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Sex and the Cityの幻想と現実

簿記、向いてないなぁと気づいたのは、資格の専門学校に通いはじめて3か月経ったころだ。
大学生だった私は、就職活動もろくにせず、気の抜けた炭酸みたいにどっちつかずで中途半端な生活を送っていた。
特にやりたいこともなく、働きたい会社もない。
それでも卒業の期限は迫る。

経済学部だった私は、公認会計士の資格を取ることに決めた。
公認会計士になれば、色んな会社を見ることができ、その後本当にやりたい仕事や行きたい会社が見つかるかもしれないという淡い期待からだ。本質は、決断の先延ばしで、根底にはモラトリアムが潜んでいた。

簿記も法律も向いてないなぁ、これ、面白いんかね?と思った頃には、就職活動のピークは完全に過ぎていた。だから、やるしかなかった。
将来の選択肢を増やすために現在の選択肢が絞られてしまった。

公認会計士の試験はそんなに甘くなかった。
初めて受けた試験は落ちた。
その頃には大学を卒業してしまっていた。続けるしかなかった。
いくら勉強しても超文系の私の脳は、数字を扱う簿記をなかなか習得できない。
自分の脳が理解するまで、オリジナルの図表を書いてみたり、執拗なまでの反復を繰り返した。そして体系を自分の体に染み込ませていった。
反復作業を継続していくうちに、電卓を打つのに独特のリズムができてきてちょっとずつ自信みたいなものがつくようになった。
そんな謎のメンタルを身に着けた頃、私は試験に合格した。
新しい法制度の導入による人材確保のため、なんとその年は通常の3倍くらい合格者数が増えたのだ。
完全にラッキーだった。
当時新しい制度だった内部統制監査には感謝するしかない。

晴れて私はグローバルに展開する会計事務所に就職することができた。

入社した私はキラキラした世界に思いを馳せる。
当時流行っていた海外ドラマSex and the Cityのキャリーみたいな生活。
大都会NewYorkに住み、靴は高級なマノロブラニクを愛用し、Mr.BIGのようなセクシーでかっこいい富豪と出会う。
たとえ彼と喧嘩をしても、ユニークで心強い女友達は自分を励ましてくれる。

こんなドラマを見ていると、自分の幸せのレールを妄想してしまう。
独身時にはバリバリ働いて、やがて結婚し、家庭を持ち、その後はペースを落としつつも効率よくそこそこのお給料をもらいながら働き続ける。
夏には毎年海外旅行に行って疲れを癒す。
そしてMr.BIGのようなハイスペック男性との結婚は海外駐在員妻という限られた女性しか経験できない機会をもたらしてくれるかもしれない。
キャリアも家庭もブランド品も全て手に入れたキラキラした生活。

女性の大半が抱くであろうそんな妄想は果たして実現可能なのだろうか?


私がたまたま配属された担当クライアントは、日本有数の大企業だった。チームメンバーも数十人いた。大企業を相手にし、大人数のチームをまとめるボスはとてもデキる人だった。

当時のボスは、圧倒的な頭脳と本質を突くセンスを持った最高に無愛想な癇癪持ちだった。めちゃくちゃ怖かった。
だから先輩たちは、そのボスが君臨した時期を“絶対君主による恐怖政治”と名付けた。

私の同期は、時間のないボスにお弁当を買ってくるよう頼まれていた。
毎日頼まれるうち、君主の好みを完全に把握した。
彼は、君主の健康を想い、サラダをつけるようになった。
さらに気を利かせてたばこも同時に補充し始めた。
彼は自分の気遣いを誇らしげに私に報告した。
「たばこ買ったらサラダによるヘルシーのアドバンテージ台無しやん」
心の中でそう思ったけど言えなかった。
こうやって、みんな圧政で生き抜く術を身に着けていっているのだから。

ボスとチーム4人で出張したことがある。
夜の飲み会は、水炊きのコースだった。
一番下っ端だった私は、当然、みんなに鍋をよそう。
きれいに取り分けることで女子力を発揮するのだ。
鍋をよそう。ボスに渡す。ボスが食べる。
するとボスはこう呟いた。
「お前、この鶏肉、半生じゃねーか」
そう言って、自分の器の中身を全部鍋に戻した。
場は凍り付いた。
「お箸つけたやつ、鍋に戻した・・」
その場の全員が心の中でそう思った。
と同時に私の女子力は奈落の底に落ちた。

サラダとたばこを買う同期の方がよほど女子力が高く、仕事ができたのだ。

ある日の残業中、ボスに呼び出された。
私たちの仕事は、クライアントの財務情報が正しいかどうかについて検討を行い、その手続の過程と結果をレポートにまとめ、上司に報告することだ。
その内容が甘かったり、必要な検討が漏れていたりすると、ボスに呼ばれ、追及を受ける。
今回は私の番だ。
私のレポートは明らかに手を抜いていた。毎四半期やる手続だし、表面的になぞっておけばそれなりに大丈夫だと思って書いたものだ。ボスは私のレポートが本質を理解して書かれたものでないことを見抜いていた。
「これお前理解してやってんのかよ?ふざけんなよ」
グサっときた。
言い放たれた言葉はとても冷たく、それでいてヒリヒリするくらい熱かった。
他の先輩にも怒られたことはあるけど、ハリセンでボディを叩かれるくらいの軽度の痛みだった。
ボスの言葉は、急所をアイスピックで突くように核心をついていた。痛かった。
平常心が保てなくて初めてトイレで泣いた。

立ち直るためには何かユーモアが必要だった。
だからボスに心の中であだ名をつけた。

談志師匠。

あの業界の重鎮みたいだったから。
眼鏡かけて容赦なく怖いけど、圧倒的に実力のある人。

それからというもの、私は手続を自分なりにちゃんと理解するように努めた。
簿記の勉強で培った時のように、わかるまで図や表を何回も書いた。

社会人になって後々わかったのは、あまり理解しないまま手を抜いた箇所は、必ず後でしっぺ返しがくるということだ。
理解して手を抜いた分には問題は生じないけど、難しそうな事象を曖昧にしたまま、なんかよくわかんないからこれでいいやってテキトーに済ませた箇所に限ってあとで炎上を引き起こす。
世の中にはそういう法則みたいなものがどうやらあるっていうことを談志師匠と自らの経験から学んだ。

こんな感じで社会の色んなことを理解し始めたけれど、私がこの会社で将来チームのリーダーになれるかと考えたら、明らかに答えはNOだった。

あれから10年以上の月日が流れた。
私はキャリーになれただろうか?
現在、思い描いていた幸せのレールとは全然違う生活を送っている。
マノロブラニクのパンプスは一足も持っていなくて、代わりにアディダスのスニーカーを愛用している。
Mr.BIGのような富豪と出会う機会なんて一度もなかった。普通の結婚をした。
そこそこのお給料をもらえるはずだった会社は退職して、代わりに世の中の何かを変えたい、貢献したいという気持ちのもと急成長中のベンチャー企業で働いている。
私に何かクリエイティブな才能があればよかったのだけれど、残念ながら天才的な才能はないみたいだ。自分ができることは、新しいものを創造することではなくて、急成長につきもののひずみやカオスの中から正しいものを見つけ出す仕事のような気がする。曖昧なものを放置して、あとでものごとを大炎上させないために。
でも、それはそれでいいかなと思っている。

振り返って思うと、本当に幸せなのは、外観的にキラキラした夢を思い描いてその通りに実現させることじゃなくて、充実した気持ちで毎日を過ごすことだ。自分ができることと、やりたいことと、求められることが一致したらおのずと充実した気持ちになる。

今、20代に伸ばしていた長い髪はバッサリと切った。
朝起きたら、ショートヘアに寝ぐせがついている。
ヘアバンドをつける。
眼鏡をかけて、歯を磨く。
低血圧の私はとても不機嫌だ。
そんな私をみて、たまたま居合わせた母親が笑いながら声をかける。

「あんた、なにそのスタイル? 談志師匠のイメージ?」


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