」場面が出てきます。「その行動は『リアリティ』から外れていないか、またその表現で『傷つく人』はいないか」、彼もスタッフも俯瞰的・客観的に見れていないのではないか、と感じます。

 また、取り扱う題材(片親家庭・親の死・児童虐待などのセンシティブなもの)に対するリスペクトや配慮を感じません。彼は、それらを題材にすることで現実感を出したいのかもしれませんが、深くは取材しない方なのでしょうか?きっと、物語を「内に内に」創る能力には優れているのかもしれませんが、もっと当事者や専門家など外部に情報を求めないと、物語としてどんづまりになってしまいます。

 大変申し訳ないですが、今の彼には「リアルな時代考証や人物描写が必須」な歴史アニメ・戦争アニメ・社会派アニメは描けないと思います。勿論、戦争経験者ではないと言えばそれまでなんですが、たとえ当事者ではなくても、少なからず片渕監督は「描けていた」と思います。

 そしてとうとう彼の作品には、「まともな大人」が出てこなくなりましたね。大人が子供に注意する・叱る展開がない。鈴のお父さんも合唱隊のおば様たちも、何のために存在しているんだろう?ただ主人公を「賞賛」するためだけのマスコットなら、本当に大人を描けていないですね。「こうありたい」と思える大人がいません。

 また、「警察や児童相談所が『無能で不在扱い』」なのも、実際に働いている人に対する配慮がなく、職業を「バカにしている」と捉えられかねないです。

 これは本当に穿った見方になってしまいますが、もしかして、彼は「大人や公的機関は信用できないから、彼らが築き上げたものをぶち壊したい」また「真っ当に生きている人を怒らせたい」と思っているのでしょうか?

 よく、作品には作者の「人生経験や思想、信条」が現れると言いますが、彼は未だに「第二次反抗期」や「厨二病」を引きずっているように思います。裏を返せば、ある意味「ピーターパン症候群」なのかもしれません。ちなみに、上記の内容は、新海誠監督の「天気の子」でも、似たような感情を抱きました。※尚、私は専門家ではないので、決して、細田監督が「病気」だと断言するものではありませんし、「天気の子」が好きな方を傷つける意図はございません。

 勿論、こういった「反社会的」な個人や組織を描く作品は沢山あります。例えば、「万引き家族」や「ジョーカー」や「ゴッドファーザー」など。でも、これらの作品は飽くまでそれが倫理的には「悪」として捉えられているから作品として観れるのです。たとえ作品のメッセージに「共感」はできなくても、「理解」は出来るというか。ある種の「危険なカリスマ性や絆」に陶酔できるけど、それはヤバいと自覚する場面が必ずあるのです。でも、本作品はそうではなく、飽くまで「良いもの・美しいもの」として描いてしまっている。しかもそれが「無自覚」だから余計に怖いですね。

 最も彼の作品に限った話ではありませんが、現代の作品では、BGMをガンガン流したり、セリフで沢山想いを語ったりする物が多いです。でも、裏を返せばそれらはある意味「表現過多」なのかもしれません。例えば、宮崎駿監督は「アニメでは『無声・無音』の世界を表現するのが一番難しい」と仰っていましたが、音楽やセリフがなくても、表現次第で状況や心情を伝えることは可能だろうと思います。

3. やはり、「受け手に配慮した」作品に出会いたい。

 これは映画「沈黙のレジスタンス」の感想でも述べましたが、この「受け手に配慮してほしい、傷つけないでほしい」という気持ちは、ある意味読者や視聴者のエゴだと思います。だから、それを作り手に求めるのは、言ってしまえば「求めすぎ」なのかもしれないです。それでも、作り手と受け手の齟齬を出来るだけ小さくできるような「工夫」は必要ではないかとも思ってしまうのです。実際、どうしても両者の差が生じることは避けられませんが、これを「意識」して、出来るだけ埋められるかどうかは、作り手の技量が試されるところだと思います。

 実際、「長く愛される作品」って、「この両者の差が狭いもの、または受け入れられる表面積が広いもの」だと思います。前者はシンプルな作りで、「誰にでも受け入れられる」作品だと思います。一方で、後者のような作品にするには、本当に骨の折れる作業が必要だと思います。例えば、「取材をする・討論を重ねて矛盾点をなくす・受け手に配慮する・作品が世の中に与える影響について熟考する」など。でも、一読者や視聴者として、こういう作品に出会えることを常に望んでいます。

 最後に、ある意味、「細田監督=ジャスティン?」と述べている方がいて、皮肉だけれども、妙に納得しました。「広告を沢山引っ提げているけど、それに見合うものがない」ということかなと。

 ちなみに、これらの問題点ですが、「ねとらぼ」に本作品をキツく批評する記事がありましたので、気になる方でもしお時間がございましたら一読されると良いかなと思います。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2107/25/news017.html

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