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姫路とえきそばとわたし

今でも思い出す光景がある。
窓から覗く白いお城、やたら蟹の旅へいざなうポスター、灰色のホームに馴染むだしの匂い。

田舎で育った。
遊ぶ場所は山と川しかなかった。
テレビに出てくるような商店街やデパートに憧れた。
小4の夏、初めて子供達4人だけで切符を買って電車に乗った。
いってらっしゃいと声をかけてくれるKIOSKのおばちゃん、みかん色の車両、窓際に彫られた落書き。
全てが新鮮でわくわくした。
電車で30分、姫路駅につくと目につく全ての売店がまぶしく自分を誘惑する。でもその中で一番食べたかったのがえきそばだった。
でも、立ち食いそばは小学生にはハードルが高い。カウンターが高すぎるし、システムがわからない。おじさんしかいない。なんなら大人になった今でも一人で入るのは気がひける。
いつか食べられる日が来たらなぁ。そう思いながら、その日は友達おすすめのロッテリアに入った。

でも、そのいつかは案外遠くなかった。
阪神ファンだった兄弟の念願叶って家族で野球観戦に行くことになったのだ。
目的地の甲子園に行くには、姫路で乗り換える必要がある。乗り換えには待ち時間があった。これはチャンスである。
両親にせがんでえきそばを食べさせてもらった。
今じゃ考えられないけど、昔はえきそばをそのまま電車に持ち込めた。
当時三宮方面の新快速には、ワンカップ大関の瓶と一緒によく空のどんぶりが足元に置かれていた。

車内で食べるえきそばは格別だった。
乗り物に汁ものを持ち込むという背徳感、子供だけじゃ食べられないものを食べているという特別感、そばに一味ってこんなに合うんかという新発見。
甲子園で歌う勝利の六甲おろしを想像してはうっとりし、あたたかいそばをすすった。

その日、阪神は負けた。
思い通りにはいかない世の中の世知辛さを知ったわたしは少しだけ大人になった。

高校生になった。
期末試験が終わったら友達と姫路の映画館に行くのが恒例である。
ブラッド・ピットに恋してメグ・ライアンに憧れた。
短くしたスカートに冷たい風が通り抜ける。友達と並んで食べたえきそばは、あの頃と同じ味で凍えた身体をあたためてくれた。
でも、もっと都会にいきたい。わたしの好奇心は姫路よりももっと遠い先に向いていた。

大学に入り、初めて住んだ東京都文京区はラーメン激戦区で学校帰りによく食べた。
イタリアンカフェでバイトをした。
昔はナポリタンしか知らなかったのに、ペペロンチーノやアラビアータを覚えた。
関東の蕎麦も食べた。
麺が黒くて、つゆも黒くて、ツヤがあって、コシがある。
白くてゆるいえきそばと全然違うたたずまいに、思わず姿勢を正した。
東京には世界中の味があって、わたしの味覚も食生活もずいぶん変わったと思う。
新しい知り合い、新しい情報、新しい価値観。
刺激を求めてここにいるのに、それと同じくらい心のどこかで安心を求める自分がいる。

10年以上の月日が流れた。
白鷺城と呼ばれる姫路城は改修されて、ますます白くなっている。
駅も全く変わった。
ロータリーは整備され、古かった駅ビルは名前を変え、スターバックスが入り若者たちで賑わう。

でも、相変わらずポスターを目をやると蟹を食べに行きたくなるし、ホームの片隅にはえきそばがある。
久しぶりに食べたけど、味は全然変わってない。
ラーメンのようなパンチはないし、うどんのようなコシもない。蕎麦のような粋もない。ただすーっと舌に馴染んで食べやすい。
わざわざこれだけを食べに行くほどでもない気がするし、だいたいの場合、食べる前の気持ちと同じままで食べ終える。

けれど、わたしには、そしてたぶん姫路駅を利用した人たちにとっては、ちょうどいいタイミングで現れて、ちょうどよく小腹を満たしてくれて、絶大な安心感をくれる、時代の匂いをまとったおいしい味なのだ。

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